井口奈己『人のセックスを笑うな』
朝方、空は白む直前、夜通し遊んだ帰り道だろうか、3人の若者を乗せたタウンエースが疾走し、トンネルに差し掛かる。そこで、若者は或る女に遭遇する。女は何故か靴を履いていない。
「幽霊かな?」
「いや、足あったから幽霊じゃないでしょ」
終電を逃し、歩いて帰宅している途中に、靴ずれを起こして途方に暮れている女。若者は親切にも女を車に乗せ、更には別れ際に、その足にビーチサンダルを与える。その後、女は前述の問答通りさならがら"幽霊"のように神出鬼没に現れ、3回もの偶然でもって、若者と再会する。しかし、記憶など持ち合わせていないという態度で、”ビーチサンダルの朝”をなかったかのように(文字通り)煙に巻く女。永作博美のなんて画になる煙草の吹かし。完璧なるファム・ファタール、ユリは魅力的な”赤”をまき散らし、若者を誘惑する。喫煙所にて、「Light My Fire」と言わんばかりにハート型のライターを手渡す。ミルメ(松山ケンイチ)はこれで完全にノックアウトだ。カーディガン*1、アトリエの郵便ポスト、ストーブに置かれた薬缶、2人で膨らませるエアマット・・・めくるめく”赤”の誘惑に彼はただただ魅せられていくばかり。しかし、ユリの夫である猪熊さん(あがた森魚)は彼女に信玄餅や林檎という"赤"を与え、ましてや、林檎を切る際に、傷ついた血(赤)を舐めてあげることができるのだ。ミルメと猪熊さんの、赤を巡る圧倒的な差異。”幽霊”というよりも、単に地に足のついていない女であるユリは、いわば風船である(今作にはいつくの膨らんでは萎んでいく"それ"が登場することか)。ユリは地面に縛りつけてしまっては萎んでしまう。であるから、フワフワと空に放たれ、ミルメの心に”揺れ”だけを残しながら、インドに飛んでいってしまう。
今作の最大の魅力は役者に尽きる。幽霊であり小悪魔であり風船であるユリを、軽やかに、しかし肉感的に演じ切った永作博美。まさに”触ってみたくなってしまう”男の子を体現した松山ケンイチ。服を脱ぐ、というのはかくも魅惑的なアクションなのかと痛感させてくれる。脇を固めた蒼井優、忍成修吾も抜群だ。そして、それを見事にコントロールした井口奈己の手腕。脚本の最終稿に目を通してみると驚く。あの永作博美と松山ケンイチの蕩けるようなじゃれ合い、もしくは忍成修吾からの暴発的なキスといったシークエンスの数々は、そのほとんどが脚本には描かれていない。執拗な長回し故の産物なのである。日本映画至上ベスト、と呼んでもさしつかえないあの完全に時が止まったようなユリとミルメのキスシーンをはじめ、この作品には、映画が”撮れるはずのない”ものが多く刻みこまれている。そして、ロバが現れるファミレス、オールナイトの名画座、信玄餅の正しい食べ方・・・といったあまりにも豊かな細部の枝葉の数々。ユリちゃんのリトグラフ講座、二人乗り自転車の横移動、堂本のタウンエースのバック走行、えんちゃんのラブホテルのベットでのジャンプ、といったアクションの数々も、この作品を紛れもない宝物にし得ている要素であろう。恋愛映画はこれ1本さえあればことたりる、そんな想いすら抱く傑作だ。
余談だが、劇中でユリに「いいね、そのコート。高校生みたいで」と褒められるミルメの着たおそらくgloverallであろうグレイのダッフルコートが最高にキュート。スタイリングを担当した橋本庸子は、本作の影のMVPであろう。
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*1:John Smedley