青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

NHK夜ドラマ『ひらやすみ』最終話


ドラマが終わってしまった。もうあの“なつみ”に会えないなんて。森七菜が演じるなつみ画面にが出てくるだけで、そのフニャフニャとして身体性に反して、一挙手一投足を見逃してはなるまいといった緊張感が生まれ、ピリっとドラマを牽引していった。それくらに森七菜の演技の濃度は濃かった。フラフラしながら、悪態と悪口でもって構成された青年期という時間。その“半人前”性。青年は誰かと交わっていくことで、やっと1人の人間になっていくのだ。ヒロト岡山天音)がいるおかげでなつみは東京で生きていけるし、二階堂(駿河太郎)のおかげでなつみは何者かにならんとしている。この“2人で1人“という感覚は、なつみとあかり(光嶌なづな)のエピソードが中心となった7話冒頭で、平屋の前をお母さんと手をつないだ小さな双子の男の子が横切り、それに続いて台所でヒロトが調理するフライパンに2つの目玉焼きが映し撮られることで提示されていて、この最終話でもまた、”なつみとあかりが1つで半纏を2人で羽織る“という演出で結実している。なつみが漫画執筆に没頭し、ひさしぶりに大学に行くと、あかりがが教室でひとり、キャンバスに向かって油絵を描いてるのに遭遇する。それぞれが別々の時間を持っていて、彼女達はいつかは1人ずつの人間になり、違う道に進んでいくのだ、という切なくも温かい予感を漂わせているのが素晴らしい。


森七菜への愛を語っているとキリがないので、ドラマの終盤について少しだけ。終幕に向けて、ヒロトが背を向けた現代社会に疲弊していくヒデキ(吉村界人)の姿が中心に描かれた。そこを救ったのは、やはりヒロトの反社会的なまでの優しさだった。ヒデキを苦しめる連絡が鳴り止まないスマートフォンを池に放り投げる。修理代とか会社からの評価とか、そういうものをすべて度外視してヒロトは放り投げる。それが池への転落に導き、釣り堀が自主製作映画『ヒロト、早まるな!』の田んぼでのラストシーンに変容する。ヒデキの心を支えていた青春の時間がリフレインするとともに、劇中での「早まるな!(=死ぬな)」という自身の発した台詞がヒデキに反射し、彼の心を回復させていく。


最終話ではそんなヒロトの優しさが具現化される。お見舞いに花束として積んできた紫陽花、ばあちゃんの好きだった白い紫陽花。その優しさの花は、朽ち果てることなく、押し花としてひっそり輝き続けていた。その押し花をヒロトスマートフォンのカバーに挟み込み、文字通り“携帯”する。持ち運んだ“優しさ”を、ヒロトは街にまき散らしていく。タイムパフォーマンス、コストパフォーマンスと効率と合理性を残酷なまでに要求する社会に抗うために。その日の食事をばあちゃんの仏壇に供えて拝む、というヒロトの振る舞いがなつみにうつっていることも、胸を撃つ。“優しさ”は伝染していく!


ばあちゃんが涙ながらにヒロトに言う台詞が印象的だ。

あんたは優しすぎる いつか絶対騙される
あたしゃ あんたが心配だよ

ここで思い出されるのは、宮﨑駿がかつての引退会見で発したロバート・ウェストール作品からの引用だ。

この世はひどいものである
君はこの世に生きていくには気立てがよすぎる

わたしはこの言葉をかつて、坂元裕二脚本の『カルテット』(2017)というテレビドラマの登場人物に捧げたことがあるのだけど、岡山天音が演じたヒロトもまたこの言葉が形容されるにふさわしいだろう。飯島奈美がフードスタイリストを担当している、吉岡里帆が出演している、といった共通点以上に、『ひらやすみ』と『カルテット』という2つの作品が改めて強く結びついた。あらすじやテーマが似ていると言っているわけではない。たとえば、ヒロトから芋煮パーティーに誘われるも断ってしまうよもぎ吉岡里帆)。自宅に帰り、ソファーに寝そべりながら、彼女が笑顔で漏らす。

行ってたら どうなってたかなぁ

これは『カルテット』において代表的台詞に数えられる

行った旅行も思い出になるけど
行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか

とまったく同じフィーリングと言えるだろう。実際には起こらなかった出来事に想いを馳せる。InstagramなどのSNSに投稿するための体験ではなく、その出来事によって動いた、目には見えない感情や想いのほうに寄り添ってみせること。


そして、この「行ってたら どうなってたかなぁ」が、“これから”の予感を立ち上げ、『ひらやすみ』という物語、そしてわたしたちの人生が続いていくのだ、という感触を画面にジンワリと刻みこんでいる。原作漫画の連載が続いている中で、ドラマ『ひらやすみ』をどのように終えていくのかに注目していたのだけど、心がぽっかりと温かくなる完璧な幕閉じでありました。


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