青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

生方美久『silent』6~7話

<イントロダクション>

ジョン・アーヴィングというアメリカの小説家がいて、彼のデビュー作『熊を放つ』(1968)の中に、

過去の恋人も君たちの親みたいなものだ

と子に語る父親が登場する。さらに、RADWIMPSがアルバム『RADWIMPS 4〜おかずのごはん〜』(2006)の中で発表した「me me she」という楽曲があって、そこではこんなリリックが野田洋次郎によって歌われる。

僕が例えば他の人と結ばれたとして
二人の間に命が宿ったとして
その中にもきっと 君の遺伝子もそっと
まぎれこんでいるだろう

RADWIMPSme me she

どちらも10代の頃に触れた時は「なんか気持ち悪いな」と思ったものだけど、あれから年月を重ね、人間というのはそういう風にできているような気もしている。坂元裕二のドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(2021)の中では、松たか子演じる主人公が、離婚した元夫にこんな言葉をかける。

別れたけどさ 今でも一緒に生きてると思ってるよ

別れたけど、一緒に生きている。「遺伝子にまぎれこんでいる」とまでするといささか抵抗があるかもしれないが、つまりはそういうことだ。恋をすること、いや、人とコミュニケーションするということは、自分自身の一部を分け渡すということなのだ。互いの一部を交換(交感)し、混ざり合っていく。

<混ざり合うということ>

生方美久の描く『silent』もまた、イントロダクションにおける理念のようなものがドラマ全体に貫かれているように思う。そうであるからこそ、紬(川口春奈)と想(目黒連)という主役の2人の恋以上に、湊斗(鈴鹿央士)や奈々(夏帆)といった一般的には当て馬と呼ばれるようなキャラクターの恋模様や心情をこれ以上ないほどに丁寧に描いていく。それは、主役である紬と想の現在を形作っているのが、湊斗や奈々であるからなのだ。それは6話と7話に登場した以下の2つの台詞に集約されるだろう。

(湊斗と過ごした)この3年あっての姉ちゃん(紬)だから

今の佐倉くんがいるのは奈々さんのおかげなんだなって思って

湊斗と奈々の恋心は結実しない。しかし、2人の魂は確実に紬と想に受け渡され、混ざり、溶け合っている。この“混ざり合う”というイメージを『silent』という作品において駆動させているものは多々ある。まずは、“ハンバーグ”だろう。紬と湊斗の間で何度も話題に上がり、ファミレスで注文されるだけでなく、紬よって手作りされ、挽肉とパン粉を“混ぜる”シーンすらしっかりと画面に映し撮られている。紬と湊斗の恋は、この混ぜることで作られるハンバーグで始まり、ハンバーグで終わる。ハンバーグは紬と湊斗の象徴だ。であるから、湊斗と別れた紬は、想との食事の際に、一度は「何でもいい」としながらも、「やっぱりハンバーグ以外にして」と提案し直す。しかし、そこで想によって選ばれたのは“お好み焼き”だ。ハンバーグ同様にやっぱり混ざり合ったもの。また、ハンバーグよりも先に紬と湊斗の気持ちを交感させたのは、”犬と猫“(異種が混ざり合っている)の仲良し動画であったし、紬が愛する”パンダ“や、想と湊斗を繋ぐ”サッカーボール“も、どちらも白と黒が混ざり合ったものだ。最も印象的なのは、5話において湊斗がベッドで見る夢と、紬がハンバーグをこねながらする回想が”混濁“していた点だろう。さらに、7話では、「互いに耳が聞こえていて、声で話し合う」という奈々の切ない祈りの夢を、想が違う場所・違うタイミングで同じように見ていたという混濁が描かれる。どちらも2組のカップルの別離を描くと同時に、魂のようなものが混ざり溶け合っていく。

<受け渡すということ>

混ざり合うためには“交換”や“受け渡し”が必要で、このドラマにおいて、それらは多岐にわたって描かれている。もっともわかりやすいのが、CDや本の貸し借り、もしくは一緒に観た/聞いた映画や音楽だろう。

今度CD貸すね

高3の時 アルバム全部一気に想に借りてさ スピッツ

紬が教えてくれた音楽とか映画とか いいねって感想しか言えなくて
俺 ホントつまんないから

わたしの好きな音楽とか映画とか 全部いいねってしか言ってくれなくて
教え甲斐ないし

じゃあ萌が(お兄ちゃんのCD)もらう 萌の部屋運ぶね

想くんが勧めてくれる本、正直あんまりおもしろくなかった

愛するカルチャーをオススメすることは自分の魂の一部を交換し合うことのようだ(であるから、想は聞けなくなったCDを捨てないし、萌はそのことを理解している)。想が愛読している作家だからと、奈々がわざわざ図書館で借りてまで手にした峯澤典子の詩集。内容は難しすぎたとしながらも、それは紬と奈々の間でも共有される。想から紬に分け渡されたスピッツの音楽は紬の頭に想だけでなく、湊斗の記憶を呼び起こす。本やCDの貸し借りだけでも複雑に絡み合っていくのだが、その複雑な“受け渡し”の最たる例は手話だろう。奈々が想に教えた手話を、現在は想が紬に教えている。さらに、(おそらくなのだけど)紬が春尾先生(風間俊介)から教わっている手話もまた、奈々から春尾先生に渡されたものなのだ。

プレゼント使い回された気持ち
好きな人にあげたプレゼントを包み直して他人に渡された感じ

この複雑な譲渡を、6話において奈々はこう表現する。しかし、「今の佐倉くんがいるのは奈々さんのおかげなんだなって思って」と懸命に手話で伝えてくる紬を見て、

今はおすそ分けしたって気持ち
あげて良かったって気持ち

と心変わりしていく。想の中に奈々がいて、そんな想を通して紬の中にも奈々がいる(今も一緒に生きてる)。であるならば、奈々の報われなかった恋にも意味があるように思えてくる。これが、主人公2人の恋路を遠回りさせてでも、描きたかった生方美久の肯定の筆致であり、それが

聴者とろう者と中途失調者
みんな違うから
わかり合えない

という劇中の言葉を否定していく。どんなに違うわたしたちでも、言葉や感情を交わしていくことで、混ざり合い、わかり合っていく。


7話におけるハイライトは、図書館で子どもと触れ合う想を見かける奈々のあの表情だろう。「あぁ、この人のことを好きになってよかった」という顔。「わたしの恋は叶わなかった。でも、“この人のことを好きになった”その事実が、これからのわたしの人生を救ってくれる」と確信する顔*1なのだ。この情報量を表情だけで伝えきる夏帆という偉大なる女優に目一杯の賛辞を。

*1:この恋を思い出していつかきっと泣いてしまう