青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

巨匠『まだ見ぬ息子達へ』~巨匠コント論を添えて~

f:id:hiko1985:20150223201615j:plain
阿佐ヶ谷ザムザにて巨匠の単独公演『まだ見ぬ息子達へ』を鑑賞。いやはや、これがもう本当に素晴らしい公演で、私は巨匠というコント師をいささか見くびっていたようです。単独公演を頻繁に行っている印象もなく、1つ1つのコントが強烈なので、今回の公演も「シングル集」のような内容になるのかな、なんて予想していたのだけど、その考えは気持ちよく覆される。約3年ぶりの単独公演『まだ見ぬ息子達へ』は、巨匠ここにあり!と言わんばかり、その唯一無二な発想が見事に一本の世界観を形成するオリジナルアルバムでございました。個人的なベストは、「回転寿司屋のカウンターに立っている職人のおじさんは、実は足をコンクリートで固められた罪人である」というぶっ飛んだ発想と寿司屋の構造を巧みに利用した1本でしょうか。ここには”世界”の薄皮を1枚めくり、覗き見るような興奮がある。今年の『キングオブコント』には是非このネタをブラッシュアップして挑んでほしいものです。かもめんたる、シソンヌに続き、巨匠あり。この3組が充実した単独公演を連発するこの2010年代というのは、後に振り返った際、「東京コント界における最も充実した期間」と呼ばれているかもしれない。



巨匠のコントの面白さの根源は何だろう、と考えてみた所、まず彼がマクガフィンを多用するコント師である、という結論に辿り着いた。マクガフィンとは、映画の世界でよく使われる言葉で、Wikipediaに掲載されているヒッチコックの言葉を借りるなら、

私たちがスタジオで「マクガフィン」と呼ぶものがある。それはどんな物語にも現れる機械的な要素だ。それは泥棒ものではたいていネックレスで、スパイものではたいてい書類だ。

つまり、マクガフィンとは物語を進める装置、行動の動機であり、その中身は他の物に置き換え可能なものだ。例えば、今回の公演に「前の席に座るクラスメイトの肩に大きな鷲が乗っかっていて、黒板がよく見えない」というコントがある。後ろの席の生徒が「何故肩に鷲を乗せているのだ?」と問い詰めると、彼は「肩に何か負荷をかけていないと痛みを感じてしまう体質なのだ」と返す。つまり、肩に乗っけるのは鷲でなくてもいい。「肩にのっけて1番自然なものをチョイスしただけ」というわけである。置き換え可能という事はつまり”無意味”とも言える。この”無意味さ”が、巨匠というコント師の素晴らしさであり、本公演の通奏低音はである。巨匠のコントは、「前の席に座るクラスメイトの肩に大きな鷲が乗っかっている」という導入から、意味性やドラマ性(例えば、「鷲に育てられた」とか)を展開させていかない。鷲が邪魔で黒板が見えない、というその現象を執拗にクローズアップすることで、ボケ(=おかしな行動)がコント内における固有のものとして輝き出すのだ。こんなコントもある。親に指示され、ダンボールと手を取り合うようにして、「ダンボールとダンス」と連呼しながら踊り続ける息子。「こんな事に何の意味があるのか?」と息子が不満を漏らすと、父は「その動きが何かの役に立ったり、どこかを鍛えていたり、という事はなく、本当に何の意味もない」とはっきりと言う。その時、何の意味も、発展性もない「ダンボールとダンス」という運動が、どこまでもバカらしく、そして美しく輝き出すのだ。



巨匠の今公演の素晴らしさは、意味やドラマ性を剥ぎ取ったミニマルさにも関わらず、その”無意味さ”の構成そのものだけで、強いメッセージを打ち出している点だろう。人生には必ず「何故こんな事をしなくてはいけないのだろう?」と疑問を抱く瞬間が訪れる。どうかその瞬間を腐る事なく楽しく乗り切る事が出来ますように、と”お笑い”というフォーマットでもって、巨匠は”まだ見ぬ息子達”に伝えているのだ。



“無意味さ"とどこか繋がっているのかもしれないが、巨匠のコントには「システム化された単純作業」というモチーフが頻出する。それは、サイレント映画のコメディを想わせ、岡野にはチャップリン的感性が備わっているのかもしれない。しかし、彼は資本主義を批判したいわけではない。岡野陽一のエピソードトークに、「地元のある施設でのアルバイトで、天井から落ちてくる水滴の色が変化しないかを1日中観察し続けていた」というものがあるのだけど、このエピソードに、彼のコント作家としての資質が隠れているような気もする。彼はどこか”単純さ”というものに魅入られている。コントを通して、”世界”というものを独自のシステムや法則の中に閉じ込め、単純化させようとしているのではないか。例えば、彼らの代表作とも言える「万物の祖」はどうだろう。
http://youtu.be/HNJmyic9znc
生きとし生けるものの起源という壮大なテーマを、「お口1つに肛門2つ」「お口2つに肛門1つ」・・・という単純な法則の中で表現し切っている。『キングオブコント2014』で披露したコントもまた、ギャンブルにはまるダメなおじさんがこの世の中に溢れている仕組みを、「競馬新聞でパチンコ玉を包む」という単純作業で説明してしまう。その単純さの中で、固有に躍動する豊かな細部、これが巨匠のコントの面白さなのである。