青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

大森寿美男『悪夢ちゃん』


タイトルやルックの印象から「水木しげる原作かしら」と認識されている方も少なくないと思うのですが、原作は恩田陸の小説である。と言っても原作から汲み取っているのはモチーフや役名程度で、ほぼオリジナル作品と考えてしまっていいだろう。水木しげるというよりは藤子不二雄、それもFとAの両氏のマインドを存分に感じる。他人の無意識に入り込み、それを”夢”として具現化する能力を持った少女、悪夢ちゃん。彼女の見る夢は”予知夢”であり、その予知夢が現実においてどんな意味を為すのかを推理し、これから起きる事件を防いでいくというのがこの作品の基本構造だ。予知夢の数々はタイトル通り悪夢のオンパレード。ヒッポグリフ、バンシー、シルキーなど西洋の想像上の生き物が続々と登場し、チープでグロテスクでフリーキーな夢のヴィジュアルが刺激的。筒井康隆今敏パーフェクト・ブルー』『パプリカ』→ダーレン・アロノフスキーブラック・スワン』(6話ではオマージュもあり)→大森寿美男『悪夢ちゃん』という系譜も描けるのだけど、『悪夢ちゃん』はあくまでキャッチーに開かれているのがいい。ダーティな悪夢の演出の中で、「どんなに過酷な運命でも、未来を切り拓くのは自分自身」というメッセージが輝く骨太なヒューマンドラマでもある。それでいて、このドラマには予定調和というものが存在しない。


とにかく驚きなのは緻密な脚本の構成だ。劇中で夢と現実の境界が曖昧になっていくにつれ、あらゆる要素がシームレスに接続していく。脇役の些細な発言や仕種、そういったものが全て伏線として複雑に絡み合う。それでいて台詞回しや所作に歪さは全く感じられず、あくまで登場人物達の日常として機能している。こういった伏線の「無関係と思われていたものが、強く結び付けられていく」という運動は、作品全体に浸透していく。例えば、「大丈夫、これは夢だよ」と序盤においてはギャグのように多用されていた古藤教授(小日向文世)の台詞が、時空を超え、強度を増して彩未先生(北川景子)に届いてしまう。無関係のはずだった登場人物達も回を重ねるにつれ強く結び付けられていき、悪夢ちゃん(木村真那月)、彩未先生、志岐貴(GACKT)の疑似親子関係にて物語は結末を迎える。複雑でありながらも、清々しいほどに1本筋が通っている。「人生に無駄な事なんて1つもないんだよ」という事を、陳腐な言葉で語られる以上に感じさせてくれる作品だ。


最終回では、1話冒頭で展開された”夢”のダブルミーニング(「眠って見る夢」と「将来の夢」)が反復し、子ども達の”夢”が一堂に介し、歌い踊る最高のミューカルフィナーレを見せてくれる。楽曲はももいろクローバーの「サラバ、愛しき悲しみたちよ」だ!

サラバ、昨日をぬぎすてて
勇気の声をふりしぼれ
「じぶん」という名の愛を知るために
眠れない羊の群れよ
迷えるこころの叫びを
振り返るな 我らの世界はまだ始まったばかりだ!