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ポップカルチャーととんかつ

木皿泉『富士ファミリー2017』

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洗いたてのコップみたいな夜か
生まれ変わろうかな

こんな宝石みたいな台詞が当たり前のようにポンポンと飛び出してくるのだからたまらない。木皿泉の作品をして「あまりに誰もが誰もいい台詞を吐き過ぎる」といった批判があるのは理解できなくはないのだけども、まさに命を削って絞り出しているような強度を持った台詞の数々を前にしては、ただひれ伏すしかあるまい。これが木皿作品を観る喜びなのだ、と『富士ファミリー2017』を新年早々、瞳を濡らしながら堪能した。


富士山の麓に構える古びた商店(自称コンビニ)を舞台としたほのぼの人情コメディードラマ。でありながらも、幽霊や吸血鬼やアンドロイドが当たり前のようにその世界に介在している。その有様が、すでにして”生”もしくは”ここにいること”をおおらかに肯定しているようである。また、生活する人々への賛歌でありながら、ここにもう”いない”者達への温かい眼差しが作品に通底しているように思う。そんな甘くファンタジックな筆致でもって、「生まれ変わる」という言葉が持つ“輪廻転生”と”人生のやり直し” というダブルミーニングを同時にマルっと描く事に成功している。「おはぎちょーだい」という合言葉をもとに、人々が足早に肯定されていき、いとも簡単に他人と他人が繋がっていく。コンビニ「富士ファミリー」では、血の繫がりなんてなんら関係ないというような態度で、他人同士が家族のように結びつき同居している。冒頭から何の説明もなく、当たり前のようにそこにいるぷりお(東出昌大)が素晴らしかった。背がデカい→ぷりお(=デカプリオ)、って。


俺はたとえ世間を敵にしても信じたいものを信じていくよ

という雅男(高橋克実)の劇中の台詞が今作のコアであろう。そして、それは2016年の大ヒットドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』と似通ったフィーリングを携えている。*1『逃げ恥』というドラマを体現しているかのような星野源による主題歌「恋」からの一節。

恋せずにいられないな
似た顔も虚構にも
愛が生まれるのは一人から

同性愛や自己愛もしくは偶像への愛、そういった様々な種類の愛を全肯定するこの楽曲の態度は、今作にもそのまま適用されよう。クラスの嫌われ者であろうと大地はゴウ君が好きだし、百合さん(小倉一郎)がいい歳してコスプレが趣味でもかまわないではないか。同じくコスプレイヤーの愛子(仲里依紗)がゲームのキャラクター”眠り剣士熟野睡ノ介”に向ける愛情は本物のはずだ。同性愛も(プリオと教授の関係性はそこはとなくそれを匂わせる)、熟年結婚も、再婚も、歳の差婚も全ては許される。誰にも阻害されることはない。好きは好きでいいのだ。そして、これは木皿泉がこれまで作品を通して唱え続けてきた現代を生きていく上での福音である。

あいつは俺より偉いと思ったからだ
堂々と人間じゃないものが好きだと言えるあいつがさ・・・


Q10

人間が人間だけを愛さなくてはいけない理由などない。ロボットに、漫画のキャラクターに、電柱に、牛乳瓶の蓋に・・・と”普通”とは少し違う形で発生する恋や愛を全面的に支持し続けてきた作家が木皿泉である。

一心に空を見上げていたので、声をかけそびれた
ロボは、ダイヤモンドで出来た星みたいだと思った
どんなものでも、 きっとロボを傷つけることは出来ないだろう


セクシーボイスアンドロボ

そんな木皿泉という作家の核を形成したのは、ほかならぬ大島弓子であろう(そして、大島弓子の存在こそが木皿作品と『逃げ恥』を結び付ける鍵だ)。幽霊のナスミ(小泉今日子)という存在がまずもって、どこまでも大島弓子的なのだけども、今回最もハッとさせられるのは、「大晦日に自分は死ぬかもしれない」と悟った鷹子(薬師丸ひろ子)が、旦那の顔や頭、実家のコンビニの商品1つ1つを慈しむように撫で回した、その所作だろう。大島弓子の傑作短編『ローズティーセレモニー』

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における死期を悟った田谷高太郎によるあの”暗闇のひとつひとつの接吻”からの影響が明確に感じられる。木皿泉ほど大島弓子を物語の血肉に落とし込んでいる作家はそうそうおるまい。


そして、本作(と言うよりも木皿泉という作家)の核を大島弓子とは別にもう1つ挙げるのであれば、それは向田邦子に他ならないはず。今作に掲げられた「新春ドラマスペシャル」という響きだけでグッときてしまうではないか。ようは向田邦子×久世光彦だ。今作の目指す頂にはきっと『寺内貫太郎一家』(1974)

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といった往年のホームドラマがあるはず。それは『寺内貫太郎一家』における樹木希林の老けメイクを彷彿とさせる片桐はいりの笑子バアさん、という形ではっきりとオマージュが捧げられている。しかし、木皿作品において、寺内貫太郎のような厳格な父像というのは面白いほどに登場しない。決まって父は不在かもしくは優男である。コミュニティの中心にいるのはえてして女性。木皿泉が、父性なき現代という時代のホームドラマを再構築するのである。



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*1:"呪い"というワードしかり