
『じゃあ、あんたが作ってみろよ』は2025年秋の地上波ドラマの最大の話題作と言っていいだろう。谷口菜津子の原作漫画の良さはもちろんなのだけども、テレビドラマとしての完成度が頭一抜けている。さすがはドラマのTBS、さらには名門の火曜ドラマ枠*1という感じ。撮影・照明・美術の質感、音楽のリッチさ(流れるタイミングも完璧)、ふざけ方の塩梅・・・などなど、テレビドラマという文法の中で最上級の妙技がこれでもかと発揮されている。細かいところも良いのだ。たとえば、ゴミ箱にコンビニのビニール袋をハメようとしてもサイズが合わない、みたいな些細な営みの事象であり、あまり他の作品ではお目にかかれない上質な“あるある”をきっちり撮っているところ。料理をする際に、竹内涼真がちゃんとワイシャツを脱いで肌着になるところがいい。テレビドラマで、部屋に帰ってもずっとスーツ姿のままでいる登場人物を観ると、「そんなわけないだろ」と妙に醒めてしまうので。そして、ゴミ箱用の袋をスーパーに買いに行くことで登場人物たちがすれ違うというドラマは発生し、シャツを脱ぐという演出が、チノパンに肌着をインして出汁顆粒を握りしめながら外へ駆け出すといったようなおもしろい画を生んでいく。些細なひと手間がドラマを豊かにしていくのだ。
しかし、そんなドラマとしての作りの良さを押しのけ、今作の目玉は主人公である海老原勝男を演じる竹内涼真だろう。この勝男というのが実に強烈なキャラクター。食卓で料理を作ってくれた彼女に対しては、こう。
うーん、サバの味噌煮も臭みがないし、うん、栄養のバランスもいいね。
で、厚揚げはホッとする味で最高。でも!強いて言うなら、全体的におかずが茶色すぎるかな。もうちょっと彩りを入れたほうがいい。
でも、謝らないで、これは鮎美がもっと上を目指すためのアドバイス。
この「強いて言うなら、全体的におかずが茶色すぎるかな」という圧倒的なパンチラインは、ドラマの中で何度もリフレインすることとなる。とにかく、まるで『美味しんぼ』における山岡さんのような食べものへのうるささは序の口、ジェンダー観が昭和で止まった全力モラハラ男なのだ。この難しい役どころを演じる竹内涼真が絶品。これといった理由は思いつかないのだけど薄っすらと苦手意識を持っていた*2竹内涼真という存在の“やだみ”をうまく乗っけながら、完璧な発話(人をイラつかせるトーンが絶妙なのだ)と表情管理、さらにはどうしたって美しく整った身体性をコミカルに崩して、クズ男を最高にチャーミングに演じきっている。このドラマを観ている誰もが竹内涼真にメロメロになっていることだろう。役者キャリアのジャンプアップというのはこういうことか、と思わされる。「“うざい“と“かわいい“の同居」という離れ技を、竹内涼真が見事に成し遂げている時点で、このドラマは完全に勝利。複雑でやっかいな”人間のおもしろさ“というのを表現しきっている。
また、この勝男の「うざいけど、かわいい」という“混り合った”キャラクター性はこのドラマのフィーリングを象徴していると言える。このドラマにおいてキャラクター達の変化や成長は、料理担当のお弁当男子である白崎(前原瑞樹)、恋人はいらない主義の南川(杏花)、パーティーピープルの渚(ラランド・サーヤ)、恋愛体質のミナト(青木柚)、サバサバと自立した椿(中条あやみ)など多様な価値観を持つ登場人物が接触し、混じり合うことで為される。であるから、ドラマは、混ざる、交換といったモチーフで満ちている。めんつゆ(出汁・酒・みりん)やコークハイ(コーラとハイボール)、たこわさ(蛸と山葵)、勝男と白崎のお弁当交換*3、金髪と緑の混ざった渚の髪色、カレーになる筑前煮、バインミーとみそ汁もしくは納豆トースト・・・また、竹内涼真のマンガ的な演技メソッドと、もう一人の主人公である鮎美を演じる夏帆(あの絶望と虚無の目!)のリアリズムに即した演技の共演も、混じり合いと言えるかもしれない。
そして、この作品は“街のドラマ”である。高円寺という実在の街を舞台にしているというのはもちろんなのだけど、このドラマが異様なまでに、モブキャラクターが画面に映りこんでいることにお気づきだろうか。手間も費用もかかるエキストラをここまで起用しているテレビドラマも、不況の昨今では珍しいのでは。そして、モブの中に物語に本格的に紹介される前のミナトや椿といった主要キャラクターが当たり前のように紛れこんでいる。街と人を意識的に撮っている。それは街というものが、人が混じり合ってできたものであるからだろう。まったく価値観が違う人もいるし、映し鏡のように似ている人もいる。そんな人々が混じり合い、筑前煮やおでんのようにグツグツと煮込まれているのが街だ。具材たち、いや人々は、同じ鍋の中で、互いを侵食し、溶け合いながら味を作っていく。その煮込みの果てにどんなドラマが待ち受けているのか、今後が楽しみでならない。