青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

片想い『片想インダハウス』


バンドの10年の歴史の内、3分の1程度にしか触れていない私でも、本当に全国流通のアルバムがリリースされるだなんて信じられなかったし、正直に言えば、例え出たとしても、それが良い物であるはずがない、とすら思っていた。なので、本当に驚いたし、謝りたいし、ひれ伏したい。そう、片想いのファーストアルバム『片想インダハウス』は文句なしに素晴らしいのだ。

片想インダハウス

片想インダハウス

「片想い」という一方通行の状態をバンド名に掲げていながら、いや掲げているからこそか、このバンドは切実にコミュニケーションを希求しており、アルバム冒頭では高らかに「愛されたいと思うものであります」と宣言される。”愛されたい”が故の、強度を持ったメロディーと歌心、想像力を喚起させる隙間あるアレンジ、聞き手を飽きさせる事のないギミックとアイデア。「愛されるよりも愛したいマジで」なんてヒット曲がちょっと前にもありましたが、一般的に世間では”愛している”という叫びはポピュラーで、”愛されたい”という感情よりも高尚なもののように捉えられているようである。しかし、そんな事は決してない。「愛されたい!」と叫ぶからには、その為の準備を整える。なんだかそれはよっぽど双方向なコミュニケーションのように思います。

バンドのリーダーMC.sirafuのTwitter上での「『LIFE』(小沢健二の2ndアルバム)めざしてつくりました」という発言に引っ張られますが、これは”愛し愛され生きる”ための音楽だし、”喜びを他の誰かと分かち合う”ための音楽だ。片想いというバンドの凄まじさは、小沢健二が数年で燃え尽きてしまうほどに魂を焦がして成し遂げた表現を、実にフラットに、つまり生活と地続きに、鳴らしてみせた点にある。間違いなく生活者の音楽であり。街の音楽であるのだが、そこには限定された箱庭的な所はなく、「東京インディー」という括りを越えて、時間や距離を越えて「2000キロ先に届く歌」である。

向かう 移動 集う きっとそれは光る希望なのかもしれないよ

という「踊る理由」のラインに象徴されるように、片想い(ひいてはとんちレコードの活動)はライブを通じて、感情を分かち合う”場”をクリエイトしてきた。このアルバムの最も感動的な点は、その「踊る理由」に顕著なのだけども、演奏された空間の広がり(1番わかりやすい所で言えば、オラリーの「ヘイ!」がとても遠くから聞こえる)が克明に記録(レコード)されている所だ。つまり、分かち合う”場”が、音としてパッケージされている。録音に関して言えば、このアルバムは音が太い。再生ボタンを押すとスピーカーが震えるあの感じ。それでいながら、各楽器の分離と鳴りが秀でている。片想いというバンドはこんなに演奏がかっこいいバンドだったのか、と再認識する次第です。ドラムとベースに加えて、管楽器がリズムを刻んでいる。そこに、劇薬のようなポップメロディーが鳴り響き感情を揺らす。この音楽に帯をつけるならば、

タフでファンキーなリズムに乗って爆発する僕のアムール、ダイナマイな魅力でガンガン唄う新しいエース・ストライカー、大ヒット・シングル”踊る理由””すべてを”不朽の心のベストテン第1位

*1じゃないか。しかし、片想いの多様な音楽性は、『LIFE』その1枚では語りきれまい。大きなヒントとなるのは、1曲目「管によせて」で、沖縄の方言である「オーリトーリ」の掛け声と共に召喚されるアーティスト名の羅列。聞き取れただけでも、Sly & The Family StoneSam CookeAretha FranklinA Tribe Called QuestDe La SoulArrested Development、Biz Markie、Brian Wilson美空ひばり大工哲弘、三田村管打団?、シュガー・ベイブcero、NRQ、桂枝雀アッバス・キアロスタミエメリヤーエンコ・ヒョードル・・・どうだろうか?このワクワクする並び。ソウルやヒップホップの黒いフィーリングを、沖縄民謡や「日本の歌」で煮詰めて、シティポップと目一杯のユーモアで味付けをほどこした感じ。そんなごった煮チャンキーを成立させてしまうポップソングライティングセンス。それを論理的に賞賛できたら何よりなのだが、あまり難しい事はわからないので、とにかくただただこういった音楽がとびきりの口ずさめるポップソングとして鳴っている事が何よりも最高だ!と叫んで終わる事にします。

*1:ちなみに小沢健二『LIFE』の帯文です