青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

宮藤官九郎 『あまちゃん』(NHK連続テレビ小説)


ふんだんに散りばめられた小ネタの面白さ、キュートネスを炸裂させた役者陣の素晴らしさは勿論なのだけども、例えば”潜る”とか”磨く”とか“歌う”といった運動に多義的な意味をもたらし、物語を持続させていく宮藤官九郎の技術、そして大長編を紡ぎ切った体力、そこに何より痺れてしまった。


最も印象的だったのは、終盤において、鈴鹿ひろみ(薬師丸ひろ子)が北三陸にて、自身の声でもって「潮騒のメモリー」を歌うというくだりである。鈴鹿ひろみはアイドル時代、歌があまりに下手なあまり、影武者を立てられ、レコーディングやライブにおいて、自分の声を出す事を封じられていた。その影武者というのが主人公アキちゃん(能年玲奈)の母親である春子(小泉今日子)であった、というのが物語の中盤の核でございました。さて、ではこの物語において「声を取り戻す」というのはどういう事を意味するのだろう。北三陸という舞台から”震災”というタームを軸に考えてみると、それは”被災者”という記号に押し込められ、声を奪われ固有性を失った人々に、再び感情という光を灯す行為に他ならないように思える。「天野夏」「足立ユイ」「大向大吉」「今野弥生」「小田勉」etc・・・固有名詞を与えられたたくさんの魅力的な登場人物、私達はこの6カ月、彼らの感情に常に寄り添ってきた。勿論、震災後の彼らの言葉や気持ちにも。それは私達の中で”被災者”という記号に顔や声が付いた、という事だ。彼らの声が聞こえる。宮藤官九郎が『あまちゃん』という物語で試みたかった大きな1つはそこではないだろうか。その試みを声を失ったアイドルを巡るクロニクルに託す。この発想と展開が凄い。


最終話における、トンネルでのショットのあまりの美しさは誰もが涙した事だろう。アキとユイが「アイドルになりたい!」と叫んだ先にはトンネルがあった。ユイが震災において閉じ込められたのもトンネル、東京へ行くのを阻んだのもトンネルだ。そんなトンネルを、2人は美しい光に包まれながら軽やかに駆け抜ける。トンネルはどこかへ続いていく装置だ。続いていくこと、終わらないこと、これこそが『あまちゃん』が6ヶ月感の大狂騒で提示したシンプルな真実である。ヤング春子の過去からの視線だとか、「潮騒のメモリー」の「三途の川のマーメイド」という死臭をまとった歌詞を「天野夏→天野春子→天野アキ」の脈々と受け継がれるアイドルの系譜を表わした「3代前からマーメイド」に変更されていたのもそう。この”続いてく”という感覚は、『あまちゃん』というフィクションと視聴者である我々の現実との境界も接続させていく。これに一役買っていたのが、宮藤官九郎がかつての作品でも多用していた手法で、現実世界の人物をそのままの役名で登場させる。三又又三、橋幸夫さかなクンetc・・・それに加えて今作では、小泉今日子薬師丸ひろ子など、ドラマの役とそれを演じる役者たちのイメージにもうっすらとしたリンクが貼られている。これがなかなか効いている。『あまちゃん』は終わらない、北三陸での生活も、そして僕達の生活も続いていくのだ!