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プロフェッショナル仕事の流儀「 生きづらい、あなたへ~脚本家・坂元裕二~」

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「私 この人のこと好き 目キラキラ」みたいなのは
そこには本当はない気がするんですよね


バスの帰りで雑談をして
バスの車中で「今日は風が強いね」とか
「前のおじさん寝ているね」「うとうとしているね」とか
そんな話をしながら
「じゃあね」って帰って行って 家に着いて
一人でテレビでも見ようかなって思ったけどテレビを消して
こうやって紙を折りたたんでいるときに
「ああ 私 あの人のこと好きなのかもな」って気が付くのであって 

小さい積み重ねで 人間っていうのは描かれるものだから
僕にとっては大きな物語よりも
小さい仕草で描かれている人物をテレビで見るほうが
とても刺激的だなって思うんですよ

番組で発されたこの言葉に、坂元裕二の書くテレビドラマの魅力が端的に言いまとめられている。何の意味も、何の価値もないように見えることに、“本当のこと”は詰まっている。それを教えてくれるのが坂元作品だ。このドキュメンタリー番組のトーンも、この坂元裕二の言葉に導かれるようにして構成されていく。撮影の開始は、こんな会話からだ。「中華屋で紹興酒を飲みたかったのだけども、グラス1杯5,400円で注文できなかった」・・・実に些細なエピソードであるが、その人の価値観であったり、“生きる”ということの質感であったりが、それとなく浮かび上がってくる。そして、カメラはあらゆる生活の跡を映し取っていく。パンツを畳む、チョコレートをつまむ、ヒップホップを聞く、南アルプスの天然水を常備している、煙草を吸う、ガソリンスタンドでポッカの缶コーヒーを飲む、娘のお弁当のためにキッチンで納豆春巻きを揚げる、スマホゲームに興じる、歯を磨く、うたた寝する・・・このドキュメンタリーが捉えているのは、「生活を営む人」としての坂元裕二の姿だ。生活を慈しむことができる人だけが、普遍的な愛を紡げるのかもしれない。



番組の編集にはいささか疑問がなくはない。「『Mother』からやっと書きたいものが書けるようになった」といったような、わかりやすいストーリーテリング坂元裕二は徹底的に嫌う。しかし、この番組は発言の節々を繋ぎ合わせることで、初期のトレンディドラマや『西遊記』や『トップキャスター』といった作品を、あたかも「本当は書きたくなかった」かのように演出してしまっている。これはまずい。先日献上されたばかりの『脚本家 坂元裕二*1においても、下記のような発言が残されている。

「『Mother』以前、『Mother』以降」とよく言われますけど、自分では書いてる筆圧は変わってないし、『西遊記』や『トップキャスター』も大事な子供たちだから、そっちはダメでこっちはいいって言われると、そんなのただのジャンルの違いでしょって思って、若干気分悪いですね(笑)。

案の定、放送終了後に坂元裕二のインスタグラムにて訂正が入っていた。とは言え、現代を代表するテレビドラマ作家の素顔が垣間見れる貴重な番組であることには間違いない。個人的に気になったポイントを少しだけ書き記してみたい。



<優しくないお兄ちゃん>

ずっと優しくないお兄ちゃんだったからね
弟が追いかけてきているのが分かっているのに僕は遊びに行って
道路渡ったら 弟が「お兄ちゃーん」って追いかけてきて
車走ってきてバーンって飛んだんですよ うちの弟が
そのときの光景はねもう今でも忘れられないですね
弟ともう1回やり直したいなあと思って
弟とスキー行ったりしても何かうまく話せなかったりして

『またここか』(2018)という舞台作品を坂元裕二に書かせることとなる、弟とのエピソードが披露された。推測するに、このエピソードからもう一つ物語が生まれている。『それでも、生きてゆく』(2011)である。妹の面倒を頼まれていたにも関わらず、友達と遊びに行ってしまい、妹が殺人事件に巻き込まれてしまう兄の物語だ。坂元裕二の後悔から派生した2つの物語は、それぞれに悲しい存在を生み出している。三崎文哉(風間俊介)と近杉祐太朗(吉村界人)という2人の殺人者。彼らは、共に「してはいけないと思うと、せずにはいられなくなってしまう人間」だ。

それが大事なものであるほど、か弱いものであるほど、思うんだよ。
駄目だ駄目だ、しちゃいけない。
あのお腹を叩いちゃ駄目。あのお腹を蹴っちゃ駄目。


『またここか』より

それでも、生きてゆく』を執筆しながらも、三崎文哉という人間をわかりきれなかった、と坂元裕二は過去のインタビューで語っている。彼を救い切れなかったことが、どこかで心に引っかかっていたのではないだろうか。三崎文哉が重ねられた、『またここか』の近杉祐太朗という存在を、劇中において“優しくないお兄ちゃん”が救う。

おまえ字書ける?
書けるなら今日から頭に浮かんだことは、全部ノートに書き留めな。
やっちゃたら駄目なこと、人に迷惑かけそうになった時、そういうの書いて、全部そこに、そこに吐いて、小説みたいにするの。
俺はずっとそうしてきたし、おまえにも出来るよ。
<中略>
前だけじゃない。後ろにも行ける。小説に書くのは二つのこと。本当はやっちゃいけないこと。もうひとつは、もう起こってしまった、どうしようもなくやりきれないことをやり直すってこと。そういうことを書く。そこに夢と思い出を閉じ込める。それが、お話を作るってこと。


『またここか』より

「何が心の病だよ。人間が心なんかに負けるかよ」と言い放つ“優しくないお兄ちゃん“が紡ぐ物語が、この過酷な現代を生きる私たちに与えられている。そのことをこの上なく幸せに思おう。


<移り行く壁の色>

撮影期間中に、仕事部屋の壁の色が変わっていくことにお気づきだろうか。撮影初日は白かった壁が、突然、何の説明もなく部屋中にビニールが張られ、少しずつ美しいエメラルドグリーンに変わっていく。なんて編集泣かせなことをするのだろう。しかし、これも坂元裕二なりの「日常を捨てない」という態度なのだろう。そして、慣れ親しんだテレビドラマというフィールドから飛び出し新しい可能性に挑戦する心情がトレースされているようにも思える。最後に、その新しく生まれ変わった壁の色が、『カルテット』での夢のような4人が暮らすあの別荘の壁と同じトーンを湛えていることに気づいた時、じんわりと瞳が潤んだことを告白しておく。
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*1:ちなみにこの本には仕事場の本棚がしっかり写っています。気になる方はぜひ