青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

坂元裕二× 土井裕泰『片思い世界』 *ネタバレあり

<A面>

『片思い世界』は、目には見えないけども、たしかに世界に存在している少女たちのお話。そう、幽霊についての物語なのだ。彼女たち幽霊は、その透明性によって、社会の誰からも相手にされることがない。

わたしたち、ありえないって言われないといけない存在なの?

これは坂元裕二がこれまで描いてきた、“生きづらさ”の象徴だろう。『カルテット』(2017)のオープニングショットは、路上チェロを演奏する世吹すずめ(満島ひかり)を捉えたものであった。しかし、道行く人の中に、彼女の音に耳を傾ける者はいない。まるで、すずめなどこの世に存在しないかのように。しかし、彼女は演奏を続ける。坂元裕二が描くのは、社会と上手に接続できない、それでも、なんとか世界と繋がろうと「わたしたちはここにいます」と小さな声で叫ぶ者達の物語であり、『片思い世界』はその最新型だ。


幽霊である彼女たちは社会から無視されるばかりか、世界への干渉も許されない。目の前でどんな事件が起きようとも何もすることはできない。小さな子どもが落としたぬいぐるみを拾ってあげることさえきない。それはこの世界中で起きているあらゆる悲劇に、ただ立ちすくみ、困惑しているわたしたちそのものだ。何もできない。それでも、劇中の彼女達は悲劇に抗ってみせる。車の中に置き去りにされた赤子を発見し、道行く人に「誰か、お願いします、誰か助けて」と叫ぶ。届かなくても。人が殺されかけている車のフロントガラスを懸命に叩き、「割れろ」と叫ぶ。ガラスにヒビ一つ入らなかろうと。何もできないかもしれないけど、抗わねばならぬのだ。時代の空気を捉えた、これからの人たちへのメッセージが、このフィルムには刻まれている。


彼女たちは幽霊であることを自覚していながらも、自分たちの存在を強く信じることで、この世界にありありと“生きて”いる。あまりにも凄惨な事件で失われた少女たちの命。しかし、彼女たちが心に抱いた“光”は誰にも奪えない。一度生まれた美しき光は、この世界にあり続けるのだ。生命の輝きのような光を体現した広瀬すず杉咲花、清原果耶、3人の時代を代表する女優たち。

ギュっと寄り合い、固まり合い、まるで“3人で1人”、そして、“わたしたち”であるかのような質感*1。彼女たちの声が、身体が、表情が、一つのスクリーンに収まる幸福は、このフィルムの強度とイコールだ。

朝日が昇るのは 誰かと約束したから
ああ 名高い学者によると 僕らは幻らしいけど

だけど 自分を信じられなきゃ 
何も信じらんない
存在しないに同義
確かめようのない事実しか 真実とは呼ばない

私たちの心の中身は 誰にも奪えない
そんなに守らないでも平気
だけど 自分を信じられなきゃ 
何も信じらんない
I’m in love with you


宇多田ヒカル「何色でもない花」

優れた表現者が同時多発的に共鳴するというのはよくあることなのかもしれないが、この宇多田ヒカルの楽曲は、映画『片思い世界』の主題をあまりにも見事に歌い上げている。おそらく、坂元裕二宇多田ヒカルの創作のインスピレーションの源が繋がっているのだろう。劇中において優花(杉咲花)は量子力学素粒子について学んでいて、ノートにとった一節にマーカーを引く。

人類にはまだ世界の一部しか見えてないのだ

宇多田ヒカルもまた自身のベストアルバムを『SCIENCE FICTION』と名付け、新曲2曲においては“量子もつれ”や“シュレーディンガーの猫”を題材に選ぶなど、科学への関心を隠さない。「確かめようのない事実しか 真実とは呼ばない」のだ。“量子もつれ”というのは、あらゆる物質の最小単位である粒子が、宇宙の果てほど離れていたとしても同時に影響し合うという現象のことであるらしい。曰く、「一度でも強い関係性を持った”粒子”は、たとえどんなに離れてもその関係性や絆は消えない」のだそうだ。それはまさに、坂元裕二がこれまで描いてきた作品世界そのものである。

恋愛はさ 参加することに意義があるんだから
たとえダメだったとしてもさ
人が人を好きになった瞬間って、ずーっとずーっと残っていくものだよ
それだけが生きてく勇気になる
暗い夜道を照らす懐中電灯になるんだよ


東京ラブストーリー』(1991)

東京ラブストーリー』に打ち込んだこの坂元裕二の主題が、30年以上の時を経て、科学的に証明されてしまったのだ!一度、生まれた思いはずっと残る。坂元裕二はその後も繰り返し、“そのこと”について書いてきたわけだけど、今作のインタビューにおいて、坂元裕二の口からもついに“そのこと”が語られている。

結局、人が人を思うのに、両思いも片思いもないと思うんですよね。人を思うことそのものが大事なことだし、ずっと残るものだと思うから。恋が成就したとしても、喧嘩別れをしてしまうこともある。でも、はじめにその人を思った瞬間があれば、それで十分なんだと思います。そのときの熱量が大事なのであって、双方向にならないと増減するというのはなんだか違う。そもそも世の中の多くは片思いでできている部分がありますよね。


『VOGUE JAPAN』インタビューより

この『片思い世界』は、その主題が量子力学によって補完され、よりより活き活きと、“そのこと”が可視化され、その範囲が拡大されたフィルムだ。消えないのは恋をした気持ちだけではない。一度この世界に生まれ落ちたわたしたちは、たとえ死んでしまったとしても、誰かが思ってくれている限り、この世界に生き続ける。


<B面>

棺桶に入れたい作品
自分の38年の脚本家人生は、これを書くためにあったんだな

坂元裕二が今作に向けての発言とのこと。たしかに『片思い世界』という作品は、新しい形式ながらも、これまで書き続けてきたテーマの語り直しがあり、その到達がある。作家としての魂の濃度が桁違いなのだ。ここでいう坂元裕二の作家としての“魂”というのは、軽妙な会話劇ではないし、名言としてまとめられるようなアフォリズムでもない。脚本家・坂元裕二の魂、それはある一つの悲劇に対して、“かわいそうなお話”と言って簡単に距離ととってしまうこの世界に、「(わたしたちは)かわいそうなんかじゃない!」と、“生きるよろこび”でもって抗うことだ。坂元裕二はこれまでの作品において、たくさんの悲劇を取り扱ってきた。たとえば、少年犯罪による幼い子どもの悲劇という点で、この『片思い世界』の姉妹的とも考えられる『それでも、生きてゆく』という作品がある。幼い妹を友人に殺された主人公が、物語の後半に語ってみせる。

亜季がさ…なんのために悲しいお話があるのかって訊いてきたことがあった。なんで人間はわざわざ悲しいお話を作るんだろうって。亜季が殺されて、友達が犯人でバラバラになった家族があって、兄貴の無実信じながら苦しんで信じながら生きた人がいて、…悲しい話ばかりで、逃げたくなる。だけど逃げたら、…悲しみは残る。死んだら、殺したら、悲しみは増える。増やしたくなかったら…悲しいお話の続きを、書き足すしかないんだ。


それでも、生きてゆく』(2011)

起きてしまった悲劇に対して“続きの物語を書き足す”、すなわち日常を続けてく、「それでも、生きてゆくのだ」、と結論づけたのだ。しかし、1人の少女の死を描いたことに対しての責任には、これだけでは足りないと感じていたのだろう。もっと、もっと、彼女を救わなくてならない、と。

わたしはどうしても、はじめのことに立ち返るのです
団地で溺れたわたしと同い年の女の子のこと
わたしだったかもしれない女の子のこと


『不帰の初恋、海老名SA』(2017)

この世界には理不尽な死があるの
どこかで誰かが理不尽に死ぬことはわたしたちの心の死でもあるの


カラシニコフ不倫海峡』(2017)

誰かの身の上に起こったことは誰の身の上にも起こるんですよ
川はどれもみんな繋がっていて、流れて、流れ込んでいくんです
君の身の上に起こったことはわたしの身の上にも起こったことです


『不帰の初恋、海老名SA』(2017)

俺もあいつも同じ道歩いてて、1人だけ穴に落ちたんだ。
どっちが落ちても不思議じゃなかった。
あいつがしたことは、俺がするはずだったことかもしれないんだ。


『anone』(2018)

何度も繰り返し、悲しい出来事を自分の身体、そしてわたしたちに落とし込んでいく。誰も無関係ではないのだ、と。そして、『大豆田とわ子と三人の元夫』において、物理学者カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』などをヒントにしながら(おそらく)、一つの結論に辿り着く。

人間は現在だけを生きてるんじゃない
5歳、10歳、30、40・・・その時その時を懸命に生きてて
過ぎ去ってしまったものじゃなくて
あなたが笑ってる彼女を見たことがあるなら
今も彼女は笑っているし
5歳のあなたと5歳の彼女は今も手を繋いでいて
今からだっていつだって気持ちを伝えることができる


人生って小説や映画じゃないもの
幸せな結末も悲しい結末もやり残した事も無い
あるのはその人がどういう人だったかっていう事だけです
だから人生には二つルールがある
亡くなった人を不幸だと思ってはならない
生きてる人は幸せを目指さなければならない
人は時々寂しくなるけど、人生を楽しめる
楽しんでいいに決まってる。


『大豆田とわ子と三人の元夫』(2021)

亡くなった人を不幸だと思ってはならない。劇中では、事件当時、「幼い命を無駄に」「たった九歳でかわいそうだ」などと話していた人々に、優花の母(西田尚美)が「違うのにな」ともらす。

言いたかったんです 優花に
あなたが生まれてきたことは無駄じゃなかったよ
人の一生に長いも短いもないの
あなたはちゃんと生きたんだよ 生まれてきてくれてありがとう
そう 言いたかったです

悲劇を「ただのかわいそうなお話」と片付けてしまう人々に、「かわいそうなんかじゃない!」と叫ぶ。なぜなら、あなたが笑っている彼女を見たことがあるなら、今も彼女は笑っている。まさに、『片思い世界』をこの言葉を体現した映画と言えるだろう。


<Bonus track>

気持ちはいつだって伝えられる。ちょっと難しいな、と思うならば、音楽を奏でよう。「わたしたちはここにいます」と叫ぶ小さな声。その散り散りになったボイスが交じり合い、重なった時、それは歌になる。

きっと飛べます
飛んできてください

劇中で、ラジオパーソナリティの津永悠木(松田龍平*2)が呼びかける。感情は粒子。思いは声になり、声は風となり、飛んでいく。どんなにはなればなれになろうとも、レイヤーを超えて、届く!

はなればれでも 目に見えなくても
君に呼びかける
声は風 風は夢 飛んでけ 
高く飛んでゆけ
永遠 最果て 約束
君が好き 背筋伸ばして
元気でね 元気でいてね
じゃあね またね

*1:であるから、3人の”母”は1人しか登場しないのだろう

*2:このボイスを松田龍平が担当しているというのは、個人的にこの映画で最も感動的なところの一つだ