
『チャンスの時間』の「きしたかの・高野父になる!父親の経験人数を徹底調査!」が実に素晴らしかった。高野さんの“哀しくて可笑しい”というピエロのようなありように異様に弱くて、『水曜日のダウンタウン』の飛び込み企画ですら、ずっと涙目で見てしまうくらいなので、今回の企画はさすがに嗚咽。家族のアルバム写真がどれも良くて泣いて、父と息子の顔がそっくりということにも泣いて、と大忙しだった。古い家父長制的な価値観だ、みたいな批判もあるかもしれないが、それを他者に押し付けているわけでもないので、誰にも文句は言わせまい。「頼んだぞ 長男坊」で泣いてもいいじゃないか。血の繋がりの有無関係なく、“受け継がれていくもの”にわたしは弱い。
このたび第一子が誕生し、父親になった高野。そんな折に、自分の父親について考える機会が多くなり、その人柄や女性経験人数を調べていこう、ということになる。人柄はまだしも経験人数とはなにごとか。高野のこれまでの経験人数は2人。漫才中に「たぶん俺の父親より少ねぇよ!」というキラーフレーズがあるのだが、相方の岸はそのフレーズに偽りがないかを確認したいというのだ。というわけで、3年前に他界した父親の経験人数の調査を開始していく。ドラマ『Tシャツが乾くまで』において、
死んだってプライバシーを守られるべきだと思いますよ
という台詞があったが、まさにそういったある種の倫理に反した企画(セックスに特化した『ファミリーヒストリー』)ではあるのだが、バカバカしくアンモラルな入口であるにも関わらず、浮かび上がってくるのは高野父の評判の良さ。
カッコイイ人だった
母親一筋の男らしい人だった
誰にも差別しない
お父さんのこと悪く言う人はこの街にいない
本当に人気があった
素敵なお父さんだった
お父さんの携帯番号を消すこともできない いまだに残っている
人間の持つ善性のようなものがジワジワと浮き彫りになっていく様が心地よく、それを聞く息子高野のほんのりとうれしそうな表情もまたエモーショナルだ。ここで想起するのは、村上春樹が創作において語った言葉だ。
魂の深い部分の暗い領域を理解するためには、明るい領域の論理では不足
人間の深部を照らすには、道徳や倫理みたいなものをいったん剥がし取ってみることも必要なのかもしれない。
そして、調査の結果、高野父の経験人数もどうやら息子と同じ2人であることが明らかになっていくのだが、この調査は『チャンスの時間』のバラエティー番組の矜持のようなもので、実際のところそこを真剣に知りたがっているものはいない。経験人数調査を入口としながらも、そのミッションはいつの間に立ち消え、高野父と高野という2人の人間についてのドキュメンタリーに番組は自然と移行していく。
高野父は、居酒屋の大将として、街のみんなから愛されていた。仕事中は笑顔を絶やさず、普段は寡黙で多くを語らない話の聞き役に回る真面目な男。そして、それは息子である高野の写し鏡であるのだ。芸人として大声で暴れ回るも、舞台を降りると無口でシャイ。芸の肥やしと言われてきた女遊びも苦手。高野はそのことを芸人としての欠点であると、コンプレックスを抱いていた。しかし、そんな自分の欠点は、大好きだった父親から受け継いだものだったのだと知ることで、コンプレックスは“愛おしさ”に変わっていく。
そして、墓の前に「天国とつながる電話BOX」が登場し、「父ともう一度話がしたい」という高野の願いを叶えていくことになる。ここでの受話器を通しての高野の一人語りは、一方通行であるようには決して見えない。たしかに、どこかと繋がっている。言葉を重ねるごとに涙は止まらなくなり、高野は顔をふっと上に向ける(名優モーガン・フリーマンのように)。
上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
思い出す 春の日
ひとりぼっちの夜
涙がこぼれないように、悲しみに圧し潰されてしまわないように、人は上を向いて、前へと歩み進んでいく。高野という芸人のブルージーな顔や身体が体現する笑いは、悲しくて温かい。