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藤岡拓太郎『夏がとまらない』

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この最高の1冊が完成するまでの経緯をまとめたメイキングブログの中で、出版元であるナナロク社の村井光男が藤岡拓太郎作品をこんな風に評している。

藤岡さんの作品は全般に、いわゆる「あるある」ではなく、
むしろ、そんなひとたちはいない「ないない」なのですが、
それを、「あるある」のように描いていることにも、
私は、面白いと思っているところです。

まさにズバリだ。そして、藤岡拓太郎の漫画にこういったおもしろさが含まれているからこそ、WEBで自由に読める*1作品を、こうして1冊の本にまとめる意義があったように思う。この『夏がとまらない』という本には、名も無き奇人変人たちが繰り広げる”ありえないような“シチュエーションが、当たり前のような顔をして、矢継ぎ早に繰り広げられていく。ほとんどの作品が1ページ2コマという短さでもって、収録数は約220本というボリューム。このスピード感と物量で”ありえないさ”を浴びていると、「ありえないなんてことは”ない”のではいか」という感覚に辿り着くのである。この世界はどんなことでも起こりえる。いや、起こっている。多分、私たちが”それ”を知らないだけなのだ。


藤岡拓太郎の描く漫画は、吉田戦車和田ラヂヲのような洗練されたナンセンスギャグの系譜にあるように感じるが、そこに泥臭い絵柄と関西の土地の匂いが混じることで、独特のブルージーさが生まれている。妙に切ないし、温かい。不条理な出来事を綴ったパワフルな笑いがメインだが、時々思い出したかのようにハートウォーミーな作品が編み込まれているのがいい。このランダムさは、なんというか世界の在り様そのもののように思える(製本の"天アンカット"というこだわりも、この感触とマッチしていやしないか)。代表作とも言っていい「とある蕎麦屋の夫婦」や「父と娘」の

あとあの・・・愛してるから

生まれてからずっとかわいいな

なんていうのは、やはり藤岡拓太郎の表現の根幹を支えるものだろう。作中に数多登場する変人たちの誰もが、圧倒的に世界とズレながらも、切実に誰かとコミュニケートしようとしている姿が好きだ。この底知れぬ魅力を持つ藤岡拓太郎の漫画作品を”愛”なんて言葉で括ってしまうのは凡庸でありきたりなのかもしれない。しかし、終盤にまとめられている、「みそか」「オレオレ電話」「あこがれの4DX」「しょくぱん」「ゆれる」「うれしみ」「きのう走ってるの見たよ」「ドーン」・・・といった比較的コマ数の多い作品たちを読んでいると、そこらに転がるありきたりな”愛”の描写にバチっと心掴まれていることに気づく。いや、むしろその”ありきたりさ”こそが愛おしい。この本の記念すべき1ページ目に収録されている作品が「パンを買いに行くだけなのに、そのことが急にうれしくなって走り出す人」なのが凄く好きだ。この素朴で何気ない1本から本が始まるというのが、『夏がとまらない』という作品を貫くポジティブなフィーリングを象徴しているように思う。


ときに、藤岡作品のタイトルはえらく長いものが多く、それ込みで作品として完成するスタイルである。例えば「水たまりにエサをやっているおっさんを見かけて、夜になってからそのことがだんだん面白くなってきた子供」だとか「“走る”という動きを、これまでの人生で見たことがなかった人」だとか。最近気づいたのだけど、これらのタイトルは先に読んでも、後で読んでもおもしろい。先に読めば、タイトルを”問い”として漫画パートを大喜利の極上の回答のようにして楽しめる。後に読めば、漫画パートを”ボケ”とする、「まさにそれ!」としか言いようのないキレのあるツッコミとしてタイトルを楽しめる。二度美味しいですね。まとまりに欠ける考察で申し訳ないのだけども、「アメリカドッグがタバコと同じぐらい嫌がられてる世界」とか「6時間に1回、10秒間だけ開く冷蔵庫を使っている家族」の小さなSF感も好き。いや、もうとにかく全部好き。最高に愛おしい1冊の誕生なのです。

藤岡拓太郎作品集 夏がとまらない

藤岡拓太郎作品集 夏がとまらない

*1:本が発売されたあとも削除されることなくWEB上で好きに読める、粋だ