宮藤官九郎『ごめんね青春!』5話
『カバヤキ三太郎のごめんね青春!』という誰も聞いてはいなだろうと思われているラジオ番組のコーナーを通じて、人々が繋がってしまっている。”想い”は決して直接でなはく、何かを介して告げられる、これはクドカン作品のルールのようなものである。例えば『11人もいる!』
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『ごめんね青春!』の5話においては、たとえスーツ(ゆるキャラの)越しであろうと、感情が伝わってしまう事を描いていた。
4話では、理由のない”好き”の美しさが描かれた。つまり、起点のない”運動”の純粋性だ。5話は、着地点のない”運動”につていである。西高に暴行された古井(矢本悠馬)。その敵を討とうと、「駅伝で西高に勝つ」と言いだすクラスメイト達。しかし、当の本人である古井はある理由からわざと停学騒ぎを起こし、駅伝に不参加となる。当然、不満を漏らすクラスメイト達。
そう、つまり青春というのは着地点のないもの。古井の不参加で、駅伝に参加する理由も結果もなくなった。しかし、その理由も結果もない独立した”走る”という運動の美しさ。「理由→行動→結果」という流れから”理由”と”結果”を取り外し、”行動”だけを描こうとしている。それはもしかたら「子ども→青春→大人」という流れから”青春”という固有の輝きを取り出す行為なのかもしれない。