青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

岩井俊二『リップヴァンウィンクルの花嫁』


岩井俊二の新作に夢中になる日が再び来ようとは。『花とアリス殺人事件』(2015)、そしてこのたび公開された『リップヴァンウィンクルの花嫁』の2本によって、そのキャリアは再び黄金期を迎えているようにすら感じる。故・篠田昇の弟子である神戸千木のカメラとの相性もバッチリ、映像や音楽の美しさは健在であるし、そしてやはり語り手としての個性は唯一無二だ。そのオリジナリティ溢れる境地に唸らされてしまう。


呆れるほどに面白い。現実と夢、光と闇、善と悪、喜びと悲しみ、といった二律の境界線上をフラフラと歩きながら、出発点からは想像だにしない場所に着地させる。それでいて、物語全体を破綻させない巧みな脚本術。コントロールし切れない部分(例えば唐突な赤いアルファロメオでの疾走)が魅せる発想の自由さも実に映画的だ。主要キャストである、黒木華Cocco綾野剛の3人の素晴らしさは、今作をキャリアハイと推したいくらい。黒木華Coccoの声と呼吸の映画である、と断言して終わりでもいいくらいである。底が見えない人物を演じた綾野剛のはまりっぷりも見事で、偽りの男である彼が登場のたびに衣装を着替えて表れるその様は、それだけでもう”映画”である。綾野剛の演じる”何でも屋"の安室行桝をはじめとして、SNS、女優、偽装夫婦、サクラのバイト、疑似家族、伊達眼鏡、と”偽ること”を託されたタームがこれでもかと頻出し、それらがビジネスとして成り立つこの社会の違和感を炙り出していく。しかし、ラストにはそういった事を全て捨て、”裸”になる様を描き、いやそれでもやはり演じてしまう人間のその性(サガ)を肯定していく映画だ。


なんと今作の上演時間は180分。「岩井俊二で3時間」と聞くと眠くなるような美しい雰囲気映像がひたすら続くような印象を受けますが、安心して下さい。前述の通り、常にミステリーで関心を惹きつける巧みなストーリーテリングでもって、あれよあれよと進んでいくので、寝ている暇などありません。そして、その”眠り”というのは今作における非常に重要なキーワードなのだ。文学に精通した方であれば、今作のタイトルからW・アーヴィングの小説『リップ・ヴァン・ウィンクル』を想い起こし、「ひとたび眠りにつこうものなら世界が一変する」という今作のルールを即座に飲み込む事でしょう。ここからは完全にネタバレありで書いていきますので、未見の方はページを閉じる事をオススメ致します。



<眠ること>

まったくこの映画の人物達の何とよく”眠る”ことか。主人公の七海(黒木華)がSNSで出会った鉄也(地曵豪)とデートの待ち合わせをする所から始まるわけだが、次のシークエンスでは鉄也がベッドで眠っている。その間に七海は「ワンクリックで彼氏が手に入った」などとブログに、普段は言葉に出せない想いを吐き出していく。こんなSNS上の何気ないポストが物語を動かし始める。2人は結婚をして、親類の葬儀で鉄也の実家を訪れる。実家の畳で眠りについた鉄也が目を覚ますと、彼は妻を失っている。七海は不倫女の濡れ衣を着せられ、姑から追い出されてしまうのだ。まさに、ひとたび眠りに着こうものなら世界は一変する、である。今作のタイトルは「リップヴァンウィンクルの花嫁」とあるわけだから、花嫁を七海と考えれば、リップヴァンウィンクルとは彼の事なのだろうか。しかし、どうやら違うようで、鉄也は物語の半分もいかない所でフェードアウトしてしまう。


七海もまた実によく眠る。着の身着のまま眠る。不倫をでっちあげられ家を追い出された後、大荷物を抱えながらフラフラと街を彷徨い、何とか辿り着いた安ホテルのベッドに、コートのまま倒れ込み眠る。起きると、彼女は”平凡な家庭の妻”から、ホテルの住み込み従業員に変容している。そして、彼女は次にメイドの職につくわけだが、初日に意気込んで着たメイド服のまま眠りに落ち、起きてみると、里中真白(Cocco)という奇妙な同居人との不思議な生活がスタートする。そして、ラストの眠りは今作のアイコンと言える花嫁衣装を着たままの眠りだ。目を覚ますと、隣で寝ていたはずの真白が死んでいる。彼女は眠る事でどこまでも自身の世界を変容させていくのだ。筋だけを辿れば、彼女は眠る事でひたすら苦難の道を強いられているようなのだが、実の所、少しずつ再生しているとも言えるはず。あのCoccoの歌唱があまりにも印象的な生演奏カラオケバーで歌われた楽曲が荒井由美の「何もなかったように」なわけだが、何というかこの楽曲をCoccoが歌い、黒木華が聴くシーンを最初に想定して映画が作られていったのでは、とすら思える。

人は失くしたものを胸に美しく刻めるから
いつも いつも
何もなかったように 明日をむかえる


荒井由美「何もなかったように」

現代の時の流れからすれば、眠って起きれば世界は一変しているかもしれない。多くのものを失うだろう、その事で傷つくだろう。しかし、それでも”何もなかったように”振舞える、その態度こそが強さだ。


<裸になること>

“偽り”というタームの羅列の中で、ラストでは全員が裸になろうとする映画だ、と書いたわけだが、Coccoが演じる里中真白というキャラクターの職業は何を隠そう裸を晒すAV女優なのである。彼女の葬儀のシーンには夏目ナナ森下くるみなどのレジェンド級の女優達が集結する。裸になるという行為を、「恥ずかしい」としながらもポジティブに描く事で、彼女達の職業を誇り高く肯定している。

AV女優は喘いでいる時、絶望の向こうで祈ってるんだよ

という目も当てられない台詞を『モザイクジャパン』(2014)で書いてしまった坂元裕二に4回くらい観て欲しい映画だ。


<小さな声>

主人公である皆川七海は、引っ込み思案な性格なのだろうか、声がとても小さい。臨時教員を務める教室では、生徒から「マイクを持って授業をしろ」を揶揄されるほどだ。実際、小金稼ぎであろう通信教育の仕事においても、彼女はパソコン上でマイクを通じて授業を行っている。声の小さい人である彼女が、映画の序盤において、ひたすらにノイズにまみれている事に気付くだろう。彼女と安室(綾野剛)の出会いの場である、静閑そうなカフェでさえも車通りを強調した録音で演出されている。他にも冷蔵庫の音、式での喧騒、母のおしゃべり、人通りetc・・・などが外部の音として強調され、ただでさえ小さい彼女の声を殺していく。しかし、彼女は小さいながらも、とても素晴らしい声を持っている。この映画は、ノイズにまみれた彼女の声が、小さいままでも響くような空間へと移ろっていく様を描いていたものとも言えるのではないか。グラスに耳を当てて音を聞く七海と真白のシークエンスは印象に強く残っている。そして、ラスト、あの部屋に辿り着く。

窓を開け放しておける彼女だけの場所。あの場所で彼女は通信教育の生徒と真に顔を合わせる。マイクを外して言葉を交わす。本物の”先生”になるのだ。




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