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坂元裕二「朗読劇ーVOICE OF BOOK」第一夜『カラシニコフ不倫海峡』

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『往復書簡 初恋と不倫』の出版を記念して、「朗読劇ーVOICE OF BOOK」が、テアトル新宿で上演された。二夜限定の催しの内の、第一夜『カラシニコフ不倫海峡』を目撃することができた。読み手は豊原功補酒井若菜。この坂元裕二の朗読劇は2012年、2014年に続いて3度目の再演である。これまで様々な俳優の組み合わせで上演されてきたわけだが、唯一その3回全てに出演しているのが酒井若菜だ(しかも、必ず初日を任されているらしい)。「俳優は声で選ぶ」と公言する坂元裕二であるから、その”ヴォイス”に絶大な信頼を寄せられている事が窺える。その期待に応えるように、見事な声色のコントロールでもって、1人の女性に内包される”複雑さ”を演じ分けていく。


人間というのは、とにもかくにも複雑な生き物だ。子どもの頃に見たアニメのように「正義と悪」といった単純な二律は、現実においては存在しない。この戯曲においても、複数の女性との不倫を重ねる男がアフリカで地雷除去のボランティアに励んでいたりする。不倫をされたかわいそうなはず男が、世間に対して詐欺行為を働く。作劇としては親切ではないかもしれない。しかし、坂元裕二はそういった複雑な人間を描くことで物語と現実を深く結びつける。


複雑な人間の持ち得る感情は混乱している。どんな絶望に包まれていようとも、おかしい時は笑うし、お腹が減れば食事をする。つい先日、妻を亡くしてほどなくディズニーランドに行ったという歌舞伎俳優が、世間から「不謹慎だ」と叩かれた。実にバカらしいではないか。深い哀しみに暮れながらも、「プーさんのハニーハント」に乗れば、人は笑顔になる。同時に、いくら夢のような国にいようとも、哀しみは心の奥底にベットリと張り付き、彼を逃さなかったことだろう。人間の感情は決して単一ではない。しかし、その”複雑さ”に触れた時、我々は生きることの美しさを知る。序盤の全てを諦めたかのような酒井若菜の声に、ほのかに高揚の色が宿っていく。その瞬間の”音”を聞くという体験はこの上ない興奮であった。


とにかく役者としての技術に長けた酒井若菜だが、終盤の読み上げにおいて、もう堪え切れないというように、嗚咽を漏らし泣き出し、芝居を止めてしまう。この技術を超えた慟哭に深く心を動かされてしまった。それ自体が彼女の”演じるということ”に含まれていた可能性も否定はできないが、私にはそうは見えなかった。

この世界には理不尽な死があるの。
どこかで誰かが理不尽に死ぬことはわたしたちの心の死でもあるの。

この世界に起こる全ては、誰の身にも起こりえる。『カラシニコフ不倫海峡』はそういったことを執拗に訴え続ける物語だ。この世界は”哀しみ”に満ちている。イジメ、幼児虐待、少年犯罪、離婚、差別、偏見・・・(これまで坂元裕二がテレビドラマで取り上げてきたあらゆる負の描写だ)、もしくはカラシニコフ自動銃を握り殺人を犯す少年や、地雷を踏んで命を落とす少女。あらゆる“理不尽さ”の上に我々は暮らしている。あの瞬間、嗚咽をもらした酒井若菜は、役柄を超え、酒井若菜自身として、”わたしたち”の代わりに、この世界の痛ましさに涙を流してくれていたように思える。あの空間において、我々と酒井若菜は、「観客と役者」という枠組みを超え、確かな関係を結んでいた。そこから始めるべきなのだろう。この世界とのあらゆる繋がりを実感していく為に。



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