
Netflix制作の国内テレビドラマというと、『全裸監督』(2019)、『サンクチュアリ-聖域-』(2023)、『地面師たち』(2024)、『極悪女王』(2024)、『九条の大罪』(2026)、『地獄に堕ちるわよ』(2026)といったセックスと暴力にまみれた放送コードを逸脱する過激な作品や、ド派手なアクションの『今際の国のアリス』(2020)、『イクサガミ』(2025)などの印象が強い。そんな中で、忘れ去られてしまったような印象すらある、黎明期の2017年に制作された『火花』という小さな作品が個人的にいつまでも忘れ難い。廣木隆一を総監督として、白石和彌や沖田修一など映画界の気鋭が集結。彼らがNetflixの豊潤な制作資金を元に作り上げたのは、“中央線ラプソディ”とでも呼びたくなるような、実に貧乏くさい物語だ。たとえば、第3話。終電を逃すまで飲み荒らした主人公2人が吉祥寺から上石神井までをノソノソと歩く、ただそれだけの回だ。3話のみならず、このドラマにおいて青春というのは、”夜を歩くこと“だ、と言わんばかりに、ひたすらに若者たちが夜を横断していく。監督に課されたのは、その運動を雄弁にカメラに収めること。1話に登場する惜しみないクレーンやドローンでの撮影の躍動。もしくは夜に揺らめく街灯、雨で濡れた地面に映る光。そういった映像感度の充実が、この切ない青春物語に徹底的に奉仕していく。
全10話530分をかけて、とあるお笑い芸人の10年間を追っていく。オフビートではありながらも、ヒリヒリとした質感に満ちている。それは、この『火花』という作品が”才能”を巡る青春残酷物語であるからだ。徳永が憧れ続ける師匠・神谷というバディのパワーバランスが徐々に逆転していく構造は、北野武『キッズリターン』や松本大洋『鉄コン筋クリート』『ピンポン』もしくは『NARUTO-ナルト-』『僕のヒーローアカデミア』といった王道少年漫画で繰り返す描かれているものだ。今作の後半はひどくもの悲しい。7話以降は、常に”泣き出す直前”といったようなフィーリングで胸を掻き毟り続け、それらはラスト2話で一気に爆発する。涙腺崩壊必至。それもこれも、徳永と神谷というキャラクターに心底魅了されているからに他なるまい。『火花』という作品の画面には、巷に溢れる演技というものとは、大きくかけ離れた何かが映っている。それは1人の人間の”魂の咆哮”というようなものだ。林遣都と波岡一喜という2人の役者のが、あまりに徳永として神谷として、そこに”在る”のだ。であるから、彼らが目にする風景や抱く感情、その全てがリアリティと実感をもって響いてくる。主演2人のみならず、門脇麦、好井まさお(井下好井)、村田秀亮(とろサーモン)、染谷将太、菜葉菜、髙橋メアリージュン、徳永えり・・・といった脇を固めるメンバーもまた、誰しもが素晴らしい実存感を携えている。とりわけ、主人公の相方である山下役の好井まさおの好演は、演技初挑戦という事も含め、賞賛の嵐を浴びるにふさわしいだろう。
さて、このドラマを前にして、又吉直樹の書いた『火花』という小説を全く読めていなかった、と正直に告白したい気持ちに駆られている。又吉直樹は、あのか細い声からは想像もつかないほどの大きな”アイラブユー”をこの作品で叫んでいる。売れない芸人が志半ばでその道を外れていく様を描いた青春残酷物語ではあるが、その視線はとても優しい。芸人を辞める決意をした徳永に師匠である神谷がこう語りかける。この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある、だから面白いねん。でもな、徳永、淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん。一回でも舞台に立った奴は、絶対に必要やってん。これからのすべての漫才に、俺達は関わってんねん。だから、何をやってても芸人に引退はないねん。
ここにあるのは圧倒的な”生”の肯定である。芸人や表現者のみならず、酒臭い、もしくは唐揚げ臭い息をこの世界で吐き続ける全ての私達の、”これまで”と”これから”を肯定してくれるような、あまりにも優しいまなざしがここにはある。ドラマではそんなテーマに補助線を引くように、徳永の住むアパートに、お役御免となった古い家電をかき集め、修理するロクさん(渡辺哲)というオリジナルキャラクターがメタファーのように存在している。
前述の台詞が繰り出される居酒屋のシーンで物語を閉じてしまっても何ら問題はないわけだが、そうはならないのが今作だ。
美しい世界をいかに台なしにするかが肝心なんや
そうすれば、おのずと現実を超越した圧倒的に美しい世界があらわれる
という劇中での神谷の台詞を呼び水にするように、失踪していた神谷が突如Fカップの巨乳を携えて現れるという、全てを台無しにするようなバカバカしいエピローグが添えられている。しかし、それがことさら今作を美しく孤高のものとしている事は誰も否定できまい。なんて偉大なる蛇足。旅館の内風呂で豊満な胸を揺らす神谷と、それに付き合い裸になる徳永。カメラは部屋を飛び出し上空にじんわりと上昇する、2人の狂騒は熱海の夜景の1つとなる。貴方が展望台から覗く美しい無数の光の1つは、おっさんのFカップが作り出しているかもしれない。そんな想像だにしない無数の夜で、この世界は作られているのだ。その途方もない尊さを、このドラマは教えてくれる。
