近藤聡乃『A子さんの恋人』3巻
面白い、面白過ぎる!3巻目に突入し、近藤聡乃の筆はノリに乗っている。シンプルでいながらどこまでも官能的な線の素晴らしさ、に関しては『ニューヨークで考え中』にて言及させて頂きましたので、この『A子さんの恋人』におきましては、その脚本能力の高さに言葉を費やしたい。インテリでブロンド眼鏡男子、いじわるだけど私には優しいニューヨーカーのA君。学生時代からの腐れ縁、周りからもとにかくモテモテのハンサムな元カレ(?)A太郎。そんな二股関係を、A子はどうしても断ち切ることができない!ありていに言えば、古典的な三角関係を描いたトレンディドラマのようなシチュエーション。しかし、そんな手垢まみれのモチーフが近藤聡乃にかかれば、どうしたって面白い。緻密なプロット構成、知性とアイロニーに満ちたダイアローグ。おそらくこの国のテレビドラマ作家のほとんどが持ち得ていないこれらの才能を、近藤聡乃は雄弁に漫画の世界で発揮している。漫画好きは勿論、テレビドラマ好きにはもオススメしたい一作だ。物語は佳境、ですがまだ3巻。気軽にアクセスできる分量かと思いますので、ぜひ。
- 作者: 近藤聡乃
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2016/11/15
- メディア: コミック
- この商品を含むブログを見る
「ひと足お先に」
A子のニューヨーク留学によって、途切れるはずだったA太郎との関係を薄皮1枚で繋いでしまったコート。帰国したA子はそのコートをA太郎に返却し、ウヤムヤになった関係を断ち切らなければいけないわけだが、あろうことかニューヨークに置き忘れてしまう。ニューヨークに住む恋人A君の手配で、なんとか舞い戻ってきたコート(とA子の夏服)。いよいよA太郎にコート返却(=縁切り)の時、である。しかし、借りていたコートにクリーニングはかけるべきか、宅配便で送りつけるべきか、会って返すべきか、会うならどこがいいか、食べるのは珈琲か愛玉子かたい焼きかetc・・・と、思考は上野周辺グルメにまで脱線し、A子の結論を先延ばしさせる。挙句、届いたばかりの夏服を身に纏って春先の街に飛び出し、A子は風邪をひいてしまう。結局、宅配便でもって、コートは返却される。翌日は、奇しくもA太郎の誕生日であった為、1日ズラして配達指定する(A子がA太郎の誕生日、電話番号、住所はまだ覚えている、という挿話もいちいち巧い)。しかし、A太郎の誕生会は当然のように翌朝まで”引き延ばされて”おり、集っていた悪友たちにもその一連(A君があらかじめ誤配を想定してコートに忍ばせた底意地の悪い手紙まで)を目撃されてしまう。A君からの宣戦布告を受け取ったA太郎は闘志に火がつき、風邪をひいた身体を温めんしゃい、と風邪薬を添えてにコートをA子に送り返してしまう。こうして、A子とA太郎の縁切りは再び”先延ばし”されるのである。ズルズル(風邪ひきの鼻水の音ではなく)、見事なまでに引き延ばされていくこの感覚。コート(+夏服)→風邪←コート、という脚本の図式があまりにも美しい。
「春の葬式」
底意地の悪い登場人物達の計らいで、気まずさを湛えた学生時代の友人達が一堂に会してしまう大学の恩師A先生のお葬式。どうにも上手く言語化できないのが悔しいのだけど、”春のお葬式”という舞台設定のセンスに底しれぬものを感じて震えています。インテリ眼鏡の恩師A先生の面影がニューヨークの恋人A君と重なり、すっかり蚊帳の外であったA君が目に見えぬ形で、物語に介入してくる。そして、駅の改札でのA太郎からA子への暴発的なキス。自動改札の扉は締まり、エラー音が鳴り響く。心情は、視覚と音で語る。ドラマというのはこうやって動かすのだ!
「夢を見る恋人たち」
傑作揃いの本巻の中でもこれは白眉。A太郎の部屋の電灯から吊り下げた紐、その揺れが、“振り子”のようにして、物語の過去と現在が往復して絡み合う。あの暴発的なキスの後の、束の間の休息(眠り)の中で”昔の出来事”を回想するA子とA太郎。そして、恋人たちの夢が混線していく。あの
なぜ僕が君を 好きかというと、
君は僕のことそんなに好きじゃないから
が発された所謂”黒ひげ危機一髪”事変の際に、A太郎がリクエストするも作ってもらえなかったロールキャベツを、A子は夢でA太郎にリクエストし、夢から目を覚ましたA太郎はキッチンに立ち、誰の為でもないロールキャベツを作る。不明瞭な、でも確かな繫がり。もつれた糸のような2人の関係性そのもののような混線を描く筆致はロマンティックかつセンチメンタル。「カルピスって濃いと喉のあたりがモヤモヤしない?」というカルピス薄濃論争の挿話や、ロールキャベツを作りながら「後は煮えるのを待つだけだ」なんてA太郎の台詞もとても巧い。また、A子が自身の漫画家としてのクリエイティビティに関して発した
前からモヤモヤと考えてることを
少しずつ言葉にしてるんだと思う
時間はかかるけど
という台詞が本作の肝(というかムード)を物語っているのも見逃せない。
「どうしても」
学生時代のA子とA太郎の過去の挿話が実にエモーショナル。別れの言葉を切り出そうとするA子、それを察してはぐらかすA太郎。例えば、ドライヤーの音で会話をかき消そうとする。その為にやや強引にA子を風呂に導き、悪戯っぽくシャワーをかけ、髪を濡らす。
会話をかき消す←ドライヤーの音←髪を濡らす←風呂に入れる
作劇を貫くこの逆の運動性が読む者の胸を打つ。そして、この入浴が2人をスムースにセックスへと移行させる。2巻でのA君の挿入プロポーズも凄かったが、重要な会話は、やはりセックスの最中に為される。正常位からバックに移行すると、A子の背中に水滴が落ちる。
泣いてるの!?
泣いてないよ 泣いているのはえいこちゃんじゃないの
この一連の心掻き毟られる涙の運動は、体位変更によって成立しているということ。セックスの体位が、物語を推し進めていくなんて作劇、なかなかお目にかかれまい!*1A子が涙と勘違いしたのは、A太郎の洗い髪から落ちた滴ではないだろうか。「他の女の家で風呂は済ませた」とわざわざ宣言しておきながら「髪だけ洗お」と、濡らした髪だ。A子にはドライヤーをかけてあげながら、自分の髪は乾かさなかったのだろうか。こういった不可解だが鮮明な印象を残すエピソードの連なりが、ドラマを見事なまでに形作っていく快感。必読。4巻を震えて待とう。
*1:『ふたりエッチ』くらいじゃないの