岡田恵和『ひよっこ』17週目「運命のひと」
NHKの連続テレビ小説『ひよっこ』が俄然おもしろい。あかね荘編がスタートしてからも、個性豊かな登場人物らはみな一様に愛おしく、宗男おじさんとビートルズ来日、乙女寮同窓会、みね子の初恋・・・などなどずーっと良質なおもしろさをキープしております。とりわけ17週「運命のひと」のエモーショナルさときたら!
まず、それまで視聴者を胸キュン地獄に陥れていたみね子(有村架純)と島谷(竹内涼真)の初々しい恋があっけなく終わってしまう。家柄が著しく異なる2人。御曹司の島谷は家を捨て、みね子と結ばれたいと願う。まさに古典的ラブストーリー。しかし、『ひよっこ』はセオリーを踏まない。みね子は島谷を”ひよっこ”であると叱責し、彼の為を思い、別れを選択する。キャラクターの人の良さとほのぼのとした演出に惑わされてしまうが、『ひよっこ』という物語における主人公みね子の境遇はなかなかに過酷だ。父親が行方不明になり家計を支えるべく東京に出稼ぎ、勤め先は倒産し、再就職先も内定取り消し、実ったと思われた恋はあっけなく散る。そういった筋運びでも、ジトっとした湿っぽさはなく、「上を向いて歩こう」「泣くのは嫌だ 笑っちゃお」という当時の流行歌の気分で、できるだけ明るく進んでいく筆運びに、鼓舞されてしまう。
しかし、みね子と島谷の恋をモデルに少女漫画を執筆していた坪内と新田は落ち込んでしまう。
新田:ハッピーエンドやなかったかぁ
早苗:ハッピーエンドじゃないとダメだから困ってるのか?
新田:幸せな最終回のみね子さんを描くが楽しみにしとったがですよ僕たち
坪内:そうながですちゃ、その瞬間を心待ちにしとったがですちゃ
ここでの早苗(シシド・カフカ)の言葉が感動的である。
別に終わりじゃないだろ
続ければいいだろ
たかが恋が一つ終わったくらいで
人生に決着がつくわけじゃないだろ?
いつかハッピーエンドになればいいんでしょ
違うか?
悲しい結末ならば、続きを書き足してしまえばいい!岡田恵和という作家の物語への態度が刻まれたやりとりであるように感じる。
そして、物語は更に怒涛の展開へ。ひょんなことからみね子が”代役”でテレビCMに出演することになる。この”代役”というのが、この「運命のひと」という週のキーワードではないだろうか。どこかネガティブな響きも伴う”代役”という言葉であるが、この『ひよっこ』において、それは”親密さ”を意味する。代役が為されるということは、誰かと誰かが向かい合い、響き合った結果なのだ。高子(佐藤仁美)が嫁入りし退職、すずふり亭のホールをみね子が取り仕切ることとなる。ここで、みね子はキッチンに向かって
すいませ〜ん
ポーク、まだですかぁ〜?
と高子の口癖を真似てみせる。みね子は高子の代役をきちんと務めてみせるのだ。島谷が去ったあかね荘の空き部屋に愛子(和久井映見)が引っ越してくる。「私が来たからもう大丈夫よ」という無根拠なポジティブさも泣かせるだが、愛子もまた島谷の代役を務める。
挨拶が1回
下でお茶が2回
外で話そうが3回
と、かつてみね子と島谷の間で交わされた壁ノックという親密な挨拶を、愛子は引き継ごうとするのだ。愛子はまた東京の母(≒姉)でもある。この物語には、みね子の東京の母(≒姉)、すなわち美代子(木村佳乃)の代役を務める者が多く登場する。その内、鈴子(宮本信子)、愛子、そして世津子(菅野美穂)という3人が同じ石鹸を使い、同じ香りを纏っている、という演出もにくいではないか。おそらくだが、その石鹸は、澄子(松本穂香)が務める工場で作られたものである。彼女もまた「勤める石鹸工場を営む夫婦に、実の娘のように(≒代役)迎えられている」と話していたのが忘れ難い。そして、ほとんど余談になるが、愛子と富子(白石佳代子)の会話もまた”代役”を巡るものである。
愛子:今度カブキとか行こう!富さん
富子:あら〜そう?
でも、私のご贔屓の役者はみんな死んじゃったのよぉ
愛子:何言ってんの!若いご贔屓、見つけないと
富子:あら、それもそうね
そして、視聴者のおおかたの予想通り、お父ちゃん(沢村一樹)は記憶喪失に陥っていた。なんと残酷な結末であろうか。『ひよっこ』という物語が最も大切にしているのは、「人がそこに”いた”」という質感である。奥茨城村で開催された聖火リレーでのみね子や三男(泉澤祐希)の叫びを思い出したい。
みね子は、ここにいます
俺を忘れねえでくれ
すずふり亭を出た後も頻繁に祖母と父に金の無心をする由香(島崎遥香)の真意もまた、「私のことを忘れないで」とその存在を主張する為だ、と推測されている。
私たちはここにいます
というのが、『ひよっこ』という物語が複層的に叫ぶ想いだ。故にすべてを無かったことにしてしまう記憶喪失というのは、”死”以上の悲しさを伴うものである。
覚えてないなんて、そんなことあるわけないでしょう!!
ねぇ、みね子だよ!お父ちゃん!どうしたのよ!なんで そんな顔してんの・・・!?
ねえ!みね子だよ!!!
事実を受け止められないみね子。その語気は、これまで悲しいことばかり巻き起こる人生の中においても最も激しいものとなる。このシーンにおける有村架純の演技はまさに”熱演”の一言。巧みな感情と発話のコントロールに大いに涙腺を刺激された。
嫌になったんでしょう?私たちのこと
それとも、何もかんも?
ひどい目にあわされて、嫌になったんでしょう?
だからいなくなったんでしょう!?そうでしょ!?
それは私、分かっから!私、分かっから!
お父ちゃんがここにいたいなら、いいよ
お父ちゃんがここにいたくて、
帰りたくないなら、私・・・会わなかったことにすっから
帰るし・・・今日のことは忘れっから
それでいいから
生きててくれただけで嬉しいし・・・
お父ちゃんのこと、責めるつもりなんて全然ないから!全然ないから・・・!
・・・だから、覚えてないなんて言わねえで・・・
このみね子の「いいよ」*1は、社会の倫理を超えた、物語の独自のルールが発動しているが故に感動的だ。すべてを“忘れてしまった”というくらいならば、いっそ「家族が嫌になって捨てた」ほうがましだと言うみね子。そして、「その気持ちは自分にもわかる」とさりげなくみね子に言わせてしまう筆致が凄まじい。物語の表面には愛情という形でしか顔を出さないが、みね子にとって田舎の家族は、当然大きな負担でもあるのだ。
あまりにも重たい幕切れで週を終えた。次週のタイトルは「大丈夫、きっと」とあるからして、ポジティブなフィーリングが徐々に戻ってくるに違いない。何と言っても、前述の「悲しい結末ならば、続きを書き足してしまえばいい」という精神は、空っぽになった”お父ちゃん”の記憶において、あまりに有効な態度なのではないだろうか。