青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

cero『My Lost City』ツアーファイナル

ceroの『My Lost City』を引っ提げてのツアーファイナルin渋谷クアトロのライブに行ってきました。熱があった。バンドとそして観客の熱の渦が。こういう熱にたまに触れておかなきゃ、生きていけないよ!とか思うくらいに、気持ちを底上げされました。なんかもうceroには何度もそういう気持ちにさせられているので、本当に愛していますね、私は、「普通の暮らし」とceroを!くどいほどの倒置法でもって愛を告げてみました。巷ではceroの『My Lost City』と小沢健二の『LIFE』を重ねるレビューというのを結構見かけて、あまりピンと来ていなかったのですが、確かに今回のライブで得られたあの感覚って『LIFE』の発するそれかもしれない。大阪、名古屋、金沢、福岡、岡山、仙台、札幌、と回ってきたそうで、ライブの演出が仕上がっていた。今回のツアーは『WORLDRECORD』『My Lost City』という2枚のアルバムの世界観を融合、いや、2枚のアルバムは地続きであるというような演出が施されている。


2枚共にジャケットに摩天楼が描かれている事に今更ながら気づく(こじつけだけども『LIFE』のジャケットのバッグにもビル群が描かれている)。『My Lost City』における大洪水を巻き起こしたのは「21世紀の日照りの都に雨が降る」の雨なのだなぁ、とか、なんだかそういう空想の中の街のジオラマにピースが組み合わさっていく感覚がとても楽しい。照明の演出も実にエモーショナルで、『WORLDRECORD』『My Lost City』で描かれていた世界を、音と共に光が立ち上げていく。「大停電の夜に」を演奏する際、あの2枚のアルバムの世界をずっと走っていた夜汽車が、我々の前に姿を見せた。あれはやられた。

しかし、改めて2枚のアルバムのリリックに耳を傾けると、レクイエム的ムードが非常に強い事に驚かされる。ほとんどが3.11前に書かれた歌詞だというのに。確かにそう考えると、私たちは常に何かを葬っているのかもしれない。時間だとか気持ちだとか。しかし、ceroの音楽に沈痛さはない。

葬られた想いに 灯油をかけて 灯をともし 手をかざし 暖をとれ


cero「入曽」

このライトでウィットに富んだ態度がceroのコンテンポラリーたる所以だ。「Contemporary Tokyo Cruise」がハイライト。あの曲の魅力をどうしてもうまく言語化できないのだけど、あの歌を口ずさむ事で、現代の都市を生き抜く上での重要なヒントをもらえるような気がする。


何より感動してしまったのは高城さんが2、3曲目あたりで「トウキョウーーー」と叫んで、それに会場が大いに盛り上がった瞬間だ。だって、ちょっと前のceroが同じ事やっても、絶対「ポカーン」だったはずなんですよ。「そりゃ東京ですけど、どうしました?」と。それが、各都市を回るツアーを経て、街のポップスを奏でるバンドとして放った「東京」が凄まじい説得力でが響いてきた事に、鳥肌が立ってしまいました。よくありがちな、「どんどん売れていってしまい、醒めた」みたいな感情はceroには1mmも沸き起こらない。もっと真ん中へ!