吾妻中学校歌「青き理性に」に宿る小沢健二の"祈り"について
以前、友人の出身中学の校歌の話題で盛り上がった事がある。つくば市立吾妻中学の校歌である。吾妻中学の校歌は筑波大学の名誉教授であるドイツ文学研究家の小澤俊夫が作詞・作曲されそうなのですが、これが一時期「実はオザケンによるペンなのではないか?」という憶測が駆け巡ったのです。往年の『クイックジャパン』を彷彿とさせる飛ばし感のあるネタですが、小澤俊夫というのはご存じの通り、小沢健二のお父様なわけで、全くをもって"ない"という話ではないのだ。オザケンの歌ったとされているデモ音源もネット上には存在するそうな。当時、小沢健二原理主義者であった私は、血走った目でその友人に校歌を熱唱させ、果てには「母校に忍びこんでデモテープを盗んで来てくれ!」などと懇願したものです。現在はネットで検索すれば吾妻中学の学生が歌っている動画やボーカロイド歌唱バージョンなどを聞く事ができます。
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一般的にイメージされる校歌という感じはなく、ポップスの旋律を持ち合わせており、アレンジいかんでは小沢健二のスローナンバーに劣らぬ代物と言えるのではないでしょうか。そして、歌詞が凄い。ご覧あれ。
1.水平線を目指し 帆を膨らませた心は
近づいてはいつも離れても 諦めることはないだろう
2.愛という名のもとに 生命育つこの星では
目に見える過去からの手紙が 未来を照らし続けるのだろう
筑波嶺を遥か仰ぎ見る この純情を誰が知ろう
まだ青き理性に強く立つ きれいな名前をつけよう
3.ゆっくりと月が昇り 夜がこの町に降りても
涙は土深く流れては 花をいつか咲かせるのだろう
筑波嶺を遥か仰ぎ見る この純情を誰が知ろう
まだ青き理性に強く立つ きれいな名前をつけよう
きれいな名前をつけよう いつまでも憶えていよう
これがオザケンのペンによるものでないとしたら、オザケンの父からの影響は計り知れないものがある、と言えるでしょう。父が息子に影響されたのかもしれないし、父と息子の共作かもしれない。しかし、ここではこれは小沢健二のペンである、と断定して話を進めて参りましょう。
1番冒頭の”水平線”や”帆”というフレーズからして、どことなく小沢健二を想わせる。2番の歌いだしである”愛という名のもとに”という部分はどうしたってフジテレビドラマ『愛という名のもとに』(1992年)を想起せずにはいらず、それはつまり「愛し愛され生きるのさ」での
10年前の僕らは胸をいためて“いとしのエリー”なんて聴いてた
ふぞろいな心はまだいまでも僕らをやるせなく悩ませるのさ
というように同じくテレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』をサンプリングしてみせたオザケンの手さばきを想起せずにはいられない。
生命育つこの星では
というフレーズに関してはもろである。”生命”というワードをオザケンフレーズとして分類する事に抵抗を覚える者はないだろう。”この星では”という言い回しは「天気読み」にける”雨のよく振るこの星では”と一致する。続く
目に見える過去からの手紙が 未来を照らし続けるのだろう
には思わず腰を抜かしてしまう。「天使たちのシーン」へのアンサーのようではないか。
宛てもない手紙書きつづけてる彼女を守るように僕はこっそり祈る
と歌われた手紙は、私達の未来を照らしていたのだ。中学時代という"宛てもない手紙書きつづける"ような手探りの日々ga
、必ずや君たちの進む道となるのだ、という校歌に込められた小沢健二のやわらかな肯定に涙してしまう。
1番にある
近づいてはいつも離れても 諦めることはないだろう
というフレーズには”太陽が次第に近づいて来てる”だとか”星座から遠く離れていって”といった小沢健二独特の
遠近の感覚が貫かれていると言える。「天使たちのシーン」のおける、とりわけ感動的な
冷たい夜を過ごす 暖かな火をともそう
暗い道を歩く 明るい光をつけよう
というポジティブな両極の運動性は、この校歌においても点在している。
ゆっくりと月が昇り 夜がこの町に降りても
涙は土深く流れては 花をいつか咲かせるのだろう
この豊かな上下の運動が、筑波嶺(「天使たちのシーン」における星や風船のような存在)に辿り着かせる。それを仰ぎ見るブルーボーイ(&ガール)のその汚れなき感性が傷付かぬように、とこっそり祈る小沢健二の姿がありありと浮かぶではありませんか。