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『かまいたちの知らんけど』濱家が涙…スーパー・イズミヤへ最後の挨拶

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MBS製作『かまいたちの知らんけど』の9月12日放送の特別編「37年間通ったスーパー イズミヤへ濱家最後の挨拶」が実に素晴らしい内容だった。関西圏外にはあまり馴染みのない番組かもしれないが、今はTVerという素晴らしいメディアがありますのでぜひチェックして欲しい。


かまいたちの濱家の生まれ育った大阪市東淀川区にある上新庄という町で、彼が生まれる前から営業している大型総合スーパーイズミヤ。濱家にとって、幼少時代から家族や友人との思い出の詰まった大切な場所だ。そのイズミヤ上新庄店がこの8月末をもって47年間の歴史に幕を閉じるという。濱家はイズミヤに感謝と別れを伝えるべくロケを敢行する。



ロケは濱家少年が自宅からイズミヤへと通っていた道を辿ることろから始まる。まず通るのが「神戸屋」の本社前。隣接している工場からはいつもパンを焼く香ばしい匂いがする。そして、蘇ってくる記憶。

“うわぁパンのめっちゃいい匂いやな”ってオカンと姉ちゃんに毎回言いながら行っててん
めっちゃ思い出すぅ


そして、高架下にあったお花屋さん。

ナイロンのエプロンをしたおっちゃんがここで花売ってて
ここを通るたびにお花と緑の匂いがして
<中略>
全部好きやってん 神戸屋の匂いとか
ここ通る時の花屋のおっちゃんの感じとか
たまにオカンがここで花買う感じとか
その匂いとか全部好きやってんなぁ


さらに、高架を走る電車の音。

この音!この音!
この音やねん
“ダダンダダン ダダンダダン”じゃないのよ
“ダダッ ダダッ ダダッ ダダッ ダッ”
最後ダッやねん
っていう思い出とかがあんのよ
ダッで終わってたなぁって子どもの頃の記憶とかあるからさ

場所を通過していく度に、匂いや音が記憶を呼び覚まし、濱家を饒舌にさせる。いざ、イズミヤに訪れると、その勢いはさらに増していく。自転車置き場の柱を触ると手が白くなること、柱にもたれかかって服が白くなってしまったこと、店内に流れる「イズミヤの歌」のメロディ、化粧品売場ではじめて買ったメンソレータムエスカレーターのアナウンス、母親の買い物を待つ間にベンチで読んでいた『ちびまる子ちゃん』8巻、はじめて買ったCD「DEPARTURES」(globe)、特別で贅沢な気分を味わえた喫茶店、はじめて買ったボクサーパンツ、おもちゃ売り場でオカンにねだった「それいけ!ヨッシー」(粘着性のヨッシーの舌!!)・・・これでもかと五感を駆使して場所に宿る記憶を採集していく。そして、フードコートでは「世界一うまいポテト」と再会し、

人生でもっかいこれ食えると思ってなかったです 本当

と涙を零す。イズミヤという場所に訪れることで、濱家は少年時代の幸福な記憶と交感を果たすのだ。

ロケの最後に、お客さんからのイズミヤへのお別れメッセージが寄せられた「思い出写真館」というスポットに訪れる。

最後の思い出に、娘と買い物、楽しみました。81才です

大好きなイズミヤ
子供達はイズミヤで大きくなりました
ありがとうございました

姉がXmasのガラガラ抽選のアルバイトをさせて頂いて
夢で寝言で「ティッシュとキャンディどちらがいいですか?」と
隣の寝室で言っていた30年前が忘れられません
大変お世話になりました

子供が47才に成りました(イズミヤ上新庄店と同い年)

イズミヤが地元の人々にいかに愛されていたかが目の前に立ち上がっていく。ここは、自分と同じように無数の愛おしい記憶が染み込んだ場所なのだということに気づき、濱家は再び目頭を熱くする。食品売り場に降り立った濱家はこう漏らした。

当時のオカンと当時のオレが見えるもん

そう、記憶は場所に宿る。いや、場所が出来事を記憶しているのかもしれない。(そんなロマンティックな思考を小説で実践しているのは保坂和志という作家だが)たしかに記憶というのは人の内側に残るのではなく、それらが行われた場所に消えずに漂っているように思う。その場を訪れることで、内側から思い出していくというよりも、外部から“思い出させられる”という感覚。であるから、その場所が無くなってしまったら失われてしまう記憶もあるはず。「イズミヤの紳士服売り場でオトンのカッターシャツを自分で選んで、それをオカンに採用してもらえるとうれしかった」なんていうささやかな記憶は、イズミヤに訪れねば、思い出せないのではないだろうか。しかし、濱家はこのロケを実行してみせた。思い出せるだけの記憶を、できるだけ詳細に喋りつくし、映像に残したのだ。想いを形に残して、保存すること。それが、忘却の残酷さに抗う唯一の方法であり、創作という行為が途絶えていかない秘密なのかもしれない。