青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

森は生きている『森は生きている』


森は生きているというバンドがいる。現役大学生を含む(というか中心人物としてデーンといる)20代のヤングなバンドだ。自らを

ある意味何回も死んでる人達なので…(笑)
ototoyインタビューより)

と自嘲しながら、亡霊のように過去の音楽に偏執し、自らのバンド名に「死(moriはラテン語で死を意味する)は生きている」なんて意味を想って喜んでいる、そんなナイスな男の子達なのです。8月22日、彼らの1stアルバム『森は生きている』

森は生きている

森は生きている

がリリースされた。彼らのその雑多な音楽性について、深く切り込めれば1番いいのだけども、せいぜい類似アーティストを列挙するのに終わりそうだから止めておく。彼らの公式HPに記載されているプロフィールを覗けば充分なはずだ。とは言え、楽器編成、コード進行、ハーモニー、多彩なビートetc・・・およそこの国のポップミュージックではそうそう聞く事のできないであろう才能の煌めきがもたらす、枠というか規制、そういったものから解放してくれるようなこの感覚は得がたいものだ。そして、思わず口ずさみたくなってしまうメロディー、これが素晴らしい。



インタビューにおいて作詞を担当しているDrの増村和彦が今回のアルバムのテーマを「夢」と明言している。

夢の断片的なものを並べていって、「日々の泡沫」で包み込むようなイメージでしたね

なるほど、ほぼ全ての楽曲で夢のモチーフが描かれ、それらが繋がっている。アルバムの冒頭を飾る「昼下がりの夢」と2曲目「雨上がりの通り」は曲の繋がりが不明瞭で1つの組曲のよう。夢と夢が繋がっていくアルバムだ。バンド名の由来になぞらえて『ドラえもん』で語るならば、「夢はしご」(てんとう虫コミックス28巻に登場する夢と夢の間を行き来できる秘密道具)だろうか。各曲の詩に目を向けてみても、昼下がり、雲、雨、光、影、日傘、少女といった単語でもって、薄らとした繋がりを形成しながら並んでいる。いや、並んでいるというより、回っている。まるでアルバムジャケットに映る観覧車の回転のように。「日々の泡沫」で包みこまれた夢達が緩やかに回転している。また、アルバムのハイライトと言っていい楽曲が”回旋”の意味を持つ「ロンド」というタイトルである事からも、このアルバムの夢の回転には”循環”の意味が込められているように思う。そして、その循環の運動と浪漫は、レコード(もしくはCD)のその回転に託される。つまりは音楽だ。そして、「循環する」という事は「元に戻る」という事である。このアルバムは、いくつかの夢で美しい円を描きながら、また現実の街に戻っていく。

(てんこう虫コミックスドラえもん』26巻「森は生きている」より)



どこか、パラレルワールドをアルバム1枚で描き、エンドトラック「わたしのすがた」で現実に戻ったcero『MY LOST CITY』を想わせる。

My Lost City

My Lost City

しかし、森は生きているのファーストアルバムは、3.11以降の空気をふんだんに含んだceroのそれよりも幾分か無邪気であり、アンファンテリブル(恐るべき子供達)の冠に相応しいと言える。そう、無邪気に音の快楽に溺れている。膨大な音楽の遺産を現代の音に作り変える、それは現実の風景を「架空の都市」に作り変えてしまう事とどこか似ているように思う。

輪郭を失った 四次元の町では
何も始まらず 何も終わらない
退屈も喧騒も 初対面の顔で
人見知りして 通り過ぎていく


森は生きている「ロンド」

はっぴいえんどの「風街」という概念が撒いたその種は約40年を経て、2012年に『MY LOST CITY』、そして本年、もう1枚の傑作アルバムの花を咲かせた