青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

岡田恵和『ひよっこ』9週目「小さな星の、小さな光」

f:id:hiko1985:20170605222331j:plain
放送が開始して2ヶ月余りが過ぎますが、脅威のクオリティを保ち続けている。僅か15分の中で、必ずや観る者の涙腺を刺激してくる。とりわけ、9週目にあたる「小さな星の、小さな光」の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。みね子の務める工場が倒産、その名も”乙女寮”にて苦楽を共にした仲間たちが散り散りになっていく。ガールズトークを中心にオフビートで進んでいた『ひよっこ』にしては、実に朝ドラらしいドラマチックな展開だ。無駄道のような他愛もない乙女たちのおしゃべりが積み上げられているが故に、その別れはよりエモーショナルに響く。しかし、ただひたすらセンチメントに浸るではなく、

笑ってるけど 泣きそうです
泣きそうだけど楽しくてしかたないです

というみね子のモノローグにあるように、涙のすぐ側には笑いがある。逆もまたしかり。

乙女たちは本当によく笑いますね
ラムネが転がっても、笑うんですね

という増田明美のナレーションが何週か前の放送にあったわけだけども、この”笑い飛ばす”というのは『ひよっこ』というドラマの根幹だ。豊子が哀しみのあまりとった行動に、みね子は想う。

いつかみんなで笑い話にしてやろうと
何度でも笑い話にしてやろうと思いました

ひよっこ』にはこれといった悪人が登場しないので、物語は大きく捻じれてはいかない。しかし、笑顔のすぐ裏には哀しみがあって、なんとか毎日を生き抜いていく為に、その哀しみも笑いで吹き飛ばす。そんな当たり前のサイクルが、誠実に描かれているドラマだ。


有村架純の発話の素晴らしさ*1、乙女たちの瞳に希望を宿す照明の妙、豊子と澄子の若さを持て余した力任せな美しい友情、愛子さんの大きな優しさ、青春映画みたいな門限やぶり、米屋の娘の秘めたる恋etc・・・言及したいことがありすぎて、どうにもまとまりそうにないので、泣く泣くトピックを絞って書き記していきたい。ちなみに、この9週目の演出は田中正。調べてみると、高アベレージであった5週目「乙女たち、ご安全に!」と6週目「響け若人のうた」も田中正が演出を担当しているようだ。今後も注目だ。



<優子のおせっかい>

病弱であるが故に再就職が難しく、田舎に帰ることになった優子。帰郷前、親友である幸子の恋人・雄大に接触し、結婚への煮え切らない態度を一喝する。これぞ、”おせっかい”である。セオリーに沿えば、そういった勝手な行動は、得てして状況をややこしくさせるものだ。しかし、そうはならない。優子からの叱責により、雄大は目を覚ます。幸子へのプロポーズを決断し、2人はめでたく結ばれる。身体の弱い優子が、幸子の為を想って、無理をしてまで行動した。『ひよっこ』というドラマは、そういった「こうであればいいのに」と願いながら頑張る者を決して否定しない。彼女達は物語の中でしっかりと”報われてしまう”。その事にひどく胸を打たれる。雑誌に載っていた団地暮らしのページをウットリと眺める乙女たち。

豊子:部屋さこの家具はついてねですよ
   自分で買えということです
みね子:分がってるよそんなことは
    でもほら頑張ればこんなふうにいつかなれるっていうことでしょ?
豊子:(微笑みながら)そですね

こういった何気ないシーンの中にも、”頑張ること”への真っすぐな肯定が根付いている。


<男・松下>

みね子が務める工場のライン長を劇団サンプルの奥田洋平が好演。
f:id:hiko1985:20170605222328j:plain
9週目の”常に泣きだす寸前”というようなエモーションを支えたのは、目を真っ赤にしながらも、決して涙は零さない、あの男・松下の表情に他ならない。飄々としたルックス、独特の発話、本当に特別な役者である。同じくサンプル所属である古舘寛治に続き、テレビドラマ界に欠かせない活躍を期待したい。また、同じく舞台畑である、岡部たかしの演技も素晴らしかった。あのいくらでも”悪”として表現できそうな工場の撤去作業員を、物言わずに表情で複雑に演じきっていた。岡部たかしと言えば、『カルテット』8話のたこ焼き屋としての姿も忘れ難い。他にも『ひよっこ』の舞台畑役者の起用は枚挙に暇がなく、時子のオーディション審査員に松井周(サンプル)、焼き芋屋のおじさんとして新名基浩(ロロ『いつ高』シリーズの”しゅうまい”役)など、ごく僅かな出演シーンながらも誰もが強い印象を残している。


<僕は嫌だっ!>

欅坂46「不協和音」のフレーズを重ねずにはいられない、豊子の乱。唐突な工場の撤去に対して、立て籠もりで抵抗する豊子。賢い豊子は、そんな事をして、状況がどうにかなるとも思っていないし、バカな行為だとも重々承知だ。それでも、豊子は乱を巻き起こす。

喋りたいんだよ
嫌だって喋りたいんだよ
誰にがは分かんねけど
おれは嫌だ
みんなと一緒に働きてえ
そうやって喋りてえんだよ

声を挙げなければ、大好きな工場が”なかった”ことになってしまいそうだからだ*2。“喋りたい”という豊子の津軽弁が、台詞に独特の味わいを出している。標準語であれば「叫びたいんだよ」などが妥当だと思うのだが、”喋りたい”という言葉が用いられることで、その叫びを向ける対象のようなものが自然と立ち上がってくる。それはすなわち”神様のようなもの”に向けた叫びだ。工場は、これまでで唯一、豊子が”本当の自分”でいられる場所だった。それがなくなってしまうことに対して、「嫌だっ!」と喋る。それは「私はここにいます」という心の叫びのようなものだ。豊子を諭すみね子の言葉が素晴らしい。

悲しいけどなぐなんないよ
なぐなんない
私たちがずっと忘れないでいれば工場はなぐなんない
ずっと
ずっとなぐなったりしないよ

忘れなければ、”なかったこと”にはならない。工場も、乙女寮も、乙女たちの友情も。そして、みね子のこの言葉の裏に潜んでいるのは当然、喪失してしまった”お父ちゃん”の実像であろう。


<小さな星の、小さな光>

週タイトルである「小さな星の、小さな光」は、劇中でみね子たちによって歌われる坂本九のヒット曲「見上げてごらん夜の星を」の一節から。「上を向いて歩こう」など坂本九の楽曲は、このドラマの脚本に強いインスピレーションを与えているように思う。

手をつなごう ぼくと
追いかけよう 夢を
二人なら 苦しくなんかないさ

という箇所が、幸子と雄大のプロポーズの言葉としてトレースされているのも見逃せないわけだが、より注目したいのは後半の歌詞だ。

見上げてごらん 夜の星を
ボクらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる

まさにこの『ひよっこ』という作品そのものを言い表したフレーズではないか。高度経済成長期を支えた”金の卵”もしくは”ひよっこ”達。そんな歴史に埋没した匿名の彼や彼女たちの、知られざる青春を詳細に描写することで、そこにあった”想い”を掬いとる。それは物語というものが担う役割そのものであるように思う。アメリカのリチャード・ブローディガンは

物語を書く事の目的の一つは「名もない」と一括される人びとの名を固有名詞にして呼び戻し、かれらの声を回復することにある


藤本和子リチャード・ブローティガン』より

と書き記した。現在のこの国で、その物語の役割に最も自覚的なのは、この『ひよっこ』の制作を統括している菓子浩であると言えるかもしれない。菓子が同じく制作統括をした『あまちゃん』もまた、”被災者”という記号で一括りにされそうになった人々に、どこまでもオリジナルな個性を宿すことで、我々にその”痛み”を想像する力を与える物語だった。

お父さん・・・
お父さんへの心の手紙ではどうしても私の近くにいる人の話になってしまうけど
ここには大勢の乙女たちがいました
みんなそれぞれに私とおんなじように物語があります
何だかそれってすごいなぁと思います
そんな物語がものすっごくたくさんあるのが東京なのかなって思いました

貴方によく似た物語を生きる人もいるだろう、決して想像もつかないような物語に身を投じた人もいたに違いない。この世界は、無数の知られざる物語の集まりだ。その一端に触れることは、ときに私の心をどこまでも慰める。1日の仕事を終えた乙女寮の、就寝前の部屋の様子をみね子はこう描写する。

私はこの時間が一番好きです
みんな思い思いに自分のことをやっていて
穏やかな時間です
みんなおんなじ時間を一緒に生きてんだなぁという気持ちになります



関連エントリー
hiko1985.hatenablog.com
hiko1985.hatenablog.com

*1:「そして私たちはそれぞれ動き始めていました、次の暮らしに向けて」というモノローグでの発話が特に超超素晴らしい!!

*2:ここには欅坂46サイレントマジョリティー」の「行動しなければ Noと伝わらない」が呼応しているように思う