青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

新しい地図『72時間ホンネテレビ』

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毎日みんなで口にするのは「ああ あいつも来てればなぁ」って
本当に僕も同感だよ それだけが残念でしょうがないよ


スチャダラパー「彼方からの手紙」

そこに”いない”と感じるってことは、実はむちゃくちゃ”いる”ということなのだ。『72時間ホンネテレビ』は3人としてスタートを切る番組ではなく、どこまでも5(6)人を諦めない、という意志のように思えた。ちなみに、上に引用したスチャダラパーの「彼方からの手紙」という曲はこう締めくくられる。

ぼくはすべてを把握した
ここにこなけりゃぼくは一生 わからずじまいで過ごしていたよ
あんがい桃源郷なんてのは ここのことかなってちょっと思った
君もはやく来たらと思う
それだけ書いて筆を置く

まさに桃源郷のような3日間だった。もちろん、72時間の内、8割方は既存のテレビ番組の冴えない企画の焼き増しで、「地上波放送じゃできない」という謳い文句は決して適切ではない(地上波のテレビだってまだまだおもしろいし、進化は止まっていない)。ふさわしい文句は「地上波ではできない」ではなく、「ジャニーズ事務所にはできない」だろう。さしておもしろくはない企画の数々が視聴に耐え得たのは、稲垣、草彅、香取の3人の心から番組を楽しんでいる、その活き活きとした表情に他ならない。あれだけで、全部オーケーになってしまう。死んだ目でオーダーをこなす料理人もしくは“ジャニーさんに謝る機械”であった2016年の彼らが、息を吹き返したように、人間の顔をしている。それだけで尊いではないか。もちろん、日本人のマインドに深く刻まれている判官贔屓の精神も巧妙にくすぐられてしまう。まさに華麗なる逆襲である。とにもかくにも、こっちはこんなにも楽しい。「ああ あいつ(ら)も来てればなぁ」って。


この番組の見所は、オープニングパーティーでの爆笑問題の暴走、森くんとの21年ぶりの共演、72曲ホンネライブ、森くんのメッセージを受けての稲垣吾郎さんの涙、この4つ。最初に書いた8割以外の2割である。特に異論はあるまい。個人的にもう1つ挙げるのであれば、最後に流れたゲストVTRでの「次は720時間テレビでお会いしましょう」というウド鈴木(キャイ~ン)の剛速球なパワーボケでしょうか。「96時間で」というような安いボケがかぶっていた後なだけに、痺れました。

爆笑問題異常な愛情>

番組の開始は何やら間延びしたパーティー。爆笑問題がいなかったら、とても観てはいられなかったことだろう。「おい、飯島呼べ、飯島」「木村ァ、見てる?」なんて風に、この番組に視聴者が期待していることをサラリとやってのける太田光。毒の中に、SMAPへのとびきりの愛情がまぶされている。特に好きだったのは

太田「おれ、酔ったら脱いじゃうよ」
草彅「それ僕です」

というくだり。あと、田中裕二が3人と同じくジャニーズ事務を独立した田原俊彦の「ハッとして!Good」をカラオケで披露したのが、「ウーチャカがただ歌いたかっただけ」という感じも含めて最高だった。


<森くんのとの21年ぶりの共演、稲垣吾郎さんの涙>

「その手があったか」という感じだし、スタジオに森くんを迎え入れるのでなく、3人がはるばる浜松のサーキット場に出向いて、森くんと再会するというのが、もう絶対的に正解。とびきりの青春映画みたいだった。
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レース前の試走に登場した森くんの姿を遠くから見つめて涙ぐむ慎吾ちゃん、再会シーンの4人での抱擁、4人でゆっくりとサーキットを一周するアンビエンス、青春時代の暴露トーク・・・良かったところを挙げろと言われても、とても書き切れない。だってもう、部屋に差し込む夕陽とか、響いてくるエンジンの音色とか、そういう自然発生的な細部すら全部よかったではないか。あと、やっぱり森くんの声と話し方が、なつかしくて、かっこよくて、優しくて。もう「大好き」となってしまった。最後のトークの舞台は整備場。座を囲む4人の後ろで、4人のことなんてまるで気にかけていない素振りで作業を続けるレーサー達。スーパースターが群衆に溶けていくような感触があって、SMAPの青春の、その普遍性が際立つ。番組のラストを飾った森くんの「これからも、ずっとずっと仲間だから」というまっすぐなメッセージを受けて、涙を流す稲垣吾郎さんの姿も胸を打つものがあった。一連の騒動で、ずっと感情の読めなかった人の仮面が割れていくのを見るよう。そもそも、稲垣吾郎さんがこちら側にいるというだけで、凄くグッときてしまうのだ。


<72時間ホンネライブ>

番組タイトルとなった「ホンネテレビ」の”本音”というのは、全てライブパフォーマンスの中に込められていた。決して、堺正章との会話などを指すのではない。国民的アイドルグループの面目躍如である。ラストに披露された小西康陽によるオリジナル楽曲「72」の素晴らしさが、この番組をグッと格上げしたように思う。”ぼくはずっと友だちには 恵まれているみたい”という番組のコンセプトを的確に落とし込んだ小西康陽の作詞術には舌を巻いてしまう。自身の音源では「誰といようとも貴方はずっと1人だし、そのまま1人で死んでいくんだよ」というようなことを繰り返し歌わせてきた小西康陽に、”お互い長生きしようね”と書かせてしまうのが、国民的アイドルのパワーだ。とりわけ感動的なのは

ずっとずっとこんなふうに 遊び続けよう
きみが喜んでくれるのが いちばん嬉しいから
ずっとずっとこんなふうに 遊んで生きられたら
きみのいちばん好きな瞬間を いまから、アップするよ

という「JOY」の”無駄なことを一緒にしようよ“の精神を引き継いだかのようなライン、その歌唱が、あのSMAPのユニゾンそのもののように響いてくる点だろう。2人いないはずなのに、ちゃんと5人いる。


そして、「持ち歌がないので」として、カバーされた71曲の選曲の妙。この国の大衆音楽の歴史を適切に踏んでいきながら、3人の趣向、番組出演者へのサンキュー、そして、坂本九尾崎豊ZARD、hide、忌野清志郎ムッシュかまやつ遠藤賢司といった死者への追悼が多分に織り込まれていた。つまり、ここに”いない”人へのメッセージが忍ばせてあるわけだ。佐野元春「SOMEDAY」、ゆず「いつか」という”いつか”に想いを馳せる2曲が続けて披露されたことに、深読みをせずにいられようか。すべての歌詞に深読みをさせてしまうSMAPというグループの物語力にひれ伏すとともに、"そばにいたいよ"だとか"出会えたキセキ"だとか、どこにでも転がっているような他愛のない色恋を綴った歌謡曲/J-POPというものが、誰にも等しく作用することの強さを、改めて噛み締めてしまった。個人的に1番涙腺にきてしまったのはTHE BLUE HEARTS「青空」を歌い終えた慎吾ちゃんがカメラに向かって手を振ったシーン。SMAPTHE BLUE HEARTSと言えば、「チェインギャング」のあの人しかいないではないか。71曲のカバーのラストに選ばれたのはRCサクセションの「雨上がりの夜空に」だ。もともと、愛車への想いと愛する人の欲情をダブルミーニングさせたロックンロールナンバーだが、「新しい地図」は3つ目の意味を忍ばせる。指摘するのも野暮な話だが、この雨にやられてエンジンがいかれちかまったポンコツとはSMAPのことだ。そりゃひどい乗り方したこともあったはず・・・。

こんな夜におまえに乗れないなんて
こんな夜に発車できないなんて

と、ヘトヘトになりながら、ここにいない2人を歌で挑発する。ポンコツ車に自らをなぞらえた名曲がかつてあって、そこでは

時代遅れのオンボロに乗り込んでいるのさ
だけど降りられない
転がるように生きてゆくだけ

なんていう風に歌われていた。グッとこないわけがないのである。


ちなみに、RCサクセションも、リーダーとキャプテンの好きなロックバンドだ。中でもキャプテンは、「雨上がりの夜空に」がシングルとしてリリースされた時のB面ナンバー「君が僕を知ってる」が、フェイバリットだと言う。

今までしてきた悪いことだけで
ぼくが明日有名になっても
どうってことないぜまるで気にしない
君が僕を知ってる
何から何まで君がわかっていてくれる
僕のこと全てわかっていてくれる
離れ離れになんかなれないさ

歌われていない曲ですらSMAPで解釈してしまう。しかし、本来は何の関係性も持たない事象を結びつけてしまう、そんな物語のような力を持ったスーパーグループがSMAPであったはず。いつかまた・・・




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