青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

『R-1グランプリ2019』岡野陽一のイノセンス

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2019年の『R-1グランプリ』の興奮もすっかり覚めやった中*1、敗者復活から勝ち上がった岡野陽一(元・巨匠)が披露した1本のコントが頭にこびりついて離れない。それは「鶏肉をもう一度大空に飛ばしてやりたいんだ」という奇天烈な内容で、当然のように客席からはこの日1番の悲鳴が上がった。『水曜日のダウンタウン』がかもめんたる野生爆弾くっきーを擁して「悲鳴-1グランプリ」を開催し、お笑いコンテストにおける観客の悲鳴を揶揄してみせたのには思わず快哉の声を上げてしまったものだが、岡野のコントへの"悲鳴"という反応はどこか正しいようにも感じた。何故ならあのコントには、わたしたちが目を背けているうしろめたさや違和感のようなものがゴロリと横たわっているからだ。わたしたちが当たり前のように口にする鶏肉は、かつて空を飛ぶ鳥だったという事実*2。「このチキンソテーって殺される前は空を飛んでいたんだよな・・・」そんなことをレストランで口にする人間は、たちまちこの社会から阻害されてしまうだろう。わたしたちの食事に殺戮が介入していることは、皆が頭の片隅ではわかってはいるけど、口にはしない。それがこの社会の暗黙のルールなのだ。しかし、岡野が演じるおじさんは濁った目で言う。

かわいそうだろ
人間のエゴでよ

決めたんだよ、俺は
鳥側につくよ

こんなに風船つけても飛ばないんだぞ
命って重いよな

海に刺身を返しにいくんだ

このすべての生命への隔たりのない愛は何なのだ*3。人間の社会性に囚われずに、「俺は鳥側につくよ」と言い切れるその発想は、サイコパスと言うよりも天使的イノセンスと評したい。ヴィム・ヴェンダースは天使をサラリーマン風のおじさんとして描いたが(R.I.P. ブルーノ・ガンツ)、岡野は朝からパチンコ屋に並んでいそうなおじさんを天使に仕立てあげた。ときに、「子どもにやたらと話しかけるおじさん」というモチーフを岡野は巨匠時代から好んで取り上げてきたが、もはやそんなおじさんも絶滅危惧種である。大人が子どもに話しかければ通報されない世の中だ。岡野はいつも、消え去りそうな小さな者の側に立つ。



また岡野という芸人の優れたバランス感覚が随所に見受けられるコントだ。たとえば、悲鳴が上がる内容を、ピクサーの『カールじいさんの空飛ぶ家』的なマジカルさで包み込んでみせる手腕。また、空に浮かすために少しでも軽くしようと皮を引きちぎり、「明日だな、これは」とポケットにしまうおじさんは一体何なのだ。もはや鶏を空に返すのでなく、"空に飛ばす"という行為そのものに執着している、そんな狂気を添えることで、文学や詩の領域にある愛のコントを台無しにしてみせるのである。ちなみに審査員の投票結果は友近の1票のみ。コメントでも軒並み審査員からスルーされるなか、「私はどうでしたか?」と無理矢理カットインしてきた岡野が愛おしくてたまらなかったのであります。



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*1:個人的にはマツモトクラブ、ルシファー吉岡、おいでやす小田のコントが素敵に感じましたが、粗品も松本リンスもセルライトスパ大須賀もおもしろかったです

*2:ちなみに、ニワトリは空を飛ばないだろ、というツッコミは野暮天。そもそもニワトリの祖先から飛行能力を削ぎ落とすように品種改良していったのも人間だ

*3:最も近いのは梅図かずお作品ではないだろうか

『オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー in 日本武道館』

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たまらなく不安な夜には、いつもラジオが流れていた。ラジオはわたしたちの夜に忍びこむ。「さびしいのはおまえだけじゃない」と。武道館とライブビューイング会場に駆けつけたのは2万2千人のリトルトゥース。その1人1人にオードリーとの"夜"があるのだと想うと、それだけで胸は一杯になってしまう。しかし、そんな感傷に簡単には浸らせてはくれないのがオードリーだ。武道館という大舞台であろうと、特別なことはしない。「内輪ウケを全力でやりにきてます」と、いつも通りの"夜"を展開させるのだ。そんな照れ方こそが、オードリーなりのリスナーへの信頼で、愛情のように想える。



「早速だけど苦情言っていい?」と始まった最初のフリートークは、若林と春日の父親のイラストがプリントされた特注パーカーについて。カメラに映し出される白いパーカー、若林の父の頭上には"輪っか"が乗っている。「俺の親父が3年前に隠れたんだけどね」という番組の恒例のやりとりが、このライブにおいても導線になっている。若林のトークゾーンでは、父の納骨場所で揉める家族問題を解決に導くため、青森でのイタコ巡りの旅道中を展開。一方、春日は『FRIDAY』で報道されたことをきっかけに、狙っている女との関係がグッと進展し、両家の顔合わせまで行ったことを報告。更に「ヒロシのコーナー」ではその狙ってる女であるところのKさんがサプライズで登場した。このライブに通底しているテーマは、ずばり"家族"だ。であるから、バーモント秀樹、ビトたけし、松本明子、梅沢富美男といったゲストによる盛り上げもさることながら、やはりこのライブの白眉はラストの30分漫才と言えるだろう。この10年のオードリー史をさらいながら、最終的に春日をイタコとして若林の父の魂を呼び寄せるというフリーキーでバカバカしい漫才は、徐々にまるでレクイエムのようなエモーションをまとっていく。春日の肉体に親父の魂を入れて会話がしたいと言う若林。
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↑のエントリーでは、旅先で繰り広げる若林と父の脳内対話が、漫才における春日の口調と相似していることから、「”オードリー春日”というキャラクターは、若林の父を体現したものなのではないだろうか?」という妄想を展開したわけだが、その推測が美しく補完されていく。やはり、若林のファーザーコンプレックスは、春日コンプレックスと同義なのである。春日の肉体に、自身と父の魂を入れて親子水入らずで会話したいという若林の発想の強烈さこそが、オードリーの漫才の根幹に想えて仕方がない。

隣のキューバ人の家族の旦那がビニール袋一杯に海水を溜め込んで、嫁と子供にバレないように背後から近づいている。ピッタリと近づくと一気にビニール袋を頭の上でひっくり返し、ザザーっと海水をかぶる嫁と子供。家族は悲鳴を上げて爆笑している。しょうもないなー、と呆れながら目をつむる。でも、そんなことがやっぱり楽しいんだよなと納得させられて幸せな気分になる。家族って楽しいんだろうな。

というように、"家族"という関係性に強く惹かれながらも恋人と破局した若林。そして、もしかしたら本当の"父"になるかもしれない春日。『オードリーのオールナイトニッポン』が放送された10年は、ひたすらに自意識と葛藤していた青春が夕暮れを迎え、おじさんとして家族や社会と向き合っていくドキュメントでもあった。青春のその先へ、魂を放り投げよう。未来はいつも100%楽しいから。ライブ終演後のわたし(そして、わたしたち)は、とても静かに、高揚していた。

Netflix『TERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS』

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想いを寄せる安未とのドライブデートが上手くいかなかった雄大。得意の料理で挽回しようと、スーパーへの買い物に安未を誘うも、やんわりと断られてしまう。何もかもが期待どおりに運ばすにふて腐れる雄大は、場の空気を悪くしていく。その子どものような振る舞いを、年上メンバーの貴之から諭されるやいなや、「ギスギスした感じはなくせる」と空気を読まずに安未のいるプレイルームに突入していくも、愛想をつかしている安未はその場から立ち去ってしまう。

貴之「失敗したな」
雄大「失敗でした?」
貴之「来るべきじゃなかったな、雄大は」
雄大「なるほど。でも、ここに来れるくらいのスタンスなんだなってのはアピールできましたね」
貴之「アピール??」

雄大は精一杯の強がりをみせるも、堪えきれず泣き出し、何故かピースサインで涙を拭う・・・6話「First Snowfall」から7話「I Erased Hime From My World」にかけて映し出されていた一幕。何を見せられているのだろうと思いつつも、これで一気にテラスハウスシリーズに引き込まれてしまった。身に覚えがあるような、ないような、一人の人間の情けなさ、みっともなさ。テラスハウスには、映画やテレビドラマからは削ぎ落とされてしまうであろう、実に"小さきものたちの鼓動"が息づいているのだ、と確信した。それらは決して物語にはなりえない。しかしだからこそに、豊かな"生"の証のようなものだ。


初めてテラスハウスシリーズに触れて驚いたのは、参加メンバー達は必ずしも恋愛に重きを置いていないということだ。『あいのり』のように、告白がゴールではなく、メンバーたちは恋愛を成し遂げようが、遂げまいが、あらゆる理由で勝手気ままに卒業していく。視聴者が求めるような全うな恋愛ストーリーは実に稀で、ほとんどのメンバーが物語とは呼べないような断片を散蒔いては、テラスハウスから去って行くのである。この「脱・物語性」がゆえに、テラスハウスは様々な人間の唯一無二の"個"の煌めきを映しとることに成功しているのかもしれない。


とは言え、この最新シリーズである『TERRACE HOUSE OPENING NEW DOORS』の序盤は、つば冴と至恩というカップリングによる、スポーツ群像劇と少女漫画を掛け合わせたような起承転結のある美しい物語が用意されていて、それがたまらなく視聴者を魅了するのも確か。だが、この2人の物語で私が最も心奪われたのは、こんなシークエンスだ。つば冴の実家は蕎麦屋を営んでいて、メンバーが蕎麦を食べるシーンが何度か挿入される。初めて店を訪れるメンバーはデフォルトと言える冷たいお蕎麦を注文するのだが、つば冴は必ず温かいお蕎麦を食べている。小さい頃から蕎麦を食べてきた彼女なりのこだわりなのだろう。つば冴と仲を深めた後に、他のメンバーと店を訪れた至恩が温かい蕎麦を注文するのだ!!もしかしたら、「このあいだは冷たいのだったから、今日は温かいの」くらいのことなのかもしれない。しかし、単なる深読みと言われようとも、カメラに映らなかった2人の会話を想像してしまうではないか。蕎麦の注文が冷から温に変わる、この実に些細な事象に、人と人が触れ合って変化していく様が刻まれている、これが私にとってのテラスハウスだ。寮長と呼ばれる31歳の男が、20歳の女の子に惹かれていくなかで、少しでも若く見えるようにと、ご自慢の髭を剃り落すシーンで、落涙した。"個"の煌めきというのは、他者と関わって初めて生まれる。貴方が愛した人は貴方の中に息づき、その逆もまたしかり。そうやって、営みは続いていくのだ。



定点カメラを軸とした一つ一つのショットの美しさ、スタジオメンバーの底意地悪くもエンタメとして成立しているいじり芸、翔平さんの人の良さ、俊亮によってか垣間見えた新世代のジェンンダー観の希望、優衣が体現する人間という生き物の複雑さ・・・などなど言及したい点は山程あるのだけどまとまらないので、またの機会としたい。この軽井沢編は残すところ4話で終了だそうだが、「テラスハウス、もっと早く観ておけばよかった・・・」と後悔させてくれるに相応しいシリーズでした。

くりはらたかし『たんぽぽふうたろうと7ふしぎ』

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今、1番素敵な絵を描く漫画家/イラストレーターはクリハラタカシさんなのです(断言)。やわらかい線で紡がれる所作の中に、生きることの喜びが詰まっています。くりはらたかし名義の新作絵本が発売されました。さすらいのたびびと"たんぽぽふうたろう"が"おおだぬき"を退治するお話。物語に絡んでこないチューじろう、首根っこ掴まれるマメだぬき、おむすびを運ぶおばあさん・・・とモブキャラのかわいさにも細かく言及していきたくなってしまうのですが、おおだぬきとふうたろうの追いかけっこ、その転がるような疾走感がこの絵本の白眉です。カメラアングルとコマ割りの秀逸さ、講談調の歯切れのよいテキスト、何度も声に出して読み返したくなること必至。お母さんもぜひお子様にすすめて上げてください*1。タイトルにもある「もののけがはらの七不思議」はこうである。

①小石をなげいれると 岩が ふる いけ
②手を たたくと おじぎを する スギの木
③のぼると いちばん したに とばされる かいだん
④なでると くびが とぶ じぞう
⑤ふりかえると そこに いる ダルマ
⑥ふむと けむりを はく カエル
⑦かぜも ないのに ゆれる 草

なんともばかばかしくてかわいらしいではありませんか。この"無用の長物"とでも言うようなものたちが絡み合い、そこに"在る"意味を為していくカタルシス。ページをめくるたびに、瞬間、瞬間の煌めきのようなものを感じてしまうのです。



ちなみに、今年1番読み直した漫画はクリハラタカシの『冬のUFO・夏の怪獣』です。

冬のUFO・夏の怪獣

冬のUFO・夏の怪獣

「ひろしとみどり」永遠に読んでいたい。もうすべてが大好きなのだ。発行は信頼のナナロク社から。未読の方はぜひ手に取ってみてください。

*1:Ⓒエキセントリック少年ボーイのテーマ

大賀俊二『映画 おむすびまん』

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さる日のTBSラジオ『ハライチのターン』で話題に上がっていた30周年*1を記念した『それいけ!アンパンマン』の人気投票。結果の詳細が気になり、サイトをじーっと眺めていると、ふと思い出した。私は"おむすびまん"が大好きだったのだ!いや、ビックリマークを持ち出すほど意気込んだ話ではないのだが、「アンパンマンしょくぱんまんカレーパンマン」の御三家にいまいち思い入れを持てなかった幼少期の私は、どこかニヒルなおむすびまんを推しに選んだのであった。先の人気投票では第23位と微妙な意味にランクインしているが、おむすびまんは実にかっこいいヒーローなのだ。そして、おむすびまんは私の映画原体験でもある。『それいけ!アンパンマン ばいきんまんの逆襲』(1990)という映画シリーズの第2作目、これがおそらく初めてのスクリーン体験。本編と同等、もしくはそれ以上に同時上映であったおむすびまんのスピンオフに心奪われた。「ひとくち村のこむすびまん」「おばけ寺のたぬきおに」という10分程度の2つの連作なのだけども、約30年ぶりに観返してみたところ、これがなかなかにいい。

あっしの名前はおむすびまん
以後お見知りおき申し上げるでござんす

こんな口上で映画は始まる。股旅姿に三度笠のおむすびまんは、流浪の旅を続ける渡世人だ。決して一カ所には留まらない。悪事に悩まされる市井の人を助けては、「あっしには旅の夜風が肌に合う」と挨拶もそのままに、そっと立ち去っていく。任侠映画や西部劇がトレースされたこのフィーリングがとにかくかっこいいのである。アクション映画としても秀逸で、おむすびまんが六尺棒を振り回して、実に小気味よく動く。林原めぐみ演じる"こむすびまん"はどこまでもソーキュートであるし、満腹寺ラーメン、ぶた地蔵、なめくじおばけ、"ひとくち村"という食べられることが前提なネーミング・・・細部がいちいち豊かで楽しい。とは言え、何を差し置いても観て欲しいというほどの作品ではないのですが・・・思い入れが強いので、つい記事にしてしまいました。



<参考サイト>
www.anpanman.jp

*1:初めて気づいたのだが、私はアンパンマン第一世代なのですね