青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

鈴木卓爾『ゲゲゲの女房』


前作の『私は猫ストーカー』以上に、人間でないものによって物語が転がっていく手法が研ぎ澄まされている。つまり、町や猫や妖怪の映画だ。彼らが茂や布枝を見つめている。画面にごく当り前のように存在する妖怪。しかし、登場人物たちはその存在に気付かないので、一切突っ込まない。同時に監督は我々観客をも共犯関係に持ち込む。1960年代の劇中に意図的に現代の東京駅やPARCOなどを捉えたショットを差し込んでくる。我々もまたこの違和感に突っ込むわけにはいかないだろう。ありまのまま受け入れる、これこそが、とかく差異への糾弾が激しい今日に紡がれた”ゲゲゲの女房”という愛の物語で小さく鳴らされるテーマではないだろうか。そのテーマに沿うようにして布枝はお見合いからたった5日で共に暮らすこととなった貧乏で風変わりな茂との生活をスタートし、様々な違和感を受け入れていく。


茂と布枝を演じた主演の宮藤官九郎吹石一恵が抜群にいい。そして、足元から天井まで計算されつくされたカメラによる魅力的なショットの数々。靴下の脱ぎ履き、床の雑巾がけ、時計のネジを回す、といった所作だけで惹きつけられてしまう画作りのできている作品なのだ。照明と音響も有機的に映画を支えている。中村屋のチキンカレー、自転車、水木しげるの原稿、茶色いバナナといった細部も実に印象的に配置されていて、「もう40年間分見ていたい!」と、思わせるような至福の時間を味わえる1本だ。