青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

アッバス・キアロスタミ『ライク・サムワン・イン・ラブ』


巨匠キアロスタミが日本のキャスト、スタッフ、ロケーションで撮影した今作。何やらわけのわからぬ凄味に茫然としてしまう。脚本の中で「嘘」がこの映画をあらゆる方向に転がしていくのだが、まずもってこの映画自体が魅力的な嘘をつき続けている。菊地信之によるサウンドデザインの嘘が凄い。そんな風に鳴るはずのない音がもっともらしく堂々と響いていて、すっかり惑わされてしまう。撮影の柳島克己とキアロスタミの編集も雄弁に嘘をつく。ついさっきまで夜の新宿を滑走していたタクシーが次のカットでは静岡駅の徳川家康像の前を通過する。奥野匠の家は東京から高速を使う距離であるというのを2度も劇中で強調しておきながら、東京の路地を1回曲がるとあっという間に老人の家に着いてしまう。この接続と省略には驚いた。柳島克己のカメラが本当に素晴らしい。北野武の映画のような禍々しい予感に満ちた道路。まるでホウ・シャオシェンとリー・ビンビンのコンビを想わせる手さばきで嘘みたいに美しく周辺の風景が映り込むフロンドガラスや窓ガラス。奥野匠の部屋に配置された温かみある光源の美しさ。

映画は車の運動と共に嘘や予感に彩られながら、現実と虚構をユラユラとフワフワと落ち着きなく振動する。まるで恋でもしているかのように!家や車はあらゆる風景を飲み込んだガラスに守られ、あたかも安心で安全なようだ。登場人物達はその安心で安全な場所で、何度も睡魔に襲われる。しかし、それらは加瀬亮によって躊躇なく壊されてしまう。煙草の火をもらう、名刺を渡す、といった外側から中に入り込んでくる仕種が印象的な侵入者だ。現実と虚構の境界は屈強なものでなく、薄皮1枚(もしくはカーテン1枚を隔てたような!)なのだと提示されるようである。キアロスタミが「東京」で「老人」を撮るというファクターから小津安二郎的なものを期待していた自分が恥ずかしい。そんなものはこの国からとうに失われているのだ、と突きつけてくる怪作ではないだろうか。