青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

生方美久『silent』1~5話

言葉はまるで雪の結晶 君にプレゼントしたくても
夢中になればなるほどに 
形は崩れ落ちて溶けていって 消えてしまうけど
でも僕が選ぶ言葉が そこに託された“想い”が
君の胸を震わすのを諦められない
愛してるよりも“愛”が届くまで


Official髭男dism「Subtitle」

佐倉想(目黒連)が読み上げる作文の冒頭の「言葉はなんのためにあるのか?」に導かれるように、このドラマは“言葉”を巡る物語である。しかし、その脚本の筆さばきは、言葉というものの力をむやみやたらに祭り上げるというのではなく、どこか言葉の“不確かさ”、“信用ならなさ“に重きを置いているように思う。たとえば、想がひた隠しにしていた秘密の漏洩は、萌(桜田ひより)が湊斗(鈴鹿央士)に問いかけた「湊斗くんってさぁ、知ってるんだっけ?」というやりとりの言葉の不確かさが生み出してしまったものだ。また、特に重要であるのは1話冒頭の紬(川口春奈)と想のやりとり。青空に降りしきる雪を見て、紬が小さく叫ぶ。

雪降ると静かだよね
ねっ?静かだよねっ?

それを聞いて、想が笑顔で返す。

うるさい
青葉の声うるさい

「静寂を伝える言葉がうるさい」という矛盾めいたこのやり取り。そして、“うるさいと返した想も、紬のことを“うるさい”とは微塵も思ってはおらず、“うるさい”の響きにありったけの愛情を込めている。つまり、人と人のコミュニケーションというものは言葉だけで成立しているのでなく、言葉と、そこに込められた“想い”を感じる取ることで、はじめて成し遂げられる。これがこのドラマの信念のようなものだ。


教室で「なに聞いてるの?」と想に尋ねて、渡されたイヤフォンで想のiPodから流れる音楽を聴く紬。

紬「あぁ、はいはい、うんうん」
想「え、なにそれ」
紬「うん、いいよね、これすごくいい、うん」
想「知ってる?」
紬「知ってる」
想「本当に?」
紬「知ってる!」

紬は当然この音楽を知らないし、“知らない”ことを想は知っている。であるから、言葉は上滑りしているけども、このやりとりには“もっと近づきたい”という2人の想いが駆け巡っていて、だからこそ美しい。言葉の不確かさを巡る挿話として、もっとも顕著なのが、想から紬に送られた別れを告げるメール文だろう。

好きな人がいる。別れたい。

紬は「想には別に好きな人ができてしまったのだ」と解釈するのだけど、これはのちに、想の“好きな人”とは紬のことで、「その好きな人を傷つけたくないから別れたい」という意であったことが明かされる。言葉のマジック、その信用ならなさ。それゆえに、このドラマでは言葉を介さないコミュニケーションというものが何度も成立してしまう。1話のラストにおいては耳の聞こえない想と手話を理解できない紬の間において感情と表情だけで、4話では想と光(板垣李光人)の間でコンビに買った缶ビールの受け渡しだけで、想いの交感が見事に成し遂げられている。同じく4話では、部活のメンバーがサッカーとハイタッチという身体性を通じて、あの時と同じように想いをわかりあえてしまう。その様子を見ていた周囲は思わず漏らす。

言葉なんていらないんだね


生方美久という作家は、圧倒的な才能で言葉を駆使して物語を紡いでいきながらも、明らかに“想い”というものに肩入れしている。それは、冒頭に置いたofficial髭音dismの主題歌になぞらえるならば、言葉が溶けて消えて形をなくしても、そこに込められた“想い”は残り続けると信じているからだ。そして、そんな“想い”の痕跡こそが、人々をこの世に生かし続けているのだと確信している作家である。彼女がフジテレビヤングシナリオ大賞を受賞した『踊り場にて』は、恋や夢を諦めるということについて描いたドラマだった。

舞子「実ったら好きじゃなくなっちゃうってこと?」
優子「消しゴムで消されちゃうってこと」
舞子「なにそれ?」
優子「でもね、大丈夫なの
   消しゴムだから ちゃんと消しカスが残るから
   筆圧が強ければ鉛筆の跡もちゃんと紙に残るから
   なくなっちゃうわけじゃないの」


生方美久『踊り場にて』(2021)

諦めがついた時に
気持ちはどこにもいかなくて済むんですね
自分の中に落とし込めるっていうか


生方美久『踊り場にて』(2021)

夢を追ったことがある人だけの特権ってのがあってね
それは「夢を追いかけた」って事実です
挑戦したことだけは褒めてあげられます
次に新しい何かをやろうと思った時
過去の自分が ちょっとだけ ほんのちょっとだけ
やさしく肩を抱いてくれます
背中を押すってほどではないです
そんな大それたことはしてくれないけど
でも肩にポンって手を置いてくれます
それで生きていけるってこともあるから


生方美久『踊り場にて』(2021)

この彼女の作家としての感性を作り上げたのは、坂元裕二スピッツ、『ハチミツとクローバー』といった彼女が敬愛して止まないであろう作家や作品の影響が大きいに違いない。*1坂元裕二からの影響は言葉のリズム、指定代名詞などを駆使したセリフ廻し、ファミレスやイヤフォンといったモチーフなどからも顕著だが、それだけでなく、坂元裕二作品が繰り返し訴え続けているテーマを生方美久もまた継承している。

人が人を好きになった瞬間って、ずーっとずーっと残っていくものだよ
それだけが生きてく勇気になる
暗い夜道を照らす懐中電灯になるんだよ


坂元裕二東京ラブストーリー』(1991)

ずっとね 思ってたんです
いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまうって
私 私たち 今 かけがえのない時間の中にいる
二度と戻らない時間の中にいるって
それぐらい眩しかった
こんなこともうないから 後から思い出して
眩しくて眩しくて泣いてしまうんだろうなぁって


坂元裕二いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016)

私の好きはその辺にゴロゴロしてるっていうか・・・
ふふっ、寝っ転がってて
で、ちょっと ちょっとだけがんばる時ってあるでしょ?
住所をまっすぐ書かなきゃいけない時とか
エスカレーターの下りに乗る時とか
バスを乗り間違えないようにする時とか
白い服着てナポリタン食べる時
そういうね 時にね その人が いつもちょっといるの
いて エプロンかけてくれるの


坂元裕二『カルテット』(2017)

これらはすべて、叶わなかった恋が人生にどんな意味をもたらすのかを書き記したものだ。そして、それは劇中に何度か登場する『ハチミツとクローバー』とも共鳴するテーマである。

ずっと考えてたんだ
うまく行かなかった恋に意味はあるのかって
消えて行ってしまうものは
無かったものと同じなのかって・・・
今ならわかる 意味はある
あったんだよこここに
ボクがいて 君がいて みんながいて
たったひとつのものを探した
あの奇跡のような日々は
いつまでも甘い痛みとともに
胸の中の遠い場所で ずっと
なつかしく まわりつづけるんだ


羽海野チカハチミツとクローバー

叶わなかった恋、想いを告げることのなかった恋、うまくいかなかった恋・・・そのどれにも意味があって、それにまつわる“想い”は消えることなく、そこかしこに漂い、まわりつづけ、貴方の人生の航路を温める。この作家たちが想いを受け継いだ生方美久は、『silent』においてこんなセリフを書いている。

春尾「凄く好きな人と両想いになれなかったり、別れたり
   そういうとき思いません?
   この人と出会わなければ良かったって」
紬「好きになれて良かったって思います、思いたいです」

紬「始めちゃうと終わっちゃうって話
いつか別れること考えちゃうから女の子と付き合うの勇気いるって
付き合い始めた彼女に言うなよって思ったけど」
湊斗「もし別れても 別れたとしても
別れるまでに楽しいことがいっぱいあったら
   それでいいのにね」

実にストレート。それでいて、生方美久の筆致の優れているのは、雑談めいたものに落とし込めてしまう点にある。他にも、何気ない雑談の中に、“想い”の痕跡を表現するようなモチーフを忍ばせている。

紬「雪の中でサッカーしたらあれだね。どんどんボール大きくなるね。」
想「ん?」
紬「えっ、だって雪だるまってさぁ 転がして大きくして 2つ作って もう一個のっけて、ねっ?」
想「ボールに雪付いて、大きくなるってこと?」
紬「なるでしょ 雪だるま的に」
想「なんないよ」
紬「えっなるよ、絶対なるよ」

想「紙を42回折ると、月に届くんだって」
紬「なにが?」
想「紙が 紙の厚さが、こう折ってくとだんだん分厚くなるじゃん?
その厚みが月に」

痕跡が積み重なっていって、何かを成し遂げてしまう、届いてしまうというようなイメージが通底している。そして、「どうでもいい話ばかりしてた」と振り返るこういった会話そのものもまた、想の生きていく糧になっていることが、スピッツ「魔法のコトバ」や「楓」のリリックから伺うことができる。

君と語り合った 下らないアレコレ
抱きしめて どうにか生きてるけど


スピッツ「魔法のコトバ」

忘れはしないよ 時が流れても
いたずらなやりとりや
心のトゲさえも 君が笑えばもう
小さく丸くなっていたこと


スピッツ「楓」

誰かを好きになった “想い”の痕跡こそが、これからの人生を支えていく。であるから、『silent』は“出会わなければよかった”を否定し、すべての“出会えたこと”を肯定していく。

5話*2の段階では劇中の3人がどんな恋の決断を下していくのかはまだわからない。しかし、どんな結末を迎えようとも、生方美久の作劇の信念の元では、この世に存在するどんなラブストーリーもバッドエンドにはなりえない。そう確信する。

<余談>

生方美久…これが連ドラデビュー作だなんて信じられない。わたしが脚本家であったら嫉妬の感情でぐちゃぐちゃになっていたに違いない。最初の数話は坂元裕二への憧れがさく裂した文体だなあと思って観ていただのけども、どんどん生方美久固有の筆致みたいなものを形成していっている。状況設定の巧みさや恋愛感情の機微、そして何と言っても、誰にでも響く大衆性に物語を落とし込む手腕。電車で隣に座った初老の男性がタブレットでこの『silent』を熱心に視聴していて、その姿にどうにも心を撃たれてしまい、ひさしぶりにドラマの批評?感想?のようなものを書いてみようと思ったのだ。どうか、あのおじさんのもとにこの文章が届きますように。

役者の演技、カメラワーク、色調、衣装、音楽(『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の得田真裕!)・・・どれもが作品の格を底上げしている。演出が実に素晴らしい。想と紬のカットは駅の連絡通路から始まり、学生時代の告白、再開後の気持ちの交感、どれもが“橋”で撮られている。湊斗の目撃や決断も踏切や横断歩道にて撮られ、“橋”というモチーフが、別の段階への移行や離れたふたつの事象を繋げるものとして機能している。これらを統括しているプロデューサー村瀬健の手腕、そして『踊り場にて』1本で青田買いを決断するその眼識。

役者陣のすばらしさ。川口春奈鈴鹿央士、桜田ひより、板垣李光人、夏帆風間俊介篠原涼子、藤間爽子、山崎樹範、内田慈・・と出演者全員をほ誉めたたえていきたいのだけども、やはり主演級の3人だろう。川口春奈のあまりにも大きな瞳の情報量、そして零れる涙の美しさ。鈴鹿央士の体現する善良さと発声のテンポの大胆さ。そして、 “忘れられない人”を体現する目黒連*3。彼自身に内包されている“切なさ”のようなものが絶妙に役柄にマッチしている。


生方美久がツイートしている通り、このドラマがスピッツ「楓」みたいなお話であるとするならば、

さよなら君の声を抱いて歩いていく
ああ 僕のままでどこまで届くだろ

僕のままでどこまで届くだろう。「ほんと全然変わんないね」と湊斗に言われた時、想はどれほどうれしかったことだろう。そして、想があの頃の想のままで居続けるために、どれほどの覚悟と苦しみあったのかを思う。それはこのドラマを難病の悲恋モノに落とし込まないという脚本家の努力とイコールである。

*1:最初の作品なんてこれまでの自分の全部を詰め込めばいいから、好きなもの溢れちゃいますよね

*2:5話と言えば、湊斗の夢と紬の回想が混濁している凄まじさ!そして、湊斗がスピッツの「みなと」であり、すなわち“港”であることが示唆され、“見送る人”としての人物造詣が完成されてしまうという。しかし、“迎え入れる人”であるのかもしれない

*3:ちなみにわたしはSnow Manだと、目黒くん、向井くん、深澤さん、舘様が好き