青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

中園ミホ『トットてれび』7話

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「好きな女優を3人挙げると?」と聞かれたならば、「ミツシマ、ミツシマ、ミツシマ」と答えよう(何の脈絡もないゴダール溝口健二のオマージュです)。進化し続ける満島ひかりに、言葉が追いついていかない。彼女自身も、もはや言葉を必要としていないと言いますか、発話せずとも、ただそこに”居る”だけで観る者の感情を揺さぶる。そういう境地に達しているように思う。勿論、黒柳徹子が憑依しているとしか思えない発声や声色も素晴らしいのだけども、それ以上にあの画面への身体の収まりや振動、もしくは涙を堪える瞳の揺れが、訴えかけてくるのです。



さて、7話にしてついに最終回である。素晴らしい。堂々たるフィナーレ!卑小な枠組みに収まる事など決してない、自由でアナーキーなはみ出し者トットちゃんが、夢と現の、過去と未来の、もしくは生者と死者の、様々な境界を踊るように練り歩き(まるでフェリーニの『8 1/2』だ!)、最後に辿り着いたのは『ザ・ベストテン』のスタジオだった。そこはヒットソング、流行歌の集まる場所のはずだ。「買い物ブギ」「上を向いて歩こう」「スーダラ節」「男はつらいよ」「知床旅情」etc・・・このドラマで演奏された流行歌の数々は、テレビジョンの黎明期を支えた、今は亡き人々へのレクイエムのように響いた。であるから、この『トットてれび』は「テレビのお葬式」「黒柳徹子生前葬」だなんて言われたりもしたようなのだけど、そりゃとんでもない!むしろ、逆だ。音楽は全てを蘇らせてしまうからだ。時間も場所も越えて、記憶も感触も全部。だから、あの『ザ・ベストテン』のスタジオには、死んだ人もみんな生きていて、トットちゃんにいたっては3人もいる。

トットちゃん(満島ひかり)「あなた、おいくつ?ね、おいくつ?あなた」
トットちゃん(黒柳徹子)「私はね、今の今日の私です」
トットちゃん(満島ひかり)「あ、ホント。あなたは?」
トットちゃん(藤澤遥)「私も今日の私です」
トットちゃん(満島ひかり)「私も今日の私なんですけどね・・・」

更にこのドラマには100歳のトットちゃんがいて、全員が”今日の今”を生きるトットちゃんだ。

テレビは生(なま)、でしょ?

という言葉が劇中に登場するが、生(なま)ってのは”生きてる”ってことだ。森繁久彌が半世紀に渡って「1回、どう?」と誘うと、トットちゃんは決まって「また、今度ね」とあしらった。100歳のトットちゃんですら「今度ね」と言うのだ!後ろを振り返る必要はない。道は前に前に続いている。これからも多くの別れがあるだろう。しかし、”お別れ”は同時に”出発”である。

さよならさよなら たくさん言って 
元気に元気に出発だ



ヤン坊ニン坊トン坊』の劇中歌「出発の歌」

だから、我々には「終」のボードなんて必要ないのであーる。




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