青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

沖田修一『探偵さん、リュック開いてますよ』-松田龍平が探偵を演じるということ-


沖田修一が地上波でテレビドラマを撮る。いったいどんなものに仕上がるのだろうと思っていたら、いやはやテレビ朝日の“金曜ナイトドラマ”枠と沖田修一の親和性である。金曜ナイトドラマの歴史に刻まれている堤幸彦『トリック』『スシ王子!』、三木聡の『時効警察』『熱海の捜査官』、宮藤官九郎の『未来講師めぐる』『11人もいる!』、『家政婦のミタゾノ』シリーズなど、パロディやメタフィクションを織り交ぜたとぼけたコメディのテレビドラマの系譜に、『探偵さん、リュック開いてますよ』は違和感なく連なっている。基本的にずっとふざけていて最高。それでいて、撮影は邦画界のトップランカーカメラマンである月永雄太(近年で言えば三宅唱の『ケイコ、目を澄ませて』『夜明けのすべて』『旅と日々』、横浜聡子『海辺へ続く道』など)、美術にはクレジットされているだけで画面の充実が担保されてしまう安宅紀史。映画界が羨む贅沢さだ。キックボード“ドンソク”で町を縦横無尽に走り回るシークエンスでの奥行きある画面設計、それらを風景のように横切っていく一ノ瀬洋輔(松田龍平)、画面の外の水や鳥の音が鳴る録音、編集と音楽の心地よさ。ここにはテレビドラマのレベルを超えた豊かさがある。


そして、松田龍平による“探偵もの”である。『探偵物語』の工藤俊作というペルソナを持つ松田優作の息子である彼は、『悪夢探偵』『まほろ駅前多田便利軒』『探偵はBARにいる』など、定期的に“探す人”の役割を俳優として求められてきた。今作では企画段階から松田龍平が参加しており、偉大なる父の喪失と求められる探偵の役割、ということについての自己言及をドラマに織り込んでいる。

香澄「いつから探偵を?」
洋輔「あー…まぁ…気が付いたら?親がそうでしたから」
香澄「え?」
洋輔「父が探偵やってて…この町では人気者だったんで」
香澄「お父様は今?」
洋輔「消えました」
香澄「え?」
洋輔「急にいなくなりました」
香澄「…すいません」 
洋輔「いいんです。みんな知ってますし。だから…なぜかこの町の人たちはその代わりを僕に求めるんです。
   まぁ僕はその留守を守っているようなもんです」

工藤がベスパを乗り回していたのに対して、洋輔は自分で発明したキックボードで移動する。工藤が牛乳を愛飲していたのに呼応するように、洋輔は飲むヨーグルトを飲み続ける(客人にはコーヒー牛乳を差し出す)、というように、明らかに『探偵物語』を意識した細部がある。


そして、洋輔というキャラクターはどこか足元がおぼつかない人として描かれている。“地に足がついていない”かのように、キックボードで町中を移動し、発明した“山村ニューバランス”で山道を走ろうとすればよろけ、結局はリュックに搭載されたジェット噴射で飛び立つ。サッカーボールでのリフティングを好むのも、足を地面につけていたくないからのように映る。スケートリング場を華麗に滑り回る元フィギュアスケーターの少女を崇め祈ってしまうのも、自身の足元のおぼつかなさからくるのではないだろうか。地底人、幽霊(足がない)、足湯、ロッキングチェアといったモチーフが画面を満たすことで、そのムードを増長させていく。この足元の定まらなさは、やはり父の喪失が影を落としているように思う。洋輔の父はこの町にいないのに、確かに“いる”。洋輔は偉大なる父の痕跡を意識せざるを得ない。洋輔の父の喪失は、劇中で頻繁に登場するドーナツの“穴”のように、そこにないのにあるのだ。そして、ここまでの3話における、マツタケ泥棒、地底人探し、地球外生物による連続殺人事件といった荒唐無稽な事件たちが、おふざけを撒き散らした果てに“家族の問題”に収束していることに気づく。やはり、やりたいのは“親子”の話なのだ。


探偵というのは、“たしかにあったもの”の記憶や痕跡を必死にかき集め、証明していく職業だ。洋輔と松田龍平の、急にいなくなってしまった父を、“なかったこと”にしないために、探偵の役割を引き受ける。余談にはなるが、このどこか松田優作に捧げるかのような作品に、洋輔の母役として松田家と家族ぐるみの付き合いがある盟友・原田美枝子松田美由紀原田美枝子の縁は『北の国から』から始まる!)がクレジットされているのも心憎い。


この作品のタイトルである「リュック開いてますよ」というのは、沖田監督のインタビューによれば、

探偵なのに注意力散漫で、そもそも背中を取られている。ギャップを感じさせるタイトルがおもしろいと思って。

とのことだが、もう一つの意味が隠されているように思う。自分では見えない背中のリュックを、「開いてますよ」と、チャックを閉めてくれる人がいるということ。

このドラマはそういう“優しさ”のようなものを映し取ることを志している。たとえば2話での、洋輔が間借り人である香澄の分のコロッケを買っていこうか悩んでいたことを肉屋づたいに聞くことで、今度は香澄が洋輔の分のコロッケを余分に買って帰ってくる。こういった本来は目には見えず消えてしまうはずの“優しさ”の痕跡のようなものを探し出し、なかったことにさせない。そういうフィーリングがこのドラマには貫かれている。ハードボイルドではないが、ただのゆるふわおふざけではない、懐かしくも新しい探偵ドラマなのである。

水曜日のダウンタウン「名探偵津田第4話 〜電気じかけの罠と100年の祈り〜」


「名探偵津田」のおもしろさは、フィクションによる自我の境界の揺らぎだ。そのおもしろさが加速した第3話においてダイアン津田より提唱された“1の世界”と“2の世界”という概念。“1の世界”とは津田が探偵として存在する虚構の世界で、”2の世界“は、津田がお笑い芸人である現実。この2つの世界の間で、津田は「どっちが本当の自分なのだろう?」と存在の足場がグラついていく。現実が”2“で、虚構が”1”であるのが興味深い。普通は逆ではないだろうか。単なる津田のパッとした思い付きに過ぎないのだろうけども、現実の津田が名探偵の世界に移行する際に、"マイナス1"が発生するということだ。ちなみに、第4話に登場したデロリアンはあえての『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』仕様(1ではプルトニウムを動力源としていたが、2ではゴミを燃料に変換する「Mr.フュージョン」が追加された)で、“1の世界”の出来事あるけども、あえてのパート2だ。ややこしい。



この2から1へ、という運動性を念頭に置くと、この第4話において江田島家のかかりつけ医としてお笑い芸人でザ・たっちのたくやだけがキャスティングされている意図が見えてくる。誰しもが双子と認識しているたくやが、"2の世界"では1人ぼっちで存在している。このマイナス1、すなわち”喪失“のフィーリングである。そして、最初に殺害されたのは誰だったか。劇団ひとりである。”ひとり“という芸名が示唆的だが、元々はスープレックスというコンビ。そして、殺人現場を目撃していたのは、元・ビリジアンの小籔千豊と元・巨匠の岡野陽一。探偵の相方であるみなみかわは元・ピーマンズスタンダード。そして、この企画のプレゼンターを務めるのは元・バカリズムバカリズム升野英知)。全員がコンビ解散という相方の喪失を経験した、ピン芸人たちなのだ。


そして、女たちもまた喪失している。

いつまでもお慕い申しております

と愛する旦那に先立れるという喪失を抱えた未亡人の幽霊が200年前から現れ、その子孫である理花もまた

私はいつまでも貴方をお慕い申しております

と同じ台詞でもって、名探偵津田への恋心を100年間にわたり持続させ、悲劇を連鎖させていく。理花の想いは、おそらく血を分けているであろう理佐や理奈にまで伝染し、色んな場所や時間でもっと、名探偵津田との恋を多発させていく。”1の世界“に生きる理花たちと、本来は”2の世界“の住人である津田篤宏は、永遠に結ばれることはない。この美しく悲しい恋物語、2→1という、このマイナス1の”欠落“が、「名探偵津田」シリーズの根幹だ。


そういった作り込まれた世界観は、伏線の張り巡らされた無駄のない脚本と評されているが、実のところ無駄な部分はたくさんあり、その無意味なパートこそが「名探偵津田」シリーズの肝であるように思う。それこそ、2025年の流行語大賞にもノミネートされたシリーズを代表する名台詞

長袖をください

もそうだろう。この台詞はストーリーの本筋には何ら関係ない。急遽予定が変更になり新潟行きが決まり、「服の布が足りない、ユニクロに行きたい、となる。この異様なリアリティに即した物語上の“ノイズ”の部分が「名探偵津田」という作品のトーンを形作ってている。第4話であれば、宿泊した部屋に大きな蜘蛛が出るだとか、枕が高くて眠れないだとか、そういった豊かなノイズ。これは、生きることの質感そのものであり、名探偵という宿命への津田なり抵抗だ。そのノイズの振動が、“1の世界”と“2の世界”をグラグラと揺らし、観る者の心をも揺さぶるのである。

カナメストーンが重ねていく"青春"のページ


過去最高レベルと名高い『M-1グランプリ2025』、カナメストーンが敗者復活戦で21組の中から勝ち上がった瞬間、わたしは涙を流しながら、雄たけびを上げていた。カナメストーンに対する、この強い思い入れは何なのだろう。ファンの熱量は異様に高く、芸人からの支持も厚い。M-1はラストイヤーであり、芸歴は15年。ニューヨーク、鬼越トマホーク、横澤夏子おかずクラブ、Aマッソ、野澤輸出、マテンロウ、デニス、黒帯あたりと同期。


M-1グランプリ』での漫才を見ただけではピンと来ない人も多いかもしれない。カナメストーンの漫才は、ボケ数が多いわけでもないし、テンポ感があるわけでもないし、芸能人の名前を連発するし、構成も変だし、M-1グランプリという賞レースで勝つためにこうあるべきという枠組みから明らかに逸脱している。審査員たちは、それを"雑味"と評していた。「こうあるべき」をわかった上で、そういった効率的なものを無視し、“俺たちがおもしろいと思うこと”をやる。その覚悟と決意、そして、それを感じさせない底抜けの明るさと軽さ。そこに痺れてしまうわけだけど、もっと説明が必要だろう。一体、カナメストーンの何がそこまで人々を惹きつけるのか。“人たらし”なカナメストーンの魅力について考えてみたい。


まず、カナメストーンはとても仲がいい。ポッドキャスト番組『カナメストーンのカナメちゃん村』は“放課後を会話盗み聞き”しているようなと評される、部室ラジオの真打ちという感じ。そう聞くと、ホモソーシャル的なものを連想するかもしれないが、彼らを表すのにふさわしい言葉はブロマンスだろう。山口が連発する“モチロン”、“キビシィ”、“ナニッ" 、“ゴメンネ”、"ウソダロッ"、"キィヨォ"、“限りです”といった言葉遊びの数々に、「クックックッ」と笑う零士。その様相は、2人だけにしかわらない言語で戯れる恋人のようである。カナメストーンの間には性愛を超えた愛情があって、共同体といった言葉も生温く、もはや2人で1つの身体であるような結びつきがある。


そんな仲良しの彼らは中学の同級生コンビで、驚くべきことに、板橋区の古い一軒家に15年以上にもわたり2人で暮らしていて、その様子はYouTubeチャンネル『しゃれこめカナメストーン』で堪能することができる。


金銭的な理由で2人暮らししているのでなく、“2人でいるのが楽しい“から一緒に住んでいるのだ。芸人コンビであるので仕事はもちろん一緒。それでも飽き足らず、家に帰っても一緒。同じ飯を食い、眠る直前まで、片方の部屋に集まりお喋りをしている。NSCの同期であるニューヨーク屋敷は2人をこう評す。

“青春の1ページ”がもう辞書くらい続いてるやん

青春の延命。素敵だけど、危険だ。お笑いシーンでは圧倒的に人気者で、ライブでは敵なしの彼らだが、一般的に言えば売れていない無名の芸人。借金も抱え、40歳を目前にして、不安や焦燥は絶対にあったはず。それでも、彼らは

俺たちは大丈夫だ

と自らを鼓舞し、いつだって底抜けに明るく楽しそうに暮らしている。


なんでもわかりあえる友達と、好きなことをして働き、ずっと楽しくやっていく・・・羨ましい。けど、自分には無理。社会のルールのようなものと照らし合わせ、安定した道を選んでしまう。つまり、カナメストーンというのは、わたしたちが進みたかったけど、選べなかった道なのだ。しかし、選ばなかったからといって無関係なわけではない。その道を進んでいたかもしれないわたしもまた、現在のわたしの一部であって、カナメストーンが楽しくやっている姿を見ると、まるで別の世界線の“わたしたち”が笑っているように感じる。それがカナメストーンというコンビが持つ、異常なまでの引力の秘密ではないだろうか。


<余談>
安定した道を選んだこっちのわたしは、娘が生まれた。『M-1グランプリ』の敗者復活を無理矢理に鑑賞させられた彼女は、カナメストーンの名前を覚え、鍵盤を叩きながら「あーーー」と悪魔に連れていかれる遊びにハマっている。どうかカナメの2人のように、ひょうきんに明るく育って欲しい。

ふじきみつ彦『ばけばけ』-「カイダン、ネガイマス。」に宿る官能-


最近の『ばけばけ』が凄いとこになっている。怪談を軸としながらも、超一級のラブストーリーが、繊細に繰り広げられている。トキとヘブンそれぞれの気持ちは、決して本人の口からは語られていない。しかし、画面の中には確かに“想い”が立ち上がっており、それらが交感し、すれ違い、沸騰している。この2人の想いの在りよう、言葉にされないけれども確かに存在しているという質感は、幽霊や妖怪といった“目には見えないもの”、のようである。


そして、12週目の「カイダン、ネガイマス。」における異様なまでの官能性ときたら。トキとヘブンの間で“怪談を語る”ということが、性交のメタファーのように機能している。怪談を語るには明るくてはいけない。明かりが入らないよう窓を閉め切り、真っ暗な部屋に蝋燭を灯し、2人きりで、しめやかに執り行われる。そして、怪談を語り終え、蝋燭の火を息で吹き消すトキのアクションは、あたたかもヘブンへの“接吻”のようである。ヘブンは興奮を抑えきれず、「オネガイ」「モウイッペン」「モットキキタイ」「ハヤク!ハヤク!」とせがみ、トキが「またですかぁ」と照れて、「何べんでも、何十篇でもその要求に応える。仕事を休んででもトキの怪談を聞きたいヘブン。

ヘブン:デハ、(職場の)チュウガッコウ、ヤスム
トキ:えっ?No!No!No!No!
ヘブン:ジョウダン、デモ、ソノキモチアル、スグカエリマス
トキ:大急ぎで・・・待っちょります

まるで溢れる欲望を抑えきれない新婚夫婦の会話のようだ。ヘブンと怪談でわかり合えたトキの高揚。まわりのものは、どうしたって色恋沙汰を勘ぐる。ヘブンもまた、はじめてトキから怪談を聞かれた翌朝に感慨に耽る。

なんてすがすがしい朝だろう
全ての景色が違って見える

これはもう童貞を喪失したかのようなありさまである。“ヘブンに怪談を聞かせていること”をトキが錦織に伝える時の会話も、「もうやっちょります」「毎晩えらーく遅くまで・・・」と、どこか卑猥な匂いを漂わせている。ここらへんはあくまでコメディであって、2人の“怪談”にはもっと強烈な官能性が潜んでいる。


トキがヘブンに最初に聞かせる怪談は「鳥取の布団」という、 “寒かろう、寒かろう”と身体を寄せ合いながら凍え死んだ兄弟の“布団”が喋り出すお話だった。その次に語ったのは、子が生まれては川に捨てる親と子の関係を描いた「子捨ての話」という怪談。どちらの話にも、“死”の後ろに性の営みが蠢いている。


それ以上に“怪談を語る”ということに官能性が宿るのは、怪談が口伝で広がり、あらゆる人々を“通り抜けてきた”からだろう。「鳥取の布団」をトキに教えたのは元・夫の銀二朗であった。怪談を聞かせること/聞くことは、魂を分け合うことなのだ。であるから、ヘブンはトキに自分の言葉で語るように求める。

ホン、ミル、イケマセン
タダ、アナタノハナシ、アナタノカンガエ、アナタノコトバ
デナケレバイケマセン

怪談を語ることによって、トキの思考がヘブンの身体を通り抜けていく。ここに異様な官能性が宿る。前述の「鳥取の布団」をヘブンは、

カナシイ、トテモカナシイ
デモ、アニ、オトウト、ズットイッショ、ヨカッタ

と解釈する。トキもまた同じように「子捨ての話」をこのように解釈している。

何遍捨てられても、この子、同じ親の元生まれた
この子の親思う気持ち、強い
それを知ったこの子の親、この子、大切に育てると思います
相手の気持ち知ることで......なんか、ええことになったらええなあ、思います

哀しいお話に別角度から光を当てることで、話の意味を反転させてみせ、それぞれが抱える心の傷をも癒していく。そして、ヘブンは言う。

スキデス
アナタノハナシ、アナタノカンガエ、アナタノコトバ、スキデス

表面上は“トキの怪談”の話をしているのだけども、これはまるでトキの魂ごとを愛するかのような告白だ。こんな純然たるラブストーリーがあろうか!

君が怪談を語れば語るほど滞在記は完成に近づき
先生はここからいなくなるということになる

錦織が言うように、2人を強く結びつける怪談は、それが語られるほどに、2人の別れが近づいていくのだという。語りたい/けど語りたくない、この背反する気持ちを繊細に表現した髙石あかりの名演。こんな切ないラブストーリーがあろうか!!次週からは恋のライバルたちが再登場し、物語はラブストーリーの純度を高めていく様子。ますます目が離せないのです。

Netflix『ラヴ上等』-なぜ、水はやべぇのか-


Netflixの新しい恋愛リアリティショーである『ラヴ上等』がおもしろい。抜群におもしろい。ヤクザや暴走族といった出自、もしくは家庭環境などに壮絶なバッグボーンを背負った元ヤンキーたちが、山奥の学校“羅武上等学園”で14日間の共同生活を送る。序盤から画面を満たしていく特攻服、和彫り、メンチの切り合いや釈迦寝などのヤンキー仕草。ガラパゴス化した日本独自の文化の強いルックの数々に、「世界に通用しそうなコンテンツが発明されてしまった・・・」と恐れおののく。企画・プロデュースを務めたMEGUMIは冴え渡っている。オープニング曲に使用されているのはglobeによる1998年のヒットナンバー「Love again」だ。煌びやかなのだけど、切実な楽曲が番組の雰囲気にバッチリとハマっている。「Love again」というと、思い出されるのが、平成を代表するTBSバラエティ『学校へ行こう!』の人気企画「B RAP HIGH SCHOOL」における軟式グローブの“アホだなぁ”(原曲の”I’m fallin’ love“のもじり)のフレーズだろう。火曜日の夜にV6の『学校へ行こう!』を観て、チャンネルはそのままに、ほぼ同じ制作陣によるTOKIOの『ガチンコ!』に流れていく・・・20世紀末のあの頃の時間を思い出してしまう。実際のところ、『ラヴ上等』という番組のフォームやフィーリングは、『学校へ行こう!』や『ガチンコ!』にかなり近しい。特に「ガチンコファイトクラブ」に関しては明確なリファレンス元だろう。「ガチンコファイトクラブ」のヤンキーたちの狂騒と、『学校へ行こう!』の人気企画「東京ラブストーリー」(『あいのり』と共に日本の恋愛リアリティショーの元祖と言っていいだろう)を掛け合わせてみたことで、これまで観たことがない歪さと強度を持った番組が誕生してしまった。ルックバック、新しい輝きはいつも過去からやって来る。



元ヤンキーであるメンバーたちの恋愛模様はスピーディーかつストレートで特に駆け引きなどはないし、メンバーが口々に語る「まじ深い・・・」というようなエピソードも実のところ大した会話は展開されていない。では何があるのかというと、飾りのない感情の爆発で、それがときに偽りなき美しい“魂”の発露となり、観る者の胸を震わす。彼らの魂の根源には、孤独ゆえの“愛されること”への異常なまでの飢餓感があって、それは小室哲哉の往年の楽曲にも通ずる。社会不適合者として阻害されてきた彼らは一様にどこか傷ついている。それゆえの心の欠落が、 “渇き”という形で画面に表出しているところが今作の肝だろう。


メンバーたちは常にボトルに入れた飲み物を携帯し、口に水分を流しこむ。異常なまでに飲むのだ。「なにかしらの所作を挟んであげることで、カメラになれていないメンバーの自然な状態を収める、という演出の意図とも考えられるだろう。であれば、番組の引きになりそうな調理や食事のシーンは挟みこめばいいのだけども、そちらはあまり映らないのに対して、とにかく飲み物を口に含むシーンが画面を占めているのだ。であるから、この水分補給には、メンバーたちの“渇き”が演出されていると言えるだろう。そして、彼らの恋愛模様を大きく動かすのは“サウナ”というシステム。一日の最後に、選ばれた女性メンバーが気になる男性メンバーを指名し、共にサウナに入る。汗を流し、水風呂に浸かる。つまり、“渇き”を極限状態にして、水で潤すということだ。そうすることで、メンバーたちはいとも簡単に親密さを高めていく。サウナの中でたいした会話が為されているようには思えないのだけども、入った後には驚くほどに好意の矢印は強化されていく。デート先で露天風呂で混浴するシーンもあるのだが、ここでもやはり恋心が大きく動く。ここで演出されているのは、渇いた彼らが“水”で満たされていく、ということである。


タックルときぃーちゃんの距離を縮めたたこ焼き作りにおいては「水が2000ml/え?200じゃね?200じゃない?」という会話が印象的であった。さらに、新メンバーが登場するシーンを思い返してみよう。ホスト“てんてん”の登場シーンでは、女性メンバーがシャンパンタワーに参加することで、グラスを水分でひたひたに満たしていく。そして、すでに語り草となっているショーダンサーAMOの登場EP“水はやベぇだろ”だ。ステージ演出の一環でAMOが客席に撒いた”水”がかかったことで、Babyという女性メンバーがブチきれてしまう。カップに入ったレモンサワーをAMOの顔にぶち撒けてつぶやく、水はやべぇだろ。それまでかわいらしい女の子として存在していたBabyの突然の凶暴化に、スタジオにいる永野の

グレムリンじゃん*1

という秀逸なコメントも忘れ難い。それはさておき、ここでも“水”が重要なモチーフとして機能している。彼らの孤独な渇きを癒す“水”は神聖なものであって、他人から暴発的に浴びせられるものではない。だから、Babyはあそこまで怒りを露わにしたのだ。そして、現在のところの最新EP“乱入くれた方がいいよ”においては、屋形船が登場し、常に海(水)が画面を支配していた。あの塚原とBabyの素晴らしき押し相撲や、”おと“の二世への一途な想いの発露(いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう!!)は、船の甲板にて行われ、背後には水がユラユラと揺らめいている。彼らの”渇き“を潤すかのように・・・ここまで書いていて、「そんな演出をしているわけないだろ」と自分自身でも少し思う。しかし、そういった意図していないかもしれない演出が介在してしまう画面の作り込みが『ラヴ上等』には確かにあって、そこに強く惹かれている。


最後に、まだか完結していないので、演出予想してよろしいでしょうか。“羅武上等学園”という学校の設定ですので、「1.暴力 禁止  2.器物破損 禁止・・・」というように校則が掲げられていて、それが何度もカメラに映し撮られている。そこでクライマックスに流れるのが、globe「Can’t Stop Fallin Love」だ。マーク・パンサーがラップする。

道徳もない 規則もない 
誰も止めることもできないsaga
君にできること 僕にできること 
君が欲しいもの 僕が守るもの 
正義も勝てないこの世で1つくらい
Livin’on and Keep on the EDGE
きつく きつく 抱きしめたころ
そろそろ季節もきつくなる

自分たちは縛り付け、痛めつけてきた社会の道徳も規則もブチ破り、SAGA“性”に導かれ、恋に落ちずにはいられない。最終エピソードの配信開始は、季節がきつくなるクリスマス前の12月23日。震えて待つ。わたしの推しはもちろん、おとちゃんです。

*1:グレムリン』におけるギズモは、水をかけられると凶悪な個体へと繁殖していく