青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ダウ90000第七回演劇公演『ロマンス』


ダウ90000(以下ダウ)というユニットの魅力を一言で表すならば、“会話のおもしろさ”だろう。人と人との言葉と感情のやりとり、その密度の濃さ。もしくは、リアリティのある男女の会話の機微。まずもって、あの演劇らしからぬ、どちらかと言うとボソボソした発声のお喋り。ぼやきというか呟きというのか、それでいて的を射たことばかり喋っているので、Twitter(X)以降の若者のリアルを感じる。また、その秀逸な固有名詞の扱い方も、大きな見どころだろう。第七回演劇公演『ロマンス』であれば、コンビニのアイスケースのラインナップによっては高確率で手にとってしまう“明治パルム“、買って数年は台所からなくならない“味覇”の缶、“ゴミ袋ホルダー”に溜まっていくビニール袋、“マルちゃん焼きそば”の魔法のように麺に絡む粉、春の訪れを教えてくれる“てりたまバーガー”・・・などなど、絶妙な暮らしのあるあるが、劇中の人物の実存感に厚みを与えている。


ダウの表現するリアリティというのはわかるとして、では、“機微”とは何なのだろう。辞書を引いてみると、「容易には察せられない微妙な事情」とある。なるほどたしかに、蓮見翔の鋭敏な感性だからこそ受信することができた、本来は“容易に察せられない”はずの感情や現象が当たり前のもののように取り扱われているところにダウの演劇やコントの快楽性があるし、それらのあまりの生々しさと可笑しみに、笑わされたり、ハッとさせられたりしてしまうのだ。演劇界の権威である岸田國士戯曲賞にノミネートされるも、「笑いはあるが、テーマはない」というような評価で落選してきた蓮見の戯曲であるが、この“機微”を描けているということは、人間を深く掘り下げられているということであって、十二分に評価に値する筆致なのではないだろうか。


第二回演劇公演『旅館じゃないんだからさ』(2021)、第五回演劇公演『また点滅に戻るだけ』(2023)で、前述通り岸田國士戯曲賞にノミネートされながらも落選した憤りと対策が最新公演の『ロマンス』には活かされていて、SNS時代における創作や批評といったイシューがテーマとして織り込まれており、それにしっかりと体重が乗っている。また、容易には察せられない微妙なものを取り扱うのだから、「簡単にわからせてたまるか」と言わんばかりに作劇が複雑な建付けになっていて、大きなチャレンジ精神を感じる。『ロマンス』には、ある1組のカップルがいる。“ロマンス”(現実にはめったにないような物語)としか言いようない4日間を過ごした後、2人は離れ離れになってしまう。数年後、男は脚本家となり、その4日間の体験を元にテレビドラマを書き上げ、女は漫画家となり、同様にして自身の体験を漫画にしてSNSに公開する。当然のように、そのテレビドラマと漫画の内容は似通っていて、どちらがパクリなのでは?という論争がネット上に巻き起こり、問題解決のために、脚本家と漫画家の2人が数年ぶりに再会する・・・というあらすじ。これを舞台上で描くのにどうするのかというと、

① 現実バージョン(上原佑太と忽那文香)
② テレビドラマバージョン(飯原と吉原怜那)
③ 漫画バージョン(蓮見翔と道上珠妃

というように1組の男女を3パターン、それぞれを別々の俳優で演じ分けている。さらに、漫画バージョンの2人のヴィジュアルは、漫画家が通うスーパーの店員をモデルにしているという設定で、蓮見と道上はスーパーの店員役と漫画バージョンのキャラクターを1人2役で演じ、テレビドラマバージョンに登場する飯原・吉原・中島百依子の3人は、ドラマパートのキャラクターとそれを演じている役者自身の2パターンを演じ分けている。なんて複雑な入れ子構造*1!という感じですが、これくらい複雑にしないと、人間の“機微”なんてものは描けないのである。


<“遠回りする”ということ>

蓮見の筆致の核というのは “無駄な遠回り”にある。尺が稼げるというのはもちろんあると思うのだけど、遠回りしたコミュニケーションへのフェティシズムを感じる。“好き”という感情を、いかに「好き」という言葉を使わずして伝えられるかというような。たとえば、前述の上原演じる脚本家の自己紹介などはこう。

赤坂見附の“坂”に、サイゼリヤ茗荷谷店の“谷”で
“坂谷”*2です

見附はいらないし、サイゼリヤはいらない。しかし、この無駄が戯曲に豊かさを生んでいる。そんな坂谷がかつて恋心を頂いていた漫画家の大八木は、「どこに住んでるんですか?」と尋ねられると、

酔っぱらって歩いて帰ったときに迷い込むような住宅街です

と答える。ここには、円滑なコミュニケーションとは別次元の豊かさがあるし、笑いも生まれる。こういった“遠回り”に美学を見出している蓮見翔の仮想敵として、テレビ局勤めの花島プロデューサー(園田祥太の怪演が好ましい)というキャラクターが登場する。花島は「はっきり言わないと、お茶の間には伝わらない」と、坂谷の書くドラマの台詞をわかりやすく愚直なものに勝手に変更してしまうのだ。花島の手にかかると、ドラマの登場人物は「初恋が始まった」とか「こんなの三角関係じゃん」と口に出して喋るし、挙句の果てに告白する前に「告白していいですか?」と尋ね、「告白してもいいですよ」と答えてもらってから、告白シーンが始まる。ここには、“わかりにくさ”を排除するマスメディアへの痛烈な皮肉が込められているのだが、秀逸なのは、この仮想敵であるはずの花島の「はっきり言わないと伝わらない」という指摘が、劇中においてある種の正しさを持ってしまうところだろう。坂谷と大八木の恋がなぜ4日間で終わってしまったか。数日前に聞いた「はじめてタクシーに乗る時は好きな人と乗りたい」という大八木の言葉を受けて、坂谷は全身全霊の告白のつもりで、買い物帰りに「タクシー、乗りませんか?」と誘う。しかし、そんな自身の発言をすっかり忘れていた大八木は「近いのに、もったいないよ」と断る。その返答を告白の断りと思い込んだ坂谷は、失意の中で大八木の前から姿を消してしまうのだ。「好き」としっかり言葉にしないと伝わらないことが、この現実においては多々ある。


<あなたはおもしろい>

それでも、蓮見は“無駄な遠回り”のやりとりにこそ、人間の可笑しさや愛おしさが芽生えると信じている(ように思う)。坂谷と大八木は、“4日間のロマンス”を振り返り作劇に落とし込む際に、相手の発言のおもしろさだけフォーカスし、何故か自分の発したおもしろい言葉は忘れてしまっている。2人は互いのことを“おもしろい”を感じていたのに。「君はおもしろいけど、自分はつまらない人間だ」と卑下する坂谷を、「あなたはおもしろかった」と大八木が伝える。そう、この『ロマンス』という公演は、この人類総批評家時代において、傷つきくすぶる数多の創作者たちに、「あなたはおもしろいんだ」とエールを投げかけるような作品なのだ。いや、街中で見聞きした会話を採集して作劇に落とし込むという蓮見の執筆スタイルを考えれば、創作者のみならず、この世に生きるすべての人に、「あなたたちの人生はおもしろいんだぜ」と呼びかけているのかもしれない。


<Dance Chance Romance は自分しだいだぜ>

坂谷と大八木は同じ出来事を題材にドラマと漫画を制作しているのにも関わらず、微妙にその内容が食い違っていく。それぞれの出来事を見つめるアングルが異なることで、記憶違いや都合のいい解釈による、様々な差異が浮かび上がっていくからだ。しかし、「2人が出会い、恋をした」ということだけは、“確かなこと”として美しく輝いている。MONONO AWAREというバンドが歌った「アングル」という曲のようだ。

アングルが変われば
よりもっと複雑なことに気づくけれど
アングルが変われど
自分が選んだ目線はひとつだけのままよ


MONONO AWARE「アングル」

会社を辞め、夢を追いかけた大八木との出会いに触発され、坂谷もまた会社を辞め、脚本家を目指す。大八木は、「坂谷くんがわたしの知らないことをたくさん教えてくれて楽しかった」と恋を振り返る。たった4日間の出来事なのに、互いに大きな影響を与え合っている。ロマンスは、世界を拡張させる。ダウはとびきりのロマンスでもって、世界を変革させていくのだ。

*1:しかし、演出の妙で、舞台を観ればスッと設定が入ってくる

*2:テレビドラマの脚本家で坂谷って、“坂”元裕二と三“谷”幸喜ってことですか