青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』

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星野源とオードリー若林正恭。この国の”生き辛さ”を抱える人々のか細き声を代弁してきたメディアスターだ。”人見知り”という自虐を武器に成り上がってきた2人だが、年齢を重ね、活躍のステージを上げていくにつれ、奇しくも共に”人見知り”を克服した旨の宣言をする。しかし、その語り口は大きく異なる。星野源の"それ"について語り出すと止まらなくなってしまうので、ここでは若林正恭の脱・人見知り宣言にフォーカスしてみよう。様々な場所でおもしろおかしく語っているのだが、比較的本音が聞けるであろうラジオでは、以下のような意味合いのことを語っていた。

人見知りは若い子たちのもの
年齢を重ねた自分は、飲み会などで居心地の悪そうな若い子たちに、
気を遣っていかなくてはならない立場になった

この語りからもわかるように若林正恭の抱える”生き辛さ”の視線は、個人を超え、広く社会に向けられ始める。若林は40歳を目前にして、ニュースの内容が理解できない自身を恥じ、東大生の家庭教師を雇い歴史や経済を学び始める。その過程で、この国における”生き辛さ”の根源は、アメリカ合衆国すなわち資本主義と新自由主義というシステムにあるのでは?という疑念に辿り着く。

では、他のシステムで行きている人間はどんな顔をしているんだろう?
とにかく、このシステム以外の国をこの目で見てみないと気がすまない。このシステムを相対化するためのカードを一枚手に入れるのだ。
考えるのはその後だ。二枚のカードを並べて、その間のカードを引いてやる。

若林は灰色の街を後にし、社会主義の国キューバへと旅立つ。導入に関しては、つまるところ非常に平易な言葉で綴られた小沢健二の『うさぎ!』だ。賢い人間が読めば、鼻で笑われるような代物なのだろう。*1そんなことは若林も百も承知である。しかし、若林がこの旅を通じて得る実感は、やはり小沢健二が90年代にポップソングに乗せて啓蒙してきたメッセージに近しい。

喜びを他の誰かとわかり合う!
それだけがこの世の中を熱くする!


小沢健二「痛快ウキウキ通り」

若林がキューバで最も心を動かされるのは、システムから解放された人間同士の血の通ったやりとり、その熱である。それは例えば、革命広場に漂流するカストロの演説がもたらした熱狂の残骸、お金の発生しないキューバ人のアミーゴ精神、もしくは、ふと目にした街の風景。

薄暗くなってきた堤防沿いには、座る隙間がないほどキューバ人が集まってきていた。みんなで笑い合ったり、楽器を持って演奏していたりする。カップルは腰に手を回して海に沈む夕陽を無言で見ている。血が通っている。白々しさがない。

そして、そんな"血の通った関係"に関する語りは、徐々に血縁そのものに置き換わっていく。

隣のキューバ人の家族の旦那がビニール袋一杯に海水を溜め込んで、嫁と子供にバレないように背後から近づいている。ピッタリと近づくと一気にビニール袋を頭の上でひっくり返し、ザザーっと海水をかぶる嫁と子供。家族は悲鳴を上げて爆笑している。しょうもないなー、と呆れながら目をつむる。でも、そんなことがやっぱり楽しいんだよなと納得させられて幸せな気分になる。家族って楽しいんだろうな。

といった描写で伏線を張りつつ、若林は亡き父への想いを綴り始める。



ここからはネタバレ。終盤にて明かされる、若林がキューバ旅行を決意した本当の理由。亡き父が行ってみたかった場所、それがキューバという国であった。唐突に挿入される、旅先での亡き父との対話に、動揺させられてしまう。

「このピザおいしいね!」
「うまいな」

「これ、水飴が入ってるのかね」
「そうかもな」

「ピアノ弾いてるみたいだったね」
「ほぉ」

「こいう音楽好きそうだね」
「いいね」

「ぼくも子供の頃、あれぐらい大きな声で笑ってたよ」
「そうか」

「いやぁ、綺麗な人だったね」
「そうだな」

最初に読んだ際、この若林の脳内対話の相手はオードリー春日ではないか、と錯覚してしまった。いや、だってこの口調は春日そのものじゃないか。最後のセンテンスを読み終え、本書を閉じた私は、ある妄想に憑りつかれてしまう。

”オードリー春日”というキャラクターは、若林の父を体現したものなのではないだろうか?

オードリー春日のトレードマークである七三分けテクノカットにピンク色ベストのプレッピーなスタイルは、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)

バック・トゥ・ザ・フューチャー [DVD]

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ジョージ・マクフライクリスピン・グローヴァー)から着想されたというのは有名な話である。春日とクリスピン・グローヴァーはそもそもかなり似ている。
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ジョージ・マクフライというのは、映画の中で、マイケル・J・フォックス演じるマーティの”父親”だ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という作品を要約すると、マーティが30年前にタイムスリップし、情けない父親のケツを叩き、自信をつけさせ、ボロボロの家族を再生させる、という話である。すなわち"偉大なる父性"を取り戻す物語なのだ。若林は、その父性の対象となるジョージ・マクフライのルックを、相方である春日にトレースした。実際、オードリー春日というキャラクターは意図的に”父性”を託したものであるようだ。2009年のオードリーブレイク直後、「トゥース」が流行語大賞候補に選ばれた際も、

1位になった要因は、圧倒的な存在感…春日の父性ですね

とコメントしている。2010年頃のヤフー知恵袋に「最近、春日さんから父性を感じて困っています。」という言説を見つけた時は思わずニヤリとしてしまった。そして、この春日のキャラクターを考案した時期の若林が、芸人活動を反対する父親から、”勘当”を受けていたという事実。それは司法書士に念書を作成させるほどの本格的な"絶縁"であったらしい。そして、本書にはっきりと記される、若林が"筋金入りのファザコン"であったという告白。また、ラジオで披露されてきた若林・父の”ヤベー奴”エピソード。それらがバシっと組み合わさった時、前述の妄想が美しく完成してしまう。オードリーのズレ漫才は、若林が父親の感触を取り戻すために誕生した。もちろん、これは突飛な妄想だ。だが、そういった思考を引き起こすような"熱"が、この『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』には刻まれているのである。

*1:と言っても、キューバ紀行ものとして非常にヴィヴィッドであるし、風景と思考をシームレスに混在させていく文体は読みどころがある。