青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ふじきみつ彦『ばけばけ』 怪談が繋ぐ"わたしたち"

父上はね・・・立ち尽くしちょるの
時代が変わって、明治の世になって戸惑って
それからずっと立ち尽くしちょるの

このドラマには、この世の中から疎外される小さく弱き者たちへの眼差しがある。社会から、「怠け者」と罵られている司之介(岡部たかし)を、妻であるフミ(池脇千鶴)は“立ち尽くしているだけ”と庇う。そして、トキ(福地美晴)はそんな父を化け物に見立てて、先生すなわち社会を食べ殺してしまうという絵を書くことで、家族の鬱憤を晴らしてみせる。トキやハーンがこれから取り扱っていくであろう“怪談”、そこに描かれる妖怪や幽霊というのが、社会から疎外された者たちのメタファーであることが提示されている。怪談は怖くて、さびしいもの。この過酷な社会で生きるわたしたちの寄る辺なさが、このドラマには落とし込まれている。


怪談をテーマにしたドラマであるからなのか、第1週目からして、朝の連続テレビ小説とは思えぬほどに不道徳で不謹慎な事象で満ちている。発見された死体が他人とわかって「よかったぁ」と安堵して怒られたり、幼い娘を学校に通わせずに働かせようとしたり、かわいがっていた兎を捌いて汁物にしてしまったり、カステラを生きている父のお墓に見立て拝んだり・・・画面もどこか薄暗い。朝ドラという枠組みからあえて逸脱しているようであるが、その薄暗さがあるからこそ、蝋燭や行燈、窓から差し込む陽の光などの、淡く揺らいだ光の煌めきが際立っている。その薄明りを頼りにするかのように、トキたちは絶望の中でも明るく暮らしている。ふじきみつ彦のペンによる極上のコメディで彩られた松野家の会話劇は、ありふれた営みこそが奇跡なのだと言わんばかりの輝きである。


まるで幽霊のように、はかない透明感がありながらどこまでも明るいトキを演じる髙石あかりが素晴らしい。喋り方や顔立ちはどこか現代的で、トキという女性が、現代のわたしたちに繋がっているのだと感じさせる。そういった連綿性がこのドラマには息づいていて、それはやはり“怪談”というものの成り立ちに寄るところが大きいだろう。暗い部屋の中でトキが採集してきた“怪談”をヘブン(トミー・バストウ)に諳んじてみせる、という印象的な第1話を思い出すまでもなく、怪談とは口伝で広がっていった。フミからトキへ、夫である銀次郎(寛一郎)からトキへ、そしてトキからヘブンへ、というように、“怪談”は口伝されながら、時空を越えながらあらゆる人々を通り抜けてゆく。また、ヘブンのモデルであるラフカディオ・ハーンは「我が名はレギオン。我々は、大勢であるがゆえに」という聖書の言葉をおそらく応用し、こんな文章を残している。

私という一個人、個人的な魂!いや、私は群れである。その数は多すぎて、何億の集団に分けても、測りしれない!無数の世代が私であり、永遠の永遠からなる!

私は“群れ”である、というのはどういうことだろう。科学者によれば、わたしたちは死んでも、わたしたちを構成する原子は生き続け、この星に滞在し続けるのだという。同様にして、今のわたしたちを形づくっている原子もまた、過去からの贈り物であり、それこそ恐竜やマンモスの原子がわたしたちに息づいているかもしれないらしいのだ。過去に存在したものは、決して失われることなく、わたしたちに受け継がれている。いや、“憑りつかれている“と言ってもいいかもしれない。つまり、わたしたちは無数の幽霊と共に生きている。明治という時代を生きたトキは、松野家は、わたしたちの中にいる。であるから、わたしたちは、この物語の何者かになろうとはしていない*1、凡庸で愚かな登場人物の人間性の中に自分の一部を見つけ、愛おしく想うのかもしれない。

あー疲れた
もうダメ もうムリ もうできん
もう死ぬがぁ
けど、生きるがぁ
死んでも生きるがぁ


この困難なうらめしい世の中、文句を垂れながらダラダラと生きながらえてやる。そんな活力と温かい気持ちをくれるドラマの誕生だ。



<余談>
書きたいことは他にもたくさんある気がする。脚本を担当するふじきみつ彦があのEテレのあの素晴らしき『みいつけた!』をキャラクター案から手掛けているということ。ふじきみつ彦による卓越した笑いの作り方。そして、流れ続ける充実した時間。ハンバート・ハンバートによる主題歌「笑ったり、転んだり」や川島小鳥のスチール写真*2による珠玉のオープニング。牛尾憲輔による劇伴や阿佐ヶ谷姉妹の眼差し、繊細な美術と照明も素晴らしい。高石あかり以外の役者も抜群、トキの幼少期を演じた福地美晴の巧さ&キュートさ、・・・と枚挙に暇がない。まだ3週目の段階ではありますが、個人的にはこれまで観てきた朝ドラの中でもベストの予感です。おかげで毎日楽しいことであります。

*1:その意味でも著名人の人生を語る朝ドラから逸脱している。もちろん、例外は多々あるのだけども。『ひょっこ』とか

*2:後に訪れる幸福の予言のよう!