青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ayU tokiO『犬にしても』

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何ともゴージャスな音楽だ。お金のかかった音楽という事ではない。そこに費やされている技術、貫かれている美学があまりに優雅でゴージャスなのだ。まったくをしてayU tokiOというミュージシャンは、1曲の中にどれほどの音符とアイデアを用意してくれるのか。幾重に編まれたメロディーとコードの渦に、全体像は煙に巻かれ、私達はそれを掴み取る為に何度も何度も繰り返し、この”美しさ”を再生し続ける事となるでしょう。歌に溶け込むかのような管弦をはじめとするバンドのアンサンブルもますます円熟を迎えている。表題曲「犬にしても」ではかねてよりのサポートメンバーである元Wienners 、元MAHOΩのMAXがボーカルを担当。WiennersやMAHOΩでの歌声を念頭に置いて聞くと、心地よい驚きに包まれるだろう。歌い方が変わっている。発声や拍の取り方などの非常にテクニカルなボーカリゼーション、これが紛れもなくayU tokiOの歌い方なのだ。かなり厳しいサジェスチョンが入った事が想像されます。かねてより、ayU tokiOの音楽から「a girl like youきみになりたい」の精神を感じとっていたのですが、実際に女性が歌ってみるとどうだろう。その響きは、YUKI(元JUDY AND MARY)を想わせるような普遍性を携えているではありませんか。面白いのは、大傑作ミニアルバム『恋する団地』
hiko1985.hatenablog.com
の楽曲で恋する女性の気持ちを高いキ―で自ら歌い上げた後、やっと女性の声を手に入れたと思いきや、今度は女性ではなく犬目線で歌われる楽曲なのですね。ひたすらにズラし続けていく、埋められない距離を作り出していく。これもayU tokiOのポップソングの秘密の1つかもしれない。すれ違い続ける人と人を、言葉の通じない犬がじっと見つめている。

だれかもつれた糸をヒュッと引き 奇妙でかみあわない人物たちを
すべらかで自然な位置にたたせてはくれぬものだろうか

という大島弓子『バナナブレッドのプディング』を想わせる詩情をこの楽曲に感じます。とかく生き辛きこの世の中に、おしつけがましくなる事なく、そっと祈りを忍び込ませるような、とても優しいナンバーだ。


さて、B面においてMAHOΩの代表曲「僕らに愛を!」を(セルフ)カバーしている事が何よりの証左ですが、MAHOΩというポップユニットの志は、ayU tokiOに受け継がれている。MAHOΩの事を夢中になって追いかけていた2012年頃のブログエントリーを読み返してみると、「MAHOΩは決してポスト相対性理論ではなく、かつて歌謡曲やアニメソングが持ちえていたポップソングの質感を現代に蘇らせる試みなのだ」という風に書いている。「ポスト相対性理論」の箇所を「シティポップ」に変えれば、そのままayU tokiOへの批評に置き換えられるだろう。80年代のこの国の音楽が持ちえた言語化しがたい魅力、すなわちポップソングの魔法(MAHOΩ)の再現。その試みの一端として、今作のボーナスCDでは、ボーカルやギターのリバーブ、リズム隊の響きにまでを当時の音色の再現にこだわり抜いた来生たかおのカバーが2曲収められている。ayU tokiOのオタク気質の最良の成果の1つに数えたい。


これから楽曲提供の依頼が殺到する事も想像にたやすいですが、ボーナスCDに収録されている来生たかお「官能少女」(アニメ『みゆき』の挿入歌!)での、”選ばれた”としか形容しようのない素晴らしい歌声を聴くに、ぜひ今後も積極的にボーカルをとっていって欲しい、というのが本音であります。来春リリースと噂されるファーストフルアルバムを震えて待ちます。youtu.be