青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

岡田恵和『ど根性ガエル』7話

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ひろしにカエルの王国に置き去りに去れるも、忠犬ハチ公のような健気さでマラソン、自転車、トラック、ヘリコプターとさながらトライアスロンのようして、葛飾立石に舞い戻るピョン吉。これは「カエル=帰る」というギャグなのでしょうか。となると、ピョン吉は死んだとしても「生き返る(カエル)」「蘇る(よみガエル)」かもしれません。それが、ひろしの言う「死んでも生きろよ」と言う事なのでしょうか。いや、そんな駄洒落はさておき、重要なのは以下のひろしの台詞だろう

お前、死ぬなよ。お前がいるからおもしれぇんじゃねえかよ、この街はよ。そうだろ?平面ガエルなんてあり得ねえ奴が生きてるから面白いんじゃねえか。この世界も悪くねえなって、だから思えるんじゃねえかよ。つまんねぇだろ、お前がいなくなっちまったら。だからよ、お前…死ぬな。

もしくはピョン吉の

おいら、葛飾立石の平面ガエル!ピョン吉様だぜ、誰がここから出ていくかよ!

という大立ち回りだろう。ピョン吉は立石という街と同化している。ゴリライモの選挙の応援団長にも指名され、Tシャツやポスターにも登場、すなわちアイコンと化しているのだ。これが「死んでも(どっこい)生きてる」という事ではないだろうか。違うのかしら。いや、どうにも歯切れが悪いのは、正直いまいちピンとこない回だったのだ。脚本、演出ともに精彩を欠いていたように感じます。クレジットを確認すると、演出がお馴染みの菅原伸太郎と狩山俊輔ではない。同じようなギャグでも上滑って見えたのはそういう事か、と納得。演出が変わるだけで、キャラクター達が違う人のように見えてくる、といういいサンプル。エキストラの演出も不自然。そこらへんは許せるにしても、「温泉でひろしがピョン吉で股間を隠すそうとすると、ピョン吉が顔を赤らめながら嫌がる」だとか「ピョン吉の涙でTシャツがしたたり床に水溜りができる」だと「不穏な音楽での煽り(&すかし)」だとかは目に余った。カエルの王国…に関しては脚本が悪いか。まぁ、そこらへんを言い出すと、五郎の旅行のお金は出さないけど、くじ引きになら3万円出してもOKというのもよくわからないし、そもそもあの一等賞は4人招待券だったのか、それもと2人は自腹なのか、とかハテナマークは尽きない。折角の旅行回なのにどうもテンションが上がらないのは母ちゃんがいるせいか。ここは母ちゃんでなくゴリライモに登板頂きたかった。その他、どうでもいいシーンが多すぎるし、肝心の京子ちゃんのおばあちゃんの”大人”に関する説話もいまいち効いてこなかった。


救いは満島ひかりのピョン吉の演技が回を増すごとに進化している点だろう。初回から素晴らしかったのだけど、「満島ひかりが声を出しているな」という感覚は色濃かった。それがもう完全に消えている。満島ひかりを滅私し、ピョン吉という生命体になり切っている。進化する天才。見せ所は少ないが、前田敦子の抑えた気だるい演技もよい。さて、いよいよ終盤戦、涙なしには見られない展開になりそうですが、ここから一気に巻き返しを期待です。