青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

岡田恵和『ひよっこ』1〜4週目

f:id:hiko1985:20170502203700j:plain
岡田恵和の3度目の朝の連続テレビ小説ドラマ『ひよっこ』が本当に素晴らしい。涙腺を刺激され続ける毎日だ。これまでの岡田作品と同様、安っぽい悪人や嫌な奴は登場しない。イタズラに盛り上げるようなドラマメイクはない。真っ当な善人たちが懸命に正しい方向へと進んでいく。ただそれだけで観る人の心を動かすドラマは作れるのだ。もっと視聴率が高くてもいいと思うのだが、これから上がってくるのだろうか。たしかに話は遅々として進まない。そのスローな筋展開が、視聴者離れを引き起こしているのかもしれない。しかし、この『ひよっこ』という作品がたっぷりと時間をかけて描いてきたのは人々の営みであり、「1人の人間が”いる”もしくは”いた”」という事実を、くっきりと刻む為だ。完全なはまり役のモッズおじさん(峯田和伸)なんか勿論最高なのだけど、もしかしたらもう出てこないかもしれない高校の先生(津田寛治)も車掌さん(松尾諭)も本当に忘れ難い愛すべきキャラクターであった。序盤のハイライトとなったのは村おこしとしての聖火リレー。みね子(有村架純)は走りながら、行方不明になった父に向けて気持ちを送る。

気持ちは届きますか?
お父ちゃん…。
みね子は、ここにいます。

村を出て就職することが決まっている三男(泉澤祐希)が、叫ぶ。

ありがとう。奥茨城村…。
俺を忘れねえでくれ。

東京オリンピックで盛り上がる都会の喧騒から置き去れてしまうかのような片田舎の村にも、様々な顔と個性があるということ。それが、『ひよっこ』奥茨城編で描かれていたものだろう。これには"被災者"というのっぺらぼうな記号に固有性を灯し、我々の想像力を喚起させた『あまちゃん』(2013)への共鳴を感じる。宮本信子の起用やアイドル志望の親友など、この『ひよっこ』が先輩である『あまちゃん』という作品をかなり意識しているのは事実であろう。



人が"いる/いた"という事実を描くことに注力する『ひよっこ』においては、画面からフェードアウトしてしまった登場人物であっても色濃く物語に存在し続ける。とりわけ顕著なのは行方不明の”父ちゃん”(沢村一樹)だ。その不在は常に意識され、物語を牽引する。第2章の幕開けで描かれた、みね子が就職先の寮でカレーライスを食べるシーンを思い出したい。あの何気ないシーンが異様なまでに心を打つのは何故だろう。田舎から出てきた少女が東京に出てきて初めて食べるハイカラな食事に感動する、という筋だけでも充分に朝ドラとして成立する。しかし、あのシーンにはこれまで紡いできた物語の断片が幾層にも重なって振動している。新しい仲間との絆が結ばれる瞬間であるし、洋食屋との繋がりを残し失踪した父を想わせるし、これまで一緒に台所に立ちカレーを作ってきた兄弟たちの姿がよぎる。"カレーを食べる"という何でもない行為に幾重もの意味を託す。これぞ、ドラマ作家の仕事と言えるのではないだろうか。