青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

寒竹ゆり『First Love 初恋』


どこか憤りを感じながらも一気に視聴してしまった。停止ボタンを押すことができないということは、それなりに楽しんで観ていたことは否定できないのだけど、その求心力は満島ひかりという俳優の魅力に寄るものであって、脚本自体は思いついたことを思いついた順に書き綴ったかような構成の稚拙さがどうしても目につく。このエピソードを視聴者を提示するタイミングは果たしてここで正しいのか?という疑問がひたすらに沸き立っていく不快感。一方で、その荒っぽい筆の乗り方が醸し出す濁流のような勢いが作品の魅力でもあって、視聴しながらああだこうだ感想を述べているうちに全9話約10時間があっという間に過ぎ去っていく怪作だ。劇中に何度も登場するナポリタンが食べたくなったり、ひさしぶりに宇多田ヒカルの1stアルバムを聞き直してみたり、さらには『タイタニック』(これも劇中に登場する)を観直してみたくなったりもしていて、意外と心に残ってもいるのかもしれず、作品への評価の判断がつかないままにこの文章を書き進めている*1


監督と脚本を兼任している寒竹ゆりは岩井俊二の正統な弟子筋であって、仕方ないにせよ「“平成”というのは岩井映画のことである」というような誤った時代認識を持ち合わせていて、彼の代表作の意匠のトレースが作品の骨幹を成している。『Love Letter』や『四月物語』に倣って北海道を舞台に選ぶなんてのはかわいいものだけども、上京した主人公が暮らすアパートが『スワロウテイル』の無国籍な“円都”のようなヴィジュアルであるのにはいささかはてなマークが浮かんでしまうというか、もっと普通に平成の風俗を再現すべきなのでは。それでも、離婚した父親との再会の場に鰻屋を選ぶという『花とアリス』のマニアックな引用にはニヤリとしてしまうし、岩井俊二チルドレンを全うするのであればそれはそれでいいのだけど、どうやら寒竹ゆりは坂元裕二と韓国ドラマへの憧れも持ち合わせているようなのだ。シングルマザー、交通事故、記憶喪失、手話、格差婚、自衛隊、震災・・・と本来一つあれば充分なトピックやモチーフが渋滞している。そうすると、登場人物への心情へ寄り添うのが困難になってくるし、ナポリタンや白桃の缶詰やコーンポタージュといった細部、セリフ廻しや物語展開といった全体までが何かの偽物のような印象を抱いてしまうのだった。


CD、環状交差点、コインランドリー、火星といった“回転”のモチーフを数多に駆動させながら、タクシー(孤独と出会いのメタファー)が走りぬけ、約20年という時の流れを描いていく。今作は宇多田ヒカルが1999年にリリースした「First Love」と、2018年リリース「初恋」という2曲にインスパイアされたものであり、つまりは

You are always gonna be my love
いつか誰かとまた恋に落ちても
I’ll remember to love
You taught me how

という「忘れられない恋」についての物語。しかし、宇多田ヒカルの楽曲は、「その忘れられない恋は次に会う誰かとの恋にも息づいているよ」という歌であって、歌詞に倣うのであれば

今はまだ悲しいLove Song
新しい歌 うたえるまで

となり、次に進んでいくということを勇気づける。今作のように、本当にずっと忘れられず、しっかりと再会しを果たしてしまう話というのはどうにも違うのではないかなという気もする。まぁ、一般的にはラブストーリー(殊更開かれたテレビドラマにおいては特に)は結ばれてなんぼなのかもしれないので、そこは好みの問題だろう。今作においては、「運命の相手」というのがなにより重要で、劇中の言葉を借りるのであれば、最愛の人に出会える確率は60億分の1、その奇跡を称える。であるから、今作では異様に人が密集している画が映し撮られている。晴道の実家の密度からはじまり、タクシー会社、街並み、公園、学校、パーティー、空港、結婚式、自衛隊・・・そのどれにもびっしりと人が配置されいて*2、さらには劇中においてしつこいほどに人と人とがぶつかるシーンをカメラが捉えている。この画面の質感が「無数の人々の中からたった1人の君を見つけ出す」という奇跡をより感動的なもに仕立てあげていると言えよう。


視聴の上でなにより気になってしまったのが、主人公の過去と現在を演じる八木莉可子満島ひかりが同一人物として頭の中で結びつかない点だ。八木莉可子は悪くないどころ好演しているのだけど、どう考えても彼女とタクシードライバー満島ひかりは別人なのだ。そういうホラー展開なのかなと邪推してしまうほどに*3。なにも見た目が似ていないという話ではない。満島ひかりというのはあまりにも個別の存在であり、その魂みたいなものは誰にも似つかないからだ。すべての人々にすべての感情が届きますように、と祈るかのようなあの発声と表情。そして、どにも拠り所がないかのような身体の窮屈さ。それでいて、命が弾けるようなあの躍動を誰が真似ることができようか。あの坂元裕二にして、「“一緒にもういる”って感じなので」と言わしめる存在であって、彼女の発する言葉は坂元裕二が書くそれと限りなくイコールに近い。だからなのか、満島ひかりによって発される台詞はまるで坂元裕二ドラマのように響いてしまう。と考えると、寒竹ゆりが坂元裕二に憧れているのでなく、満島ひかりが呼び起こす磁場がそうさせているのかもしれない。満島ひかりの一般的なイメージは、「薄幸な役柄が似合う人」であるらしい。今作においてもシングルマザーに育てられ、自身も離婚し子どもと離れ離れに暮らすという役柄。満島ひかりはシングルマザー以外の母親役を演じたことがあるのだろうか。「何かを損ない、傷つき、社会と適応しきれない人」というのを演じるのが抜群に上手いのはもちろんなのだけど、そういった苦境の中においても、なお懸命に良き方向へと進んでいこうとする魂の葛藤を表現することができる役者であるから素晴らしいのだ。今作においてもその力はいかんなく発揮されている。

*1:貶すのか褒めるのかよくわからない文章になってしまったので、読んでいて爽快感はないことでしょう

*2:それだけで予算の高さを感じ、リッチさが際立つ

*3:この2人の像が結びつかないというのは、それなりの理由が用意されてもいるのだけど