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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

坂元裕二『それでも、生きてゆく』

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あまりの素晴らしさに改めて震え、『最高の離婚』と今作とどちらが坂元裕二の最高傑作であるか、という悩ましい問いを自分に課しております。観終えたばかり、というのもあるけれど、『それでも、生きてゆく』ラストに2話における境地を最高傑作としたい気持ちが強い。『それでも、生きてゆく』は、神戸連続児童殺傷事件を下敷きにしており、「少年犯罪」「被害者家族」「加害者家族」などアクチュアルな事象を取扱った社会派作品のように一見思えるが、描きたいのは「被害者感情」とか「誠意」とか「刑期」とか「償い」とかそういった類のものではない。坂元裕二が描きたいのはこれまでの作品から一貫して「人と人はわかりあえない」という諦観であるように思う。15年前の少女殺害事件の犯人三崎文哉(風間俊介)はそのわかりあえなさの象徴のモンスターとして描かれている。彼に妹を殺害された深見洋貴(瑛太)がついに腰を据えて対面する10話が圧巻。一度は復讐として殺意を抱いていた相手に洋貴はこう呼び掛ける。

亜季(殺された妹)がさ、何のために悲しいお話があるか聞いてきたことがあった。何でわざわざ人間は悲しいお話を作るんだろうって。亜季が殺されて、友達が犯人で、バラバラになった家族があって、兄貴の無実信じながら苦しみながら生きた人がいて、悲しい話ばかりで逃げたくなる。だけど、逃げたら、悲しみは残る。死んだら、殺したら、悲しみが増える。増やしたくなかったら、悲しいお話の続きを書き足すしかないんだ。いつかお前が人間らしい心を取り戻して、初めからやり直して、償いを、違うか・・・そんな話どうでもいいんだ・・。今の話、全部忘れていいよ
<中略>
ただ、たださ・・・今朝、朝日を見たんだ。便所臭いトイレの窓から朝日見えて・・・そんな事、あそこに住んで一度も感じたことなかったんだけど、また今日が始まるんだなって。悲しくても、辛くても、幸せでも、空しくても、生きることに価値があっても、なくても。今日が始まるんだなって。あの便所の窓から、この15年間毎日ずっと、今日が始まるのが見えてたんだなって。うまく言えないけど、文哉さ、俺、お前と一緒に朝日を見たい。一緒に見に行きたい。もうそれだけでいい。

この渾身の洋貴の呼びかけに対して、文哉から飛び出してきたのは

ご飯、まだかな

の一言のみ。この絶望的なわかりあえなさ。そして、テーブルに運ばれてくるオムライスとマカロニサラダ。しかし、注文したのは店主に強引に薦められたポテトサラダであったはずなのだ。このマクロなわかりあえなさとミクロなわかりあえなさを同列に定食屋という空間に置いてしまうのが坂元脚本の醍醐味であり凄味だ。そして、そのマカロニサラダを泣き笑いしながら食べる瑛太が凄い。彼の「生きづらさ」を体現する発話と間の演技は今作と『最高の離婚』をもって高い位置に到達している。遠山双葉を演じる満島ひかりは更に凄い。ニューウェーブな演技メソッドだ。身体の歪みであったり台詞のつっかかりであったり、そういったノイズを意味として響かせる事に成功している。あの彼女の脱臼した感覚は小劇場を中心に活躍する劇団五反田団チェルフィッチュわっしょいハウスなどとの共鳴を見せているように思う。それをブラウン管で通して成立するレベルにまでもっていっている満島ひかりはやはり紛れもない天才だ。*1そんな2人が演じる洋貴と双葉は被害者家族と加害家族であり、互いに強く惹かれながらも決定的にすれ違っていく。しかし、その事実を受け止め、それでも生きてゆく。

僕ら、道は、まぁ、別々だけど、同じ目的地見てるみたいな感じじゃないですか・・それって、すっごい、嬉しくないすか?

そうして進んでいけば、美しく交わり分かち合ってしまう瞬間が時として訪れる。最終話終盤における素晴らしき夜の公園のシークエンスのように。『最高の離婚』のラストで見せた平行線上に同じ箱(電車)に乗る事、そして突然のキスも、線の角度が違えど、これの変奏と言える。ラストの美しく哀しいモノローグ。

「遠山さん。朝日を見て、まぶしくて、遠山さんの今日一日を思います。」
「深見さん、こうして朝日をみてるとどうしてか、深見さんも同じ朝日を見てる気がします。いつもあなたを思っています。」
「私が誰かと手をつないだその先で、誰かがあなたの手をつなぎますように。」
「つないだ手に、こめた思いが届きますように。」
「悲しみの向こう側へ。進め。」
「進め。」

お互いに宛てた、しかし投函される事はなく木に結ばれる手紙。

「神社でおみくじ結んである木あるじゃないですか。昔郵便ポストだと思ってたんです。」
「えっ誰が届けるんですか?」
「なんか、そういう届くシステムがあって、不思議な手紙の木、みたいな。」

東京ラブストーリー』『MOTHER』『それでも、生きてゆく』『最高の離婚』と観てみて、坂元裕二の脚本には必ず「読まれる事のない手紙」というのが出てくる事に気づく。それは「わかりあえない」という諦念の表出であろう。しかし、その手紙を何らかの形で(『それでも、生きてゆく』での言葉を借りるならばシステム)届けてしまう、届いてしまう。それが坂元裕二が作劇において挑戦したい事に他ならないように思う。先の文章を訂正したい。坂元裕二が描きたいのは「人と人はわかりあえない」という諦観、そしてそれに抗うほんの少しの希望である、と。

*1:そして満を持して、2013年5月五反田前田司郎の戯曲・演出『いや、むしろ忘れて草』で満島ひかりが出演します。『それでも、生きてゆく』で彼女の妹役を演じた福田麻由子も出演。必見!