青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

湯浅政明『夜明け告げるルーのうた』

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これは好きだ。ボーイミーツガール、そしてグッバイ。

ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり
誰もみな手をふってはしばし別れる


小沢健二「ぼくらが旅に出る理由」

今作では何度も「じゃあ、またね」というお別れが描かれる。大きなお別れに備えるように。その別れ際、ルーや犬魚がいつも手をふって見送ってくれるのがいい。心を解放させるような歓びは、積み重なった哀しみの中からしか生まれない。『夜明け告げるルーのうた』は実に真っ当なジュブナイル映画だ。


高低差と傾斜に溢れた港町という舞台設計がまずもって素晴らしく、”湯浅政明”印と言っていいであろう柔らかく揺らいだ線が、空間の狭間でポップに弾ける。そして、気持ちいいほどにセルアウトしている。どちらかと言えば観客を選ぶタイプの作家であった湯浅政明の、キャリア初のファミリー向け映画ということで、物語展開もキャラクターデザインも既視感バリバリながら、安心して観ていられる。キャラクターが多すぎて、世間で言われているほどに明快な脚本でもないような気もするし、”音楽”をテーマにしておきながら、斉藤和義歌うたいのバラッド」やYUI「fight」を挿入曲として使用するというのには、さすがに「新海誠かよ・・・」と顔をしかめそうにもなるのだけども、そこはグッとこらえよう(なんたっていい曲だし、下田翔太の歌声は泣ける)。


心を閉ざした孤独な少年の拠り所がネット上にアップするMPCで作成したトラック、という実に現代的な導入にも驚かされたし、海に落としたスマートフォン(防水)を人魚が拾って届けてくれる、という童話めいたボーイミーツガールもバッチリ現代版にアップデートされている。ラブレターとしてのミックステープ(RCサクセションの「スローバラード」!)、廃墟と化した遊園地、コンビニのフライドチキン、焼き魚への箸さばき、短パンのウエストの紐、じいさんの傘作り、そして、然るべきタイミングで通過する列車。細部の充実は文句なしの豊さだ。プロット自体は散々指摘されているだろうけども『崖の上のポニョ』と酷似している。

崖の上のポニョ』において、「人間ではないポニョを愛せるか?」という問いが物語に決着をつけていたように、この『夜明け告げるルーのうた』でもまた「素直に”好き”と声に出して言えるか?」というのが全編を通してテーマになっている。人魚、音楽、地元、漁業etc・・・何かに抑圧されて、素直に”好き”と言えない対象が今作には散りばめられているが、ルーの真っ直ぐな「好きー!」によって、それらのしがらみが溶解していく。それがやがて生死の境界すらも溶かしていく、という展開も『崖の上のポニョ』なのだけども、人魚に噛まれると人魚になってしまうという”吸血鬼”的設定がオリジナルで、とっくに失われてしまったと思われていた”好き”が海の底で生き続けていたという筆致が感動的だ。


眩しいとわかっていても惹かれずにはいられない光、というのがあって、ルーの生き方はまさにそれを体現している。陽の光が苦手な人魚たちだが、それでも人間の世界に干渉しようとする。人間にとって畏怖の対象であり、神のような存在でありながらも、ルーはおろかルーのパパでさえも「愚かな人間どもめ」というようなセオリー通りの態度を見せない。むしろ、人間の世界に対して、憧憬の眼差しを向けている。人間の真似をするかのように、スーツを身に纏い、商工会議所で働くパパの姿を最高にキュートだ。見つめる視点を変えた時に浮かび上がる世界の美しさ。ここには、「この世界というのは憧れられるに耐え得るものなのだ」と説くような志が感じられる。それはやはり『崖の上のポニョ』での宮崎駿によく似ている。今作のプロットが『崖の上のポニョ』に似てしまったのは偶然なのかもしれないが(湯浅の構想としてはポニョの前からあったなんて話も聞く)、”ジブリ的なもの”への明確なリスペクトは確かに存在する。ルーのパパがニカっという口角を上げて笑う姿に、『パンダコパンダ』や『となりのトトロ』の面影が重なる。今年度は米林宏昌がこれまで教わってきた”ジブリ的なもの”を総動員したかのような『メアリと魔女の花』もあるわけで、「俺たちが頑張らないと、あの人が安心して帰れないんだ!」みたいなものを感じる。
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そんな中、当の宮崎駿は何度目かの引退撤回でもって、新作制作を発表というのが最高に面白い。



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