青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ザ・ダファー・ブラザーズ『ストレンジャー・シングス』シーズン2

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どこか世界から虐げられたような者たちが、悪戦苦闘しながらも、彼らなりの”正しさ”でもって、物事を良き方向に物事を推し進めていく。そんな物語にたまらなく惹かれてしまう。これはもう、世界中の”子どもたち”がそうであるように、スティーヴン・スピルバーグに刷り込まれた影響に他ならないだろう。『E.T.』『グレムリン』『グーニーズ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『フック』・・・・スピルバーグ率いるアンブリン・エンターテインメントが制作したマスターピース群が持つ魅力は、映画の魔法とイコールだ。暗がりで見つめるその光は、根源的に孤独な私たちの魂を、どこまでも慰めてくれた。VHSが擦り切れるまで再生し続けた幼少期から幾十年、ストリーミングサービス全盛の現在においても、その魔法の眩しさへの飢餓感は満たされることを知らない。そして今、私たちには『ストレンジャー・シングス』という物語がある。この幸福をどう言葉にすればいいことか。愛すべき変わり者なティーンたちが、状況に応じた適切な判断と行動でもって(まるで「ドラゴンズレア」や「ディグダグ」でハイスコアを叩き出すかのように!!)、奇妙奇天烈に捻じ曲がった事象を、あるべき方向に導き、報われていく。まさに、あのアンブリンの黄金期の質感を携えた最新のジュブナイル。アンブリンからの影響のみならず、挙げられば限がないほどに、古今東西あらゆるカルチャーをツギハギにして作り上げたフランケンシュタインのような怪物、それが『ストレンジャー・シングス』だ。かつて輝かしい過去があって、その光が未来すらも照らしていく。その途方もない事実に、私はひどく勇気づけられてしまうのだ。
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さて、ここからはシーズン2のネタバレを放り込んでいきますので、『ストレンジャー・シングス』を未見の方もしくはNetflix非契約者はそっとタブを閉じてください。再会を祈る。あまりにパーフェクトな筋運びなので、本来ならば1話ごとにじっくり掘り下げて(ディグダグのように!)書くのがふさわしいのですが、時間と体力がないので、ざっくり書かせて頂きます。



暗がりに光を照らすようにして、懐中電灯やヘッドライトがかざされ、冒険が始まっていく。シーズン1の怪物”デモゴルゴン”は、あくまで群れの中の1体でしかなかった。シーズン2でウィルを苦しめるのは、デモゴルゴン達を自在に操るシャドウモンスター。デモゴルゴン同様に、子ども達の心の闇につけ込むやっかいな”裏の世界”の生命体。シーズン1を覆っていた暗がりは、”損なわれた父親からの愛情”というモチーフに代表される寄る辺ない孤独であったが、1年という歳月を経た子ども達は、当然のように成長している。みんなこぞって色恋沙汰に夢中。奇怪な死亡事件から謎の生還を遂げクラスメイトから”ゾンビ小僧”と揶揄されるウィルも、何より気になるのは。「女の子にどう思われるか」だ。そんな思春期まっさかりのウィルにとって、学校に送り迎えをする過保護な母親が、恥ずかしくて煩わしい。迎えに現れた母親の元に向かう廊下で、ウィルに向けられる好奇な視線。あのシーン、よく観てみると、何故か女の子しかない。つまり、あれはウィルの心象風景で、中二病的な被害妄想なのだろう。自分でも理解しがたい感情や現象に、「自分は怪物なのではないだろうか?」とさい悩まされる。エルもまた自身の能力を持て余し、と同時に嫉妬ややきもちといった感情の芽生えに戸惑う。そう、シーズン2における心の闇は、”思春期”という名の怪物だ。そして、自分が怪物ではないことを証明せんとするかのように、誰もが誰かを求める。ハイティーンの3人は、何やらややこしい三角関係を継続中で、ダスティンとルーカスは謎の転校生(その名もマッドマックス)にぞっこん。マイクはエルの失踪を引きずっていて、繋がるはずのないトランシーバーに応答を呼びかける毎日。

聴こえるかい エル?
僕だよ マイクだ
352日目 午前7時40分
まだ待ってる
いるなら答えて
合図でもいい 黙ってるから
無事か知りたい
・・・バカだな

ソフィア・コッポラが『ヴァージン・スーサイズ』で使用していなければ、間違いなくトッド・ラングレンの「Hello, it's me」が流れていたことだろう(あの曲は70年代だけども)。あぁ、残酷な運命に引き裂かれた2人。このエルとマイクのみならず、『ストレンジャー・シングス』においては、互いに強く惹かれ合いながらも”結ばれない2人”という古典的なモチーフが数多に点在している。ナンシーとジョナサンもしくはスティーブとナンシー、あるいはダスティンとダルタニアン。思春期などとっくに通過したはずの大人たちも、子どもらに倣うようにして、同様の関係を構築している。『ストレンジャー・シングス』に登場する大人たちは誰もが混乱し、大人になりきれない”子どもたち”だ。ジョイスとホッパーもしくはジョイスとボブ*1は、互いこそが欠落を埋めるパートナーだとわかりながらも、離れ離れになっていく。埋められそうで、埋まらない孤独。この胸を掻きむしるような根源的な”切なさ”が本作の人気を決定づける最大の秘密ではないだろうか。



そんな”切なさ”に抗うかのようにして、『ストレンジャー・シングス』においては、スピルバーグ映画がそうであるように、血を超えたいくつもの疑似家族関係が結ばれていく。シーズン2のその代表として、”父と娘”としてのホッパーとエル、”姉妹”としてのカリとエル、“兄弟”としてのスティーブとダスティンが挙げられる。とりわけ、すべての孤児の父であらんとするホッパーの父性が涙腺を刺激する。そういった親密な関係が結ばれた時、心に宿る炎こそが、怪物を追いやる力に他ならない。ウィルに憑りついたシャドウモンスターを追い払ったのは暖炉やヒーターなどの熱、デモゴルゴンを倒したのはガソリンに引火した炎であった。前述の色恋沙汰も含め、Light My Fire”ハートに火をつけて”、これがこのシーズン2のメインモチーフといっていいのでは。



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ラストのスノーボール(クリスマスに開催されるダンスパーティー)のシーケンスはとびきりキュートでエモーショナル。『ストレンジャー・シングス』はスピルバーグであるのみならず、ジョン・ヒューズの不在すら埋める。兄貴スティーブのイカした髪型の秘訣を伝授されたダスティン。

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『プリティ・イン・ピンク』のダッキーばりに決め込んだタキシード姿でダンスホールへと参上する。しかし、想いを寄せていたマックスはルーカスをパートナーに選び、他の仲間たちも続々とダンスの相手を見つけていく。果敢にも女の子たちにアプローチをかけるも、その誰からも邪険にあしらわれ、とうとう泣きだしてしまうダスティン。その姿を見つめていたナンシーがダスティンをダンスに誘い出す。

音楽を感じて
リズムに合わせて身体を動かすの


マイクの友達の中でもあなたは私のお気に入り 
ずっと前から
あの年の女子はバカなの 
数年すれば賢くなるから 
あなたの魅力に気づく 
絶対よ

ダスティンの(そして、イケてない奴ら”グーニーズ”である我々の)魂と尊厳を救済していく。まさにスピルバーグ的、ジョン・ヒューズ的手さばき。そして、このシーケンスを感動的にしているのは、ダスティンがキングスティーブと同じ髪型をしている点にあるだろう。ダスティンとスティーブという存在は混濁している。つまり、ダスティンがステップを刻む時、ナンシーを失ったスティーブの魂もまた救済されているのだ。誰も知りえないところで。

*1:余談のようで余談ではないのだけど、あの我らが小市民ボブが、『グーニーズ』の主人公・喘息マイキーであったという事実に胸が震えてしまう f:id:hiko1985:20171113132553j:plain