青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

山崎貴『寄生獣』

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センチメンタル過剰な山崎貴がいない。「ドラ泣き」こと『STAND BY MEドラえもん』(2014)での失望を彼方に飛ばす傑作だ。『寄生獣』という90年代の誇るSFコミックの最高峰をマテリアルに、見事な取捨選択と改変で1本109分という贅沢さで纏めて上げた手腕。衣装も美術も録音もいい。パラサイトのVFS表現も違和感がなく、日常に化物が現れるという非日常を存分に視覚化していた。最初に新一(染谷将太)がパラサイトの捕食を目撃する町の中華屋の何の変哲もないはずの外観のありえないほどの禍々しさ。“食事をする場所”が変容する。「映画だ!」と興奮を禁じ得なかった。同じく、重要な舞台となる魚市場もいい。冒頭からいいのだ。原作では空から降ってきたパラサイト達が海から這い上がってくる。パラサイトの居住空間の立地と構造。高台らしい場所に建ち、中には最低限の家具と階段がある。ここを実に印象的に昇っていくパラサイト達。壇上から、吹き抜けから、選挙カーから、(そして、東出昌大の背の高さ!)”見下ろす”パラサイト達。人間の上に立つパラサイトという生態系のピラミッドを、“上昇”という運動で巧みに構築していく。クライマックスとなる暴走する島田秀雄(東出昌大)もまたその法則に従う。意識を朦朧としながらも、学校の屋上に昇っていく。本来人間が昇り得ないはずの場所から矢を放つ新一の構図の決まり方は完璧だ。前述の居住空間の階段を、人の子を妊娠したパラサイト田宮涼子(深津絵理)だけが降りるシークエンスを挿入している点も見逃せない。


キャスティングの妙。染谷将太が20年前の”新一”というキャラクターを現代的に解釈し、実存性を与えている。原作に新一に微妙に感じた距離感がない。あの生命力のなさそうな表情と発話、重たげでそれでいてしなやかな身体。諦念とか孤独といった現代的なフィーリングを自然と体現してしまう邦画界の至宝である。絶世の美少女からの脱却を意図的に図っているように見える最近の橋本愛は、野暮ったさすら獲得し、市井の人になり得ている。そして、何といっても深津絵理東出昌大、北村一樹、岩井秀人らの”パラサイト”組のキャスティングセンス。それぞれのちょっと普通じゃない感じが、パラサイトらしさに実にマッチしていた。特に東出昌大は表情と言い、棒読み感といい岩明均漫画の実写化の為に現れたかのような佇まいでした。阿部サダヲのミギーには賛否両論あるようだけども、個人的にはとてもよかったと思いました。声の響きの固有性。あのかわい気も、原作のミギーにもあったものだと思う。


新一を母子家庭という設定に変更し、火傷から守った母の右手のエピソードを強調する事で、それらが右手に宿ったミギーとシンフォニーし出す。山崎貴らしくやや臭いが、2部以降の田宮涼子のエピソードとも効いてくる事でしょう。『ALWAYS 三丁目の夕日』の山崎貴が、PG12の血みどろスプラッター映画を撮ったから素晴らしいでのはなく、細部まで演出の効いた豊かな映画を撮ったから素晴らしいのだ。PART2を震えて待つ!