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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

片渕須直×こうの史代『この世界の片隅に』

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広島と呉、太平洋戦争の我が国における悲劇の地を舞台としながらも、戦争の悲しみや怒りと同等、いやそれ以上に、そこで繰り広げられていた人々の暮らしの営み、恋、吐く息の温かさ、そういった”戦災”という言葉で全てなかったことにされてしまいそうな、”生”のきらめきを描く事に注力している。だからこそ、『この世界の片隅に』は、人間の固有性にまつわる物語だ、と言える。戦死者○名、といったような記号でのっぺらぼうにされてしまった人々の顔、名前、声、人格、特技etc・・・を鮮明に描き出す事で、その固有性を蘇らす。そうすることでやっと、我々はその悲しみを想像することができるのだ。つまり、本作はクリント・イーストウッドが本年送り出した『ハドソン川の奇跡』という傑作や、奇しくも主演女優を同じくする宮藤官九郎脚本のNHK連続小説テレビ『あまちゃん』(2013)と、そのフィーリングを共有する。あらかじめ、観る者がその結末を予測しえているという点でも、とても近しい。諸事情をここで書き述べるのは割愛するが、”能年玲奈”という名(=固有性)を奪われてしまった、”のん”が『この世界の片隅に』という作品の主演声優を務めるというのは、あまりに出来過ぎたドラマなのである。

わしが死んでも
一緒くたに英霊にして拝まんでくれ
笑うてわしを思い出してくれ
それが出来んようなら忘れてくれ

これは劇中に登場する、海軍に入隊した主人公すずの幼馴染である水原の言葉。

どこの誰か
顔も服もべろべろで判りやせん
自分の息子じゃと気づかんかったよ うちは

これは陸軍に徴兵され広島で被爆した息子の亡き姿に気付けなかった、北条家の隣人である刈谷の言葉。このように、戦争は人々の固有性をはく奪する。『この世界の片隅に』という作品はそれに徹底的に抗ってみせる。浦野(北条)すずという女性は、のんびり屋、ドジ、裁縫が苦手、料理は得意etc・・・様々な個性を持ち合わせる。そんな中、彼女の固有性を最も際立たせているのが、”絵を書くこと”であろう。
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彼女はその行為をとても愛する。空襲で爆撃を浴びている時ですら、その様子を「絵に書いてみたい」とひそかに願ってしまうほどに、”絵を書く”ことに固執する。絵を書くのがすずという人間なのだ。であるから、絵を書くことのできる彼女は、自身の名字にすら執着しない(彼女は嫁ぎ先の名字や住所を把握していなかった)。しかし、そんな彼女は、爆撃によって利き腕である右手を失うこととなる。

僕の右手を 知りませんか?
行方不明になりました
指名手配のモンタージュ 街中に配るよ


今にも目からこぼれそうな 涙のわけが言えません 
今日も明日も明後日も 何かを探すでしょう


THE BLUE HEARTS「僕の右手」

甲本ヒロトの鮮烈な歌声が頭の中を回る。戦争がすずの固有性を奪う。また、すずという人間を形造る、夫の周作に”見初められた”(=選びとられた)というもう1つの固有性もまた、不妊、そして、遊女・白木リンの登場によって揺らいでいく(注:このリンと周作を巡るドラマは、映画版ではカットされている)。「私は代用品なのだろうか?」という葛藤に加え、右手という何よりの固有性を失ったすずの精神世界は大きく崩れていく。ここで、まるですずの(利き手ではない)左手で描かれたかのように、背景のデッサンが歪んでいく演出が圧巻だ。しかし、

誰でも何かが足らんくらいで
この世界に居場所はそうそう無うなりゃせんよ

というリンの言葉が、すずを、そして、戦争の悲しみを優しく包みこむ。

わしはすずさんがいつでもすぐわかる
ここへほくろあるけえ
すぐわかるで

夫の周作は、すずの口元のほくろに彼女の固有性(戦争にも、誰にも奪えやしない美しさ)を認める。また、すずの失われた右腕のシルエットが、とある戦争孤児の亡き母の面影と重なり合い、新しい家族の繫がりを生み出してしまう。人は誰しもがそれぞれにオリジナルで、それらはどこまでも美しく、かわいらしい”特別”だ。だからこそこんなにも簡単に愛は生まれていく。



そして、『この世界の片隅に』は偉大なる芸術(創作)賛歌でもある。すずが”絵をかくこと”で、困難であった水原哲や白木リンとのコミュニケーションを達成させてしまう。消えていってしまいそうな記憶や想いは、すずの手によって絵や物語として、永遠に残される。そして、忘れてはならないのが、『この世界の片隅に』という素晴らしいラブストーリーの始まり、そのボーイ・ミーツ・ガールは、”人さらいの化け物”というすずの物語によって為されたという点だ。この空想と現実の不明瞭な繫がり。ラブストーリーのもう1人の主役である、リンとの出会いもまた”座敷わらし”という不思議な存在が、現実との繫がりを揺るがした事で発生した。すずの”想像力”がこの物語を駆動させる、その美しさよ。



さて、遅くなりましたが、片渕須直が監督を務めた映画『この世界の片隅に』は大傑作である。こうの史代の原作は勿論、永遠のマスターピース。今作と片渕須直の融合はあまりに幸福だ。『アリ―テ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』の想像力をベースに、『うしろの正面だあれ』『BLACK LAGOON』といった片渕須直のキャリアで培った各要素が有機的に絡み合っている。出会うべくして出会った2人。映画批評として語るべき、原作の間を絶妙に含ませた脚本の美しさ、作画における動きや表情のフェティッシュさ、綿密な時代考証に基づいた背景美術の充実、メカ造形の緻密さ、類まれなる音響効果、のんの圧倒的な声の演技、といった映画を彩る数多の素晴らしさは、各地で散々語られているので、割愛させてください。今世紀ベスト級のアニメ映画、その言葉だけで充分なのである。



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