青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

黒沢清『Seventh Code』


前田敦子が素晴らしい。その場で鳴っていないようなあの声は何なのだろう。1人だけ存在する階層が異なっているかのようなその独特の佇まいは、ただそれだけで映画だ。その所在なさはフィルムに刻まれる為にあった。この『Seventh Code』はそんな前田敦子がブーツで走る映画であり、スーツケースを放り投げる映画であり、荒野に放り出される映画であり、着替える映画であり、飯を喰う映画であり、戦う映画であり、ニヤリと微笑む映画であって、物語はその後をただ追いかけてくる添え物でしかない。しかし、それは全くもって正しい映画の在り方だ。前田敦子がひたすらに追い掛けている水色の車に「何が乗っているか」はまったく問題ではない。マクガフィン(物語のサスペンスを引き起こす為の別のものに置き換えても構わないようなものである)として、定番中の定番である核物質エネルギーを持ち出してくる態度にもそれは表れている。ちなみに相米慎二×薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』において、薬師丸ひろ子を走らせるマクガフィンはヘロインだった。核を題材にして、ロシアを舞台に日本人や中国人が奔走しているという構図は、目配せでしかないだろう。劇中で発せられる「世界を変える大きな力」という、唐突で不明瞭な言葉を、前田敦子がその身体性でもって体現していく様が何より素晴らしいのだ。映画の中で、前田敦子に開けられない扉はない。その事実に打ち震える。


黒沢映画にしては珍しく、作劇上のノイズがきちんと伏線として回収されていく。それでいて、『勝手にしやがれ』期を彷彿とさせる若々しさが映画に迸っている。「ダイナマイト」という言葉が発されれば、それがしっかりと爆発されるのが喜ばしい。ウラジオストックの街並みの坂や階段やV字路は黒沢清にしっかりと発見されている。更には、森、風に揺れるカーテン、夜の駅、雨に濡れた路上、反射する街灯、出血大サービスで、黒沢映画らしいルックが頻出する。そして、赤いジャージを着た前田敦子だなんて!