青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

最近のこと(2017/04/08~)

数週分ほど「最近のこと」シリーズを書きそびれてしまった。プロ野球が開幕したもののヤクルトスワローズが弱かったり、大相撲の三月場所での稀勢の里優勝に興奮したり、銭湯サウナに傾倒してみたり、どついたるねんのメジャーデビューが決まったり、『ウディ・アレンの6つの危ない物語』がおもしろかったり、ゆるふわギャングのファーストアルバムがリリースされたり、色々あった気がする。ダイアンの漫才ライブDVD『DVDのダイちゃん~ベストネタセレクション』にも助けられた。

ダイアン 1st DVD/DVDのダイちゃん~ベストネタセレクション~

ダイアン 1st DVD/DVDのダイちゃん~ベストネタセレクション~

特典映像のロケ企画もずっと観ていられるおもしろさで、早くダイアンも全国区のテレビに躍り出て欲しい。朝ドラ『ひよっこ』は岡田恵和なので、一応継続中。有村架純はかわいいが、増田直美のメタっぽいナレーションはあんまり好みではない。ときに、増田明美も松野明美もマラソンランナーなのややこしいな。倉本聰による昼ドラ『やすらぎの郷』は刺激的で必見である。平行して『北の国から』をイチから全部観直してみようと計画している。しかし、まだ『ライスカレー』が途中のままだ。 そうそう、木皿泉×Perfumeの『パンセ』もおもしろかった。3人とも声がよくて、木皿泉の浮世離れした台詞がハマっていた。現在、Perfumeの熱心なリスナーではないのだけども、大学時代サウンドは青春のサウンドトラックと言っていいほどである。部室で流すことが可能な最大公約数の音楽であったので、本当によく聞いていた。「SEVENTH HEAVEN」の収録された『ポリリズム』と『Baby cruising Love/マカロニ』というポップミュージック史に残る二大名曲の両A面シングルの2枚が私の中のベストパフューム。「Baby cruising Love」とかは今聞いても泣いてしまうのだ。
youtu.be



実家の片づけをしているのだけども、机から懐かしいものが続と々出てくる。日記帳だとか手紙だとか、小学生の頃に自作した漫画、交換し合ったミックステープ(正確にはMDなのだけども)、寄せ書き・・・あと笑ってしまったのは、『キン肉マン』の超人を大量に模写したノート。どうりで、今でもラーメンマンだけは何も見ないで書けるわけです。切手をコレクションしたアルバムが奥の方から出てくる。
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ドラえもん』でスネ夫が切手コレクションを趣味にしているのに憧れて、祖母にねだって譲ってもらったのだった。一瞬だけ凝った趣味であって、完全に忘れていた。教科書とか参考書も全部残してあった。ひすたら書くことで暗記した英単語や日本史の年号やら人生やら土器や絵画の名前で埋め尽くされた真っ黒なノートなどもある。見事に全部忘れてしまったな。「僕が今、好きなモノ」というようなものを羅列したページというのがたいていのどのノートにも1ページあって、「小沢健二藤子・F・不二雄ラーメンズ、珈琲、おぎやはぎサニーデイ・サービス乙葉くるりゲーテバナナマンetc・・・」とかダーッと書いてある。いや、なんだ、ゲーテって。なんで、誰に見せるでもないノートで見栄を張っているのだ。更に、中高時代の部活動で制作した文集が出てきた。私が所属していた部は古典部や文芸部というわけでもないのに、学園祭の時期に文集を制作していたのだ。当然、すべて手書き。上下巻に分かれており、上巻は年度の部活動の概要をまとめたもの、下巻は各々の部員が好き勝手に書いている。毎年恒例の用語解説集のコーナーを執筆するのが花形である。いかに部活動と関係ない用語をスムースに織り込めるかのセンスが問われた。下巻をめくってみると、「僕の選ぶガンダム名シーンベスト5」だとか「浜崎あゆみのベストリリック10」だとか「最強のヴィジュアル系バンドピエロについて」だとか「松浦亜弥『ファーストKISS』全曲解説」だとか心震える企画が立ち並ぶ中、私も「オススメの音楽」なる凡庸なタイトルのページを執筆していた。ひどく退屈な内容ではあったが、このブログの原点を発見したような気持ちで、ギュッと冊子を抱きしめた。



土曜日。金曜の夜からNetflixジャド・アパトー『LOVE』のシーズン2を一気に見通したので大変眠い。
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シーズン1同様の良さ。シーズン2もあけすけに心の機微が描かれていて、揺さぶられました。シーズン3の制作も決定しているようです。槇原敬之のコンサートツアーのチケットに申し込もうとするも、繋がらないままに売り切れてしまった。コメントで教えて頂いたのですが、今回のツアーでは「Penguin」がセットリストに入っているらしいのですよね。1番好きな曲。なんとしても聞きたいではないか。昼頃に、西武池袋線椎名町駅へ。駅前の立ち食いうどん屋「南天」で名物の肉うどんを食べる。
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学生時代はこのあたりをよくウロウロしていたので、ひさしぶりに食べる青春の味であった。椎名町は古い商店街がまだ賑やかで、味のある個店がたくさんある。椎名町にやって来たのは、評判の高い銭湯「妙法湯」が目的。しかし、土曜日は3時半からでまだかなり時間があったので諦め、練馬駅近くの銭湯に適当に入ってみる。これが大外れ。洗い場が1個も空いていないくらいに混んでいて、そのほぼ全員が近所の顔見知りのようで、とにかく五月蠅い。ミサイルと戦争の話にはしゃぐ老人たちの息は血生臭い。汗を流さず水風呂など当たり前、サウナ内で唾を吐いたり、水風呂にタオルを投げ入れたり、と考えるうる最悪のマナーで、ほとほとあきれ返ってしまった。立腹で銭湯を出る。こんなことなら、桜台の「久松湯」にすればよかった。湯上りで実家に向かい、引っ越しの手伝いをして、鍋を食って、周防正行シコふんじゃった。』を観るなどして、生家との別れを惜しんだ。深く思い返すとセンチメンタルになってしまいそうなので、能天気にやり過ごした。帰宅して、『四畳半神話体系』を見漁る。
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改めて、すべてが完璧な作品だ。胸がいっぱいになってしまった。OP曲であるASIAN KUNG-FU GENERATIONの「迷子犬と雨のビート」も彼らのキャリアの中でも1番好きなナンバーかもしれない。



日曜日。目を覚ますと雨降りで、二度寝をしてしまう。疲れが溜まっているので、家でのんびり過ごすことにした。起き抜けにシソンヌのライブDVD『cinq』を観た。

シソンヌライブ [cinq] [DVD]

シソンヌライブ [cinq] [DVD]

本多劇場で上演している『six』の当日券に並ぼうかと思っていたのだが、5000円で立ち見は辛いので断念。最高傑作との呼び声が高いので、DVDで観るのが楽しみだ。個人的には5作目までで言えば、最高傑作は『deux』だと思う。僅差で『trois』か。お昼はふき味噌ペペロンチーノパスタを作って食べた。スワローズの三連敗を見届け、ストレスがマックスに達したので、自転車でサウナへ。上之根橋商店会という小さな商店街にある「バブリバ八光」という銭湯を訪れてみたのですが、清潔、快適で大変素晴らしかった。ナイスなコンディションのサウナなのだけども、空いていて貸し切り。テレビで笑点を観ながら、蒸される。水風呂は19℃くらい。あと少しだけ冷たかったら、言うことなしの施設だ。サウナ利用者はドリンク1本無料ということだったので、オロナミンCを頂く。湯上りに近所のシネコンで『夜は短し歩けよ乙女』を観た。期待をパンパンに膨らませていたせいで、どこか消化不良。ギャグが冴えていなかったようにも思う。まことにどうでもいい話ですが、私は黒髪の乙女より明石さんのがタイプだ。『四畳半神話体系』を観過ぎたあまり、どうしても猫ラーメンが食べたくなり、スーパーで見かけた京都・白川のラーメン屋の袋ラーメンを買って、作って食べました。具材がなく素ラーメンでしたが、無類の味であった。京都で大学生活を送りたかった。Hi,how are you?やHomecomingsやベランダの面々は、あのような夢のようなキャンパスライフを送っていたのだろうか。



月曜日。朝から頭がスッキリしない。まったく月曜日の私はまったく使いものにならない。しかし、やっと年度末処理から解放されたので、少し気分はいい。桜もやっとゆっくり眺めることができたし。花見らしい花見なんて何年もしていない。そもそも本式の花見なんてしたことあったけかな、と思ったけども、学生の頃は確かにシートを敷き、花を見て、飲み食いするというのを春にしていた気がする。私の社交性のピークは20代前半だったようだ。最近歩く距離が増えたからか、ふくらはぎが張って痛い。色々調べてみたところ、歩き方が悪いのだ、という結論に至った。足指を上手に使えていない。これができていないと変な筋肉の付き方をしてしまうらしい。浮指状態が続くと、足裏の血流が悪くなり、肩凝り、腰痛、むくみ、冷え症、自律神経失調症に至る、とまで書いてある。そんなバカな。そんな大事なことを何で今まで誰も教えてくれなかったのだろうか。それとも私がちゃんと聞いていなかっただけで、体育や保健の授業では”歩行時の正しい指の使い方”などが講義されていたのだろうか。だとしたらおおいな損失である。不良でも何でもないのに授業をまともに聞いていなかった若かりし自分が恨めしい。しかし、仮に上記の説に信憑性があるのなら、私は足指を上手に使うだけで、完璧に健康な体を手に入れられるということだ。暗い印象の顔や表情も、グッと爽やかになることだろう。野々村真みたいに。楽しみである。「消えたハンサム」という特集をいつの日か編むべく、表紙候補の1人である鳥羽潤について調べていたら、『ぼくは勉強ができない』の映画において時田秀美役を演じていたことを知った。いや、そういえば、やっていた気がするけども、私はあの小説を10代の頃に読んで、深く絶望したものでした。長嶋有がタイトルでオマージュを捧げた『ぼくは落ち着きがない』という図書部を舞台とした青春小説には、震えるほど感動した。 

ぼくは落ち着きがない (光文社文庫)

ぼくは落ち着きがない (光文社文庫)

帰宅して、昨夜の『乃木坂工事中』と『欅って書けない?』を観る。どちらも良回だった。とりわけ、「どこに潜入してみたい?」という問いに対する、ペーちゃんの「パン・・・」という回答には飛び上がってしまいました。パン屋さんに潜入したかったのかなぁ、かわいいなぁ。『欅って書けない?』が面白くなってきたのはメンバーの成長ももちろんだけども、ハライチ澤部さんが本来の力を発揮し出したのも大きいと思う。開始1年くらいは大量の女の子を前に緊張していたのだろうか。お風呂で長嶋有の『安全な妄想』を読み、「フハッ」と声を出して笑った。
安全な妄想 (河出文庫)

安全な妄想 (河出文庫)




火曜日。数年前に購入してほったらしにしてあったAlex Chilton『ELECTRICITY BY CANDLELIGHT』

ELECTRICITY BY CANDLELIGHT

ELECTRICITY BY CANDLELIGHT

を最近ひたすら聞いている。なんかこう、今の気分にジャストフィットなのである。泣くほどいい。この日は神宮球場でのヤクルトVSドラゴンズのチケットを抑えていたのだけども、雨天中止。寒い日だったので、助かったという気持ちだ。春の神宮球場はとても寒い。それにヤクルト打線も冷え冷えだ。ポテンシャルはあるのに、どこまでも勝負弱い、お坊ちゃま精神。嫌いになれねぇ。スーパーで春キャベツを1玉買い、豚肉と蒸して食べた。キムチも買ったので、明日はキムチキャベツ炒めを作ろう。録画してあった復活『キングちゃん』を観る。先週のスペシャルもおもしろかったし、本当にうれしい。商品説明コーナーも無事なくなり、純然たるお笑い番組に。グッとくるぜ。Huluで『NOGIBONGO 8』を観る。いきなり3期生フューチャー回。血の入れ替えに徹するのか。乃木坂46の3期生は凄くかわいいのだけども、同じような境遇である欅坂46のアンダー的存在”ひらがなけやき”メンバーのどこかイケてない感じの方がなぜだか好きなのだな。誰よりも高く跳べ!Netflix幾原邦彦が監督を務めた『劇場版美少女戦士セーラームーンR』(1993)を観て、少し泣いた。
美少女戦士セーラームーンR [DVD]

美少女戦士セーラームーンR [DVD]

60分という尺も含めて、完璧としか言いようがない。マーキュリー派かジュピター派か悩む。幼き頃は火野レイちゃん派でした。



水曜日。暖かい。通勤時にコートも必要なくなった。本屋で川島小鳥の編んだ台南ガイドブック『愛の台南』を購入。

愛の台南

愛の台南

こういうところがいいのだろうな、というのがきちんと言語化されていて、益々行きたくなってしまった。今年はこれを元に、台南に旅行に行きたいな。スワローズVSドラゴンズの最下位決定戦がひどい試合でうんざり。本当に弱いぞ、スワローズ。イライラし過ぎてお腹を壊した。多分、本当はスーパーで買った100g125円という破格の豚バラ肉のせいだろう。最近見つけたそのスーパーは汚い場末感満載なのだが、本当に安い。もやしは10円台。そこで買える100円のサラダカニカマがお気に入り。マヨネーズと七味で食べます。JET SETで購入したhi,how are you?のヒストリーVHSを観る。すごくよかった。センチメンタルな気持ちになるではないか。原田くんのギターの音は本当にいい。世界中にインディーミュージックファンに聞いてほしい、ハイハワは。ザ・なつやすみバンドとインドネシアネオアコバンドのスプリットカセットも届いていた。こういうアイテムに異様に愛着を持ってしまうのはまったくをもってオタク気質である。はてなダイアリーのカリスマ『根こそぎリンダ』というブログを運営していた奥山村人が小説家を目指すといい出し、早数年。その言葉は現実となり、佐野徹夜としてデビュー作『君は月夜に光り輝く』を献上した。しかも、既に数万部も売れているらしい。凄過ぎる。『根こそぎリンダ』の大ファンであったので、購入して読みました。ブログでは舞城王太郎滝本竜彦を完全に咀嚼し切った、流れるような文体が特徴だったのだけども、そういった文章の巧さみたいなものは抑制されていて、「~だった」を繰り返す、どこか味気ない文体で押し切っている。何かしら意図があるのかもしれないが、真意は掴めなかった。しかし、ダイアローグシーンなどではその才能の片鱗を見せつけている。テレビ電話やロミオとジュリエットなどを使った視線の混濁化も巧い。あと、アーモンドクラッシュポッキーが出てくるところとか好きでした。



木曜日。欅坂46今泉佑唯が体調不良で当面の活動休止の報。ショックだ。実はずーみんのこと、むちゃくちゃ好きなのだ。ずーみんが好きと公言するの、ちょっと恥ずかしいのは何でなんだろう。ちなみに握手会での人気は欅坂の中でトップである。しかし、いつもあんなに弾けんばかりの笑顔だったのに。人間、わらかないものである。復帰を待ち続けるので、ゆっくり療養して欲しい。少し残業して帰って鍋作って食べる。ひたすらこのルーティンである。鍋を食べながら、貧打スワローズの試合を見守っていると、最後に鵜久森が代打サヨナラ。開幕カードでの代打サヨナラ満塁ホームランも痺れたが、これもうれしい。6連敗という泥沼からの脱出である。昨夜の『水曜日のダウンタウン』でのバイきんぐが面白すぎて、腹が捩れた。お風呂でハードカバーの重たい本を読み耽る。Thundercat『Drunk』をひたすら聞いていた。

Drunk

Drunk

今年の新譜アルバムでずっと聞き続けているのはこれだけかもしれない。

倉本聰『やすらぎの郷』

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やすらぎの郷』がおもしろい。12時30分から放送の昼ドラである。テレビ朝日がシルバー向け昼帯ドラマ枠を新設し、その記念すべき一作目として、倉本聰(『北の国から』『前略おふくろ様』『ライスカレー』など)が脚本を手がけている。御年82歳の倉本聰が2クールに渡る連続ドラマに挑んでいるという事実にまず震え上がってしまうのだが、出演者がそれに輪をかけて凄い。石坂浩二八千草薫、浅岡ルリ子、野際陽子有馬稲子五月みどり加賀まりこ藤竜也ミッキー・カーチス山本圭風吹ジュンetc・・・現行のドラマ作品であれば、この中の1人でも出演していれば御の字というようなベテランスターが勢揃いしている。これはもうテレビドラマファンとしては何を犠牲にしたって目撃せねばならぬ案件なわけだが、実際のところ異様におもしろい。


まさに異様なのだ。かつてテレビ業界に貢献したものだけが入居できる至れり尽くせりの老人介護施設「やすらぎの郷 La Strada」が存在する。石坂浩二の口から興奮気味にそのユートピア性が語られるほどに、スタッフから詳細な設備説明が為されるほどに、その実存が揺らぎ、何やら不安な気持ちになってくる。他にも「たとえ功労者であろうと、かつてテレビ局の専属として働いた経験がある者には入居の資格がない」というような必要以上に細かい設定は何なのだろう。作家の私怨のようなものが滲み出ていやしないか。”ラ・ストラーダ”に隠されたLASTの音も不穏だ。この感じ、何かに似ている。しばらく思案して辿り着いたのが、藤子不二雄Ⓐ(倉本聰と同じ1934年生まれだ)のブラックユーモア短編のフィーリングだった。

笑ゥせぇるすまん (1) (中公文庫―コミック版)

笑ゥせぇるすまん (1) (中公文庫―コミック版)

石坂浩二近藤正臣と馴染みの居酒屋の2階でユートピアやすらぎの郷”の概要について語り合う質感など、まさにそれである。藤子不二雄Ⓐのブラックユーモアということであれば、最後には喪黒福造が現れ「ドーン!!!!」と大どんでん返しがありそうなものだが、さて本作においてはどうなるのだろう。


そして、お昼に放送しているとは思えぬほどの迸る死臭。物語のスタートからして、認知症の果てに亡くなった妻の墓の前での回想から始まる(ここでの風吹ジュンの若作りミニスカート衣装もどうかしている)。やっと主人公が物語の舞台である”やすらぎの郷”に辿り着いたかと思うと、入居者の葬儀後という事で、喪服姿で出迎える豪華絢爛の大女優達。ホワイトバックに映える艶っぽい黒の不気味さよ!そして、2週目現在、物語の争点となっているのは幽霊騒動である。死がそこかしこに転がっている。いや、執筆者、出演者の年齢を考えれば、当然のように”死”はテーマとしても漏れ出しようものだろう。しかし、このドラマにおいて死臭を放っているのは、高齢スター達ではない。彼らは実に活き活きと、往年のパブリックイメージを踏襲した演技を見せている。まるで死者のような不気味さを放っているのは草刈民代常盤貴子名高達男をはじめとする老人以外のキャストである。あの演技メソッドは何なのだ。妙な丁寧さの中でも隠し切れぬ無機質さ。彼らに生きる者としての精力を感じない。若手を代表する名女優の松岡茉優ですら、何やら不自然な笑顔を湛え、”ハッピーちゃん”という気の狂ったようなニックネームを授けられている。死に場所を求めてやってきた老人達が青春を謳歌するかのように快活と、それ以外の人々はロボットのように。この反転現象。「もう死んでいるのはお前ら(=現行のテレビ業界)なのだ」という痛烈な皮肉なのか、はたまた。


さて、現在の放送までをして、この『やすらぎの郷』の主成分は回顧主義から来る愚痴と皮肉。そして、”老人のギャルゲー”と揶揄されるようなスケベ心である。そんなもの誰が観たいのだ、という話だが、これがおもしろいのだから不思議だ。倉本聰の刃の切れ味は、老いてますます鋭い。石坂浩二浅丘ルリ子の、もしくは加賀まりことのハグの画力を、君を見たか。しかし、82歳の作家のまさに命を削るような長期執筆が、愚痴や皮肉などで留まるとは思えないわけで。このドラマが最終的にどんな場所に連れていってくれるのか、期待と関心は尽きない。

湯浅政明『夜は短し歩けよ乙女』

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『四畳半神話体系』における主人公は、自身のヒロインへの恋心になかなか気づかず、”もちぐま”という形で絶えず目の前にぶら下がっていた恋愛への好機になかなか手を伸ばさない。対して『夜は短し恋せよ乙女』の主人公は、明確にヒロインこと”黒髪の乙女”を恋のターゲットに定めており、ナカメ作戦(なるべく彼女の目にとまる)なる戦略を実行すべく絶えず走り回っている。『四畳半神話体系』が永遠に四畳半から抜け出せなくなってしまうというようなループを描く”静”の作品だとすると、今作はタイトルにあるように”歩くこと”で夜を永遠に拡張していく”動”の作品であると言えるだろう。作品のキーとなる『ラ・タ・タ・タム』という絵本は駆動する機関車のお話であり、その絵本を見つける古本市というのもまた、固定されずに移動を続ける形態を有している。移動する自宅である李白の三階建て電車、韋駄天コタツ、ゲリラ演劇と、今作におけるその”動性”は枚挙に暇がない。原作小説では四季にまたがっていた物語を、すべて一夜の出来事であった、という時間の流れを完全に無視したアクロバティックな改変を施しているのだが、それが素晴らしい。整合性を捨て去ってまで作った1本の道が、この作品の魅せるせわしない”移動”の残像をよりくっきりと映し出し、あらゆる事象を1つに結びつけ、数多の孤独を慰める。絶えず動き続けるこの作品のエモーションはアニメーションの快楽性や、エネルギッシュな若き心の様相と見事にマッチしているし、まさに期待どおりの青春活劇と言えるのだろう。


しかし、ほぼ同一のスタッフ陣によって制作された『四畳半神話体系』という前提を意識してしまうと、どうにも物足りないというのが本音だ。映画とテレビシリーズを並列に語ってみせるのはナンセンスだが、登場キャラクターでさえ二作の間を横断しているわけで、やはり比較は避けられまい。しかし、『夜は短し歩けよ乙女』に小津はいない。『四畳半神話体系』という作品においては、何はなくとも小津、と言えるほどに魅力的なキャラクターだ。これは痛手である。それはスタッフも承知のようで、古本市の神様というキャラクターを無理やり小津的なものに改変している(原作では美しい容姿の少年なのである)。そして、同じスタッフを集めたからといって同じことをやってもしょうがないだろう、というようなプロフェッショナル精神がもたらしたであろう”ズレ”が、作品をどこまでも野暮ったくしているように感じる。湯浅政明お得意のインナーワールドでの演出もキレがない。何より、あの凡庸なミュージカルシーンの数々をどう面白がればいいのだ(女装した学園祭事務局長との恋が当て馬に使われるという改変も、このご時世においてあまりに冴えない)。


実にありきたりな批判になってしまうのだが、『夜は短し歩けよ乙女』の星野源と『四畳半神話体系』の浅沼晋太郎では声優としての力量にあまりに差がありすぎやしないか。いわゆる森見調ともいうような、あの矢継ぎ早に繰り出される噛み応えのある古めかしく硬い文体を、『四畳半神話体系』において浅沼慎太郎は完璧なリズムと見事な発声で再現してみせ、それは作品のサウンドトラックであるかのように機能していた。対して星野源のそれは凡庸なコメディのようにしか機能していない。森見作品との相性と集客力というのを考えた時に、主演声優に星野源という選択が最良である事に何の異論もないのだが、それらを差し引いても星野源の声はやはりブスではないだろうか。いや、星野源を槍玉に挙げるのは間違えているかもしれない。そもそも、私は『夜は短し歩けよ乙女』という作品がそれほど好きではなかったのだ。作家の特色を水増しして薄めることで大衆性を獲得した作品、という印象が強い。実際に森見作品において断トツの100万部超えのセールスである。松本人志が『シネマ坊主』で書いていたように、北野武ファンで『HANA-BI』が1番好きな人は少ないし、サザンオールスターズの熱烈なファンに「TSUNAMI」を1番好きな曲に挙げる人はいないし、森見登美彦ファンで『夜は短し歩けよ乙女』をベストに選ぶ人は少ないのではないだろうか、と勝手に思っていたりする。何がそこまでそんなに好きではないかというと、端的に言ってしまえば、葛藤描写が少なく、最初から最後までファンタジックに浮足だっている点に尽きる。しかし、これはあくまでひねくれ者の戯言であって、『四畳半神話体系』が好きな人は間違いなく気に入る、というのが通説のようなので、ぜひ惑わされず、劇場に足を運んでみて欲しい。



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湯浅政明『四畳半神話体系』

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「あの時、あの選択をとっていれば・・・」という後悔を無数に抱いていくのが、すなわち青春という季節である。かくいう私も意を決して入部したサークルの、その枯れ果てた恋愛事情に失望し、部室の薄い壁から聞こえ漏れる隣のサークルの華やかな男女交際の声に耳をすませては、ノックした扉が1つ違っていただけで、私にも薔薇色のキャンパスライフが待ち受けていたのでは、と後悔にうながだれながら机に突っ伏していたものだ。そんな普遍的な大学生活の”if”を、摩訶不思議な京都の街を舞台に展開させたSF青春劇が『四畳半神話体系』である。


「あの時、このサークルを選んでいれば」という”if”が無数のパラレルワールドを立ち上げていく。すなわち2017年のポップカルチャー界のトレンドワードである”並行世界”というやつ。1話ではテニスサークル、2話では映画サークル、3話ではサイクリング同好会・・・というように、そのサークル選択の先に広がる主人公の未来が1話ごとに展開されていく。それらの並行世界は全く違うようでいて、やはりどこか似通っている。しつこいまでの反復と差異を、支える細部の躍動も勿論なのだが、何よりも感動的なのは、巡り合うべき人には、どうしたって巡り合うという結論だろう。
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私たち
黒い運命の糸で結ばれているのですから

主人公につきまとう小津というキャラクターがまずもって抜群に素晴らしい。この作品が秀逸なのは、主人公とヒロインの恋物語を主軸にしているようでいて、実際のところは私と小津のラブストーリーである点だ。主人公に言わせると、「他人の不幸をおかずにして飯が食える、およそ褒めるべきところが1つもない男」であるのだが、実際のところ、小津の策略でもって、主人公はどんなサークルを選択しようとも、いつだって薔薇色のキャンパスライフを掴み損ねる。しかし、無数の平行世界は、単純に見える1人の人間の複雑な多面性を浮き彫りにしていく。”阿呆”としか思えない行動に隠された高潔な感情が隠されていたり。繰り返されるパラレルワールドの中で、主人公は出会う前からして、周りの人間に強烈な”親密さ”を抱き出す。

なんだかよくも知らない人達のことが妙に愛おしくなった
昔から知っていたような気がして
何故か懐かしささえ覚えた

不毛と思われていた学生生活が、美しい時間へと反転していく。青春時代に抱く無数の”後悔”こそが、今立っている場所の豊かさを支えているのではないか、そう思わせてくれる。



四畳半神話大系 (角川文庫)

四畳半神話大系 (角川文庫)

森見登美彦の原作小説もマスターピースであるが、とりわけ2010年にフジテレビのノイタミナ枠で放送されていたアニメ版が素晴らしい。脚本は先日、第61回岸田國士戯曲賞を受賞したヨーロッパ企画上田誠。会話劇のセンスと、伏線を見事に回収していく緻密な脚本は芸術的。そして、監督は『マインドゲーム』や『ピンポン THE ANIMATION』の湯浅政明。自由過ぎる発想とグニャグニャと歪んだ線とパースがもたらす大胆な構図、そして、ドラッギーな色彩感覚は、この複雑な世界の全てを受け入れるような大らかさに満ちている。湯浅政明×上田誠、相反するようで完璧な組み合わせなのだ。この『四畳半神話体系』という作品を、個人的にここ10年のアニメーションでベストと言っていいほどに偏愛していて、どうにもその魅力を巧く言語化できないのがもどかしい。私(浅沼晋太郎)、明石さん(坂本真綾)、樋口(藤原啓二)、小津(吉野裕行)のパーフェクトなボイス演技について、半永久的に発生するカステラと魚肉ハンバーグについて、純潔な高級ラブドールとの恋について、無類の味であるという猫ラーメンについて、2年かけて読み通す『海底二万海里』について、地球儀に足で刺されるマチ針について、主人公と小津の囲む鍋について、メタファーとしてのカウボーイジョニーについて・・・そういった豊潤な細部を、可能であれば無限に語り尽くしたいほどだ。だが、文章がまとまらない。とにもかくにも、怠惰な学生生活の中で営まれる恋や友情(のようなもの)の気配が、神妙かつ怪しげな京都の街に張り巡らされることで、神話や宇宙の真理のようなもの端くれに、触れてしまう。そのアクロバティックな跳躍をぜひとも目撃して頂きたい。




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木皿泉『パンセ』

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のりぶぅ(のっち)が意味もなく言葉を3度繰り返し、どんちゃん(あ~ちゃん)に「なんで、3回言う」とツッコまれる。豪華絢爛ながら、300万円という破格の売値がつけられた洋館を前にして、どんちゃんが言う。

これ、3人で割ったら・・・割り切れるじゃん

なんだか変な台詞だ。「1人あたり100万じゃん」が普通のはず。あえて3で割り切れるということを強調しているわけで、つまりはこのドラマは”3”という数字にこだわっている。3は偉大だ。Three is a magic number、3人寄れば文殊の知恵、など言いますし、3の倍数と3が付く数字のときだけアホになる人だっている。もちろん、Perfumeというユニットの完璧な三角形へのリスペクトもあるだろう。とりあえず3人いれば会話はおもしろいように転がり、物語も踊り出すのです。


木皿泉と3人娘というと連想してしまうのは、もたいまさこ×室井滋×小林聡美の『やっぱり猫が好き』だろう。

やっぱり猫が好き』というシットコムは、小林聡美との結婚というインパクトもあって、三谷幸喜が全部書いているかのように錯覚してしまうのだけども、実際の所は複数のライターが参加していて、第2シーズンなどは木皿泉が4割ほど執筆している。あの永遠に続くかのようなとめどない“おしゃべり”の魔法が、Perfumeの3人に受け継がれてしまったならば、それはどんなに素敵なことだろうか。序盤こそそんな風合いが漂っていたのだけども、『やっぱり猫が好き』のあの無意味性の連続がもたらす陶酔はやはり三谷幸喜の色であって、この『パンセ』というドラマは(いい意味でも悪い意味でも)肩に力の入った木皿泉という作家のドラマに仕上がっている。つまり、観る者に”生きるということ”を見つめ直させようとしてくるような深度があるのだ。


今作は30分ずつの前編と後編で構成されていて、CMを除いてしまえば、尺は1時間にも満たない短編ドラマだ。であるから、登場人物の背景を書き込む余裕はほぼなく、役名すらきちんとは紹介されない。かしゆかが”おかみど”という役名だったことを、HPを見るまで気づかなかったくらいだ。そのような状況の中においては、木皿特有の”いい言葉“がいささか悪目立ちしてしまっているきらいがあるのは否めない。これをパイロット版にして、ぜひとも、連ドラ化を果たして頂き、そこらへんのバランスのとれたものを観てみたいものです。演技未経験ということだが、Perfume3人のやりとりに嘘っぽさがないのがよかった。それこそまさに並行世界の3人を観るようである。なんといってもやはり3人とも”声”がいい。尺のない中でも、何気ないやりとりや所作でもって、3人の性格や関係性などを掴ませてしまう脚本術。どんちゃんはしっかり者で、おかみどは抜け目なく、のりぶぅは自由人。おそらく、Perfume本人らのパーソナリティとそんなにズレていないのだろう。その点においても非常に優れたファンムービーとなっている。


おでんを載せたラジコンが庭を横断して孤独なテントに辿り着く、サイレント大相撲とムード音楽、鞄一杯に詰まったレモンと資本主義、なんていう木皿泉特有のイメージの豊かさは、やはりたまらないものがある。力丸(勝村政信)の抱える潔癖症の象徴とも言える石鹸、その泡がシャボン玉となって空に舞い、下を向く人々の顔を上げる、なんて演出もニクい。本作のとりわけ感動的な点は

大変だろうねぇ
今までも これからも

というような力丸というキャラクターへの、3人の察しの良さにあるだろう。(もちろん尺の問題もあるのだろけども)その”察しの良さ”からくる、力丸を受け入れることへの”葛藤のなさ”にグッときてしまう。

でもさ
力丸のこと心配してる自分って嫌いじゃないんだよね

人の幸せをこんなに願うことができるんだ
ってビックリしてる

そこに漂うのは、誰かのことを強く想ってみることへの圧倒的な肯定である。木皿泉の”居心地の悪い人達”に向けた優しいまなざしが、どこかリアリティがなく浮足立ったこのドラマに真実味のようなものをもたらしている。ババ抜きで"ハートのエース"を引き抜くこと、「いってきます」と家を飛び出した冒険者を「おかえりなさい」と迎えてあげること。こういった小さなドラマに大きな感動を付与できるドラマ作家は、現代において木皿泉くらいのものではないだろうか。

悲しいだろう みんな同じさ
同じ夜を むかえてる

と歌われる吉田拓郎の「どうしてこんなに悲しいんだろう」は反則的なまでに胸に響く。誰も等しく悲しい夜を持っている、その事さえ忘れなければ、私たちは何かをわかち合って生きていけるような気がするのだ。