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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

中園ミホ『トットてれび』3話

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黎明期のテレビが持ち合わせていた途方もなくパワフルな自由さ、その一例を描き出した第3話。黎明期のテレビというのは、テレビ女優第1号である黒柳徹子とイコールで結んでしまいたくなるわけで、すなわち描かれているのは、トットちゃん(満島ひかり)のアナーキーキッチュな魅力なのだ。


当時のテレビはバラエティ番組だろうとドラマ作品であろうと生放送であった。当然ハプニング続き。放送中に美術セットのガラスが割れたり、壁が崩れたり、役者の台詞がとんでしまったり。であるから、もしもの時は強制終了させる為、「終」と書かれたボートが床に転がっていた。しかし、トットちゃんはどんなハプニングが起きようと、決して番組を途中で「終」にはさせない。これが第3話の根幹を支えるフィーリングだ。なんせ、番組オープニングのパンダちゃん(小泉今日子)のナレーションはこう。

いいえ終わりません これから始まります

ラストにしても、トットちゃんがボートを手にし、「あたしが出すの?」と掲げようとするも、カメラはすぐさまパンダちゃんに切り替わり、トットちゃんに「終」を告げさせようとしないのである。三木のり平小松和重)の台詞飛ばし、放送時間の押しなどのトラブルを見事な機転で乗り切るも、誘拐された設定でセットにいるはずの坂本九錦戸亮)が行方不明。二重の誘拐。この大ピンチを乗り越える様が実に素晴らしい。セットという枠組み、決められた動線を無視して、縦横無尽に駆け抜けていく、それは固定観念をぶち壊す疾走そのものだ。そんな風にいささか強引であろうとも、苦難を大胆に乗り切っていく。とにかく大事なのは”途切れさせない”事なのだ。2話でのエントリーの繰り返しになるが、本作が向いているのは過去ではなく、未来だ。100歳の黒柳徹子が生きる時代、いやもっとその先まで、このエネルギーを途切れさせずに繋ぐ、それがこの番組の意思である。



と、同時に今話の重要なモチーフは

スイスイスーダララッタ~

というクレージーキャッツの「スーダラ節」の響き(命が弾けるような満島ひかりの歌声よ!)。「ちょっとくらいはいい加減でもいいんだよ」という息苦しい現代への黒柳徹子からのメッセージ。



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