青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

坂元裕二『anone』4話

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私の名前はアオバ 苗字はない
この世に生まれてこなかったからだ
幽霊っていうのとは少し違うけど
まぁ そう思ってもらえるのが一番手っ取り早い

いきなりの”幽霊”の登場である。低視聴率のテコ入れとして、急遽挿入されたであろう「3話までのダイジェスト」という配慮を、台無し *1 にするような突拍子もない導入。「こんな人いるわけない」「こんな職場あるわけない」「こんな展開ありえない」というように、昨今のテレビドラマの視聴者はこれまで以上に、”リアリティ”や「あるある」に近い共感を求める傾向にあるように思う。そんな中において、伏線なしの幽霊は、どう考えてもそっぽを向かれてしまうのは自明。しかも、幽霊は冒頭のように、我々に向かって話かけてくる確固たる存在なのだ。高視聴率は望めないだろう。しかし、そのような語り方でなければ紡げないものというのがあって、それは世界の在り様すら変革させてしまうような力を持っている。ハリカ(広瀬すず)のスケートボートに描かれたイラスト「忘れっぽい天使」の作者であるパウル・クレーはこんな言葉を残している。

芸術とは見えるものの再現ではなく
見えないものを見えるようにすることだ

見えないもの(ex.幽霊)を見えるようにすること。坂元裕二がテレビドラマというフィールドで挑もうとしているのは、詩や短歌、絵画といったような芸術が担っていた領域なのではないだろうか。



<幽霊がいるということ>

るい子(小林聡美)とアオバ(蒔田彩珠)は仲良し親子だ。友達のように気が合い、ときに互いを分身のようにして*2、いつも一緒にいる。ただ普通と違ったのは、アオバはこの世に存在していないということ。彼女は、るい子の”生まれることのなかった”娘なのだという。当然のように、社会(≒わたしたち)はそんな2人のありかたを、真っ向から否定してかかる。「心の病気だ!」「幽霊なんて非科学的」といった風に。


るい子の願いは大抵叶わない。中学に入ると、ロッテオリオンズ村田兆治*3に憧れ、野球部の門を叩く。しかし、「女子だから」という理由でマネージャーに回されてしまう。高校時代は、バンドマンを目指すも、練習中にメンバーに押し倒され妊娠。そして、流産を経験する。会社に勤めてからは、誰よりも懸命に働いた。しかし、ここでもやはり「女性だから」という理由で出世街道を外され、最終的に部下も誰もいない倉庫係に左遷されてしまう。いっそ火で放って抗議してやろうかと思うが、退職して結婚、家庭を持つことにする。そこでも彼女は阻害され、教育に失敗し、夫はおろか息子からの愛情すら望めない状況に陥ってしまう。生まれることのなかった娘、放たれることのなかった火・・・・るい子の願いは大抵叶わない。このるい子という哀しき存在を、男社会の被害者としてアクチャルに語ってしまうことは簡単だ。しかし、性差を超えて、るい子は”わたしたち”であると言える。企業に搾取されて死んだ西海(川瀬陽太)も、種無しとして婚約者に捨てられた持本(阿部サダヲ)もいずれも同じ”哀しいわたしたち”なのではないだろうか。

俺もあいつも同じ道歩いてて、1人だけ穴に落ちたんだ
どっちが落ちても不思議じゃなかった
あいつがしたことは、俺がするはずだったことかもしれないんだ

この持本の西海に向けた言葉は、ここ最近の坂元裕二が繰り返し筆を費やしているテーマのひとつだ。

往復書簡 初恋と不倫

往復書簡 初恋と不倫

昨年刊行された『往復書簡 初恋と不倫』においても、言葉を変え、繰り返し記述されている。たとえば、こう。

誰かの身の上に起こったことは誰の身の上にも起こるんですよ。川はどれもみんな繋がっていて、流れて、流れ込んでいくんです。君の身の上に起こったことはわたしの身の上にも起こったことです。

この世界には理不尽な死があるの。
どこかで誰かが理不尽に死ぬことはわたしたちの心の死でもあるの。

この痛ましい世界において、るい子たちに降りかかった悲劇は決して他人事などではない。そこで傷ついているのは、”わたしたち”だったかもしれないのだ。


他の人の目には映らないとしても、アオバは確かにいて、そんな彼女の存在が、るい子に生きることを諦めない強さを与えてきた。であるならば、「幽霊なんていない」としてしまう社会に、わたしたちは抗う必要があるのではないだろうか。それが、たとえどんなに小さな声であろうとも、「幽霊はこの世界に”いる”」と叫び続けねばならないのだ。たとえば、ハリカのように。

なんで幽霊を好きなったらダメなんですか?
なんで死んだら好きになっちゃダメなんですか?
生きてるとか死んでるとかどっちでもよくないですか?
生きてても死んでても好きな方の人と
一緒にいればいいのに

天使性を携えたハリカにとって、「死」という概念は理解しがたいものなのかもしれない。なんで死んだら好きになっちゃダメなんですか、この言葉はるい子のこれまでの生き方を肯定するのみならず、棺桶に片足を突っ込んだ余命半年の持本を揺り動かし、るい子への愛の告白を導き出しさえもする。


生死の境が揺らいだ世界で、幽霊のアオバの存在はどこまでも肯定される。

アオバ:あのね、おかあさん
    わたし、いい子?
るい子:いい子 いい子だよ
    おかあさん、アオバのこと大好きだよ
アオバ:ふーん

このアオバのうれしさに溢れる照れ隠しの素っ気ない「ふーん」がいい。短い音の中に、複雑な感情が詰まっている。そして、この「ふーん」がひどく感動的なのは、るい子の息子の冷淡な「ふーん」を反転させているからでもある。



<幽霊/天使>

「幽霊と思ってくれてかまわない」としながらも、アオバの登場ショットは足元から撮られている。怪談に倣うのであれば、幽霊には足がないはずなのだ。しかし、それもまた偏見で幽霊差別というやつだろう*4。そして、「室内であろうとも革靴を履いたまま」というアオバの世界とのズレが何度も印象的に映されている。幽霊の存在に興奮して「コワいコワいコワい」と足をバタバタさせるハリカを捉えるショットも何やら異質だ。共に足元を映しとることで、アオバとハリカを結びつけてしまうようである。つまり、『anone』における幽霊というのは、これまで述べてきた”天使”とほぼ同義と言えるだろう*5。どちらも足元がおぼつかない。そして、大人になりきれない天使たちはやはり”落下”のイメージを繰り返している。るい子は階段から転げ落ち、家族と別れ、高層タワーマンションから地上に”降り”てくる。持本は(病気の影響だろうか)よろめき倒れることで、るい子の居場所の糸口を発見する。さらにむりくりではあるが、アメリカンドッグのケチャップの”垂れ”も落下と言えなくもない。亜乃音(田中裕子)は、孫と一緒に”落し物”を探す。そして、

普通は嫌だな
だって、落とし物したら
探すことができるでしょ
探し物したらもっと
面白いもの見つかるでしょ

と、落下や喪失のイメージを肯定してみせさえする。



<苺という赤>

ドラマの公式Twitterアカウントが、「イチゴって漢字で書くと、苺。母って字が入ってて、それを思ってもう一度みるとさらに泣けて来ます。」とつぶやいていて、「武田鉄矢かよ」と思いつつも、なるほどと感心した。亜乃音は玲(江口のりこ)に苺を差し出そうとするも拒まれてしまう。その対比として、苺ジャムを丁寧に塗ったトーストをハリカと共に口にしている。しかし、ここで苺が選ばれたのは”母”という漢字が入っているからだけではないだろう。それは苺が”赤い”からである。その赤は、血(=赤)の繋がりのない娘たちとの関係を結ぶためのものだ。であるから、苺を拒まれた亜乃音は、今度は必死に赤い傘を手渡そうとする。血の繋がりで断ち切られてしまった糸をなんとか繋がんとして。

*1:ひび割れた字が小刻みに揺れるというフォントの震えるようなダサさを想えば、痛快ですらある。あのダイジェストを観て、これまでのあらすじが理解できる人がいるのだろうか

*2:アオバが鏡面越しにるい子を見つめる複数のショットが示唆的

*3:マサカリ投法の村田!『それでも、生きてゆく』でのトルネード投法の野茂といい、坂元裕二は変則投法のピッチャーが好きなようだ

*4:坂元裕二と幽霊と言えば、東京藝術大学大学院の学生と作りあげた『水本さん』という短編も重要である

*5:完全に余談になるが、幽霊、天使、生まれなかった子ども、といったモチーフは劇団ロロが昨年再演した代表作『父母姉僕弟君』と一致していて、三浦直之と坂元裕二の共鳴がより強固なものになった

松本壮史×三浦直之『それでも告白するみどりちゃん』

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『それでも告白するみどりちゃん』というなにやら画期的に新しいドラマが始まった。そのドラマは、テレビの地上波放送でなく、ローカル放送でもなく、ニコニコ動画でもGYAO! でもなく、カルチャー動画メディア「lute/ルーテ」のInstagram 上のStoriesにて展開されるのだという。インスタのストーリー機能というのがどういうものなのかよくわかっていないので、そこは詳しい人に譲りたいのだけども、とにもかくにもそれは史上初の試みであるらしい。


1/31(水)から2/7(水)の8日間にわたって3分間のドラマが毎日18:00に更新されていく。すなわち全8話。最新話が更新されると、前話を視聴をすることはできなくなってしまう。24時間限定の3分間の命、刹那型の儚いドラマなのである。ちなみに画角はスマートフォンで観ることを想定して、縦長。ときにドラマはスマートフォンの動画撮影機能画面に切り替わり、わたしたちのスマホがジャックされたような感覚に陥る(lyrical school「RUN and RUN」だ!)。そんなまったく新しい形態のドラマの監督と脚本を任されたのは松本壮史(THE DIRECTORS FARM/ Enjoy Music Club)と三浦直之(ロロ)、『デリバリーお姉さんNEO』(2017)においてもタッグを組んだナイスなコンビ。とくれば、音楽を担当するはもちろん江本祐介(Enjoy Music Club)、ドラマをポップに彩ります。


タイトルの通り女子高生みどりちゃん(りりか)が想いを寄せる谷口くん(中島広稀)に告白をする。ひたすらに告白する。パンパンに膨れ上がったみどりちゃんの気持ちは、そこいらにありふれた言葉なんかではとても伝えきれないから、1話ではダンス*1で、2話では本で覚えた超能力を駆使して、3話ではあらゆる宇宙の恋人たちを結んできた「全ての愛の言葉をたったひと言に凝縮した特別な言語」でもって、告白する。今後もあらゆるバリエーションで告白を為していくのだろう。どうやらみどりちゃんはちょっとエキセントリックな女の子らしい。その多彩なバリエーションの告白の数々は、不気味がられたり、宛先違いだったり、と谷口くんにはなかなか伝わらない。けれども、みどりちゃんの”好き”の気持ちは、確実に「世界」を輝かせているのである。告白を見守る友達のくらっち(亘理舞)もいつも楽しそうだ。『デリバリーお姉さんNEO』1話にはこんな台詞が出てきた。

好きって気持ちがあるとさ
周りの景色もキラキラするでしょ?
あたしが見てるキラキラは
あたしだけのものじゃないって思うの
そのキラキラは別の誰かが見てる景色も
少しは輝かせてくれるって思うの
あたしの世界が色づく時
世界も本当に色づくんだって
あたし信じてる

みどりちゃんの少しズレたチューニングで発される”好き”は、たとえ谷口くんに届かなかったとしても、世界そのものを欲情させ、煌めかせる。それはもう眩しいくらいに。ピカっと光って、儚く消える。まさに青春そのものみたいなラブコメディドラマ。残りの5話もマストチェックでいきたいと思います。



ちなみに、主演のりりかは松本壮史がディレクションを務めたCM『日本郵便WEB CM 「SNSでつながるあの子」篇』でも起用されている。三浦直之の独特で癖のあるキャッチーな台詞廻しをキュートに乗りこなしている。谷口くんを演じる中島広稀は、同じく松本壮史が手掛けた乃木坂46個人PV「アイラブユー」や『デリバリーお姉さんNEO』でお馴染み。もはや松本組と呼んでいい信頼のキャスティング。さらにロロ繋がりの舞台俳優たちが混ざり合っていくそうな。これは見逃せませんね。

*1:振付はロロの島田桃子

野木亜紀子『アンナチュラル』3話

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3話についてしっかり書く余裕がないまま、4話の放送日になってしまった。無念。今回は軽いテイストでご勘弁頂きたい。3話は裁判所を舞台とした法廷ものであった。演出は塚原あゆ子から竹村謙太郎にバトンタッチ。編集のスピード感はグッと抑えられ、室内撮影が中心。やや地味な印象になりそうなものだが、それでも抜群におもしろいのは、各キャラクターの実存が視聴者に浸透しているからだろう。気の弱そうな坂本さん(飯尾和樹)が中堂(井浦新)をパワハラで訴訟なんていう展開には思わず声を出して笑ってしまった。正味5分も登場していない坂本さんのこの行動に「意外」と思えるというのは、それほどキャラクターを効率よく書き込めているということなのだ。「逃げるは恥だが役に立つ」を地でいくクレバーなミコト(石原さとみ)も最高だが、3話は何と言っても煩悩の数ほどのクソの語彙力を持つ男・中堂、中堂系に尽きます。ミコトに「感じ悪いですよ」と指摘されて、動揺してしまうなんていう描写がいちいち憎い。自覚のないのかよ、感じ悪いと思われるのには傷つくのかよ、と萌えてしまうこと必至。なぜか久部くん(窪田正孝)には、わりと感じがいいとこも好きです。クリーンな印象が好まれるであろう弁護側証人に喪服姿(と言うより『美味しんぼ』の山岡さんルック)で登場するという社会の規範への囚われなさ。誰彼区別せずに振り撒く悪意。そして、何やら深刻めいた隠された過去。男も女も目がハートになってしまうダークヒーローの誕生なのである。


ミソジニーパワハラ年功序列社会、雇用問題・・・実に現代的なテーマが散りばめられている。そこでぶつかり合う、男/女、正社員/非正規雇用者、ベテラン/新米といったあらゆる二項対立が登場する。法廷でもまた、右利きか/左利きか、ステンレスか/セラミックか、というような問答が繰り返されるわけだが、その”揺れ”がステレオタイプな対立構造を徐々に無化させていく。ミソジニーなんて題材はドラマメイクにおいては山場と爽快感を作りやすい甘い蜜のような存在だが、野木亜紀子はそこに甘んじない。迫害される側と思われた女にもまた男を精神的に追い詰めるような台詞をあてがい、と思えば追い詰められた気弱な男に女性軽視発言を吐かせる。視聴者に安易な共感を与えない。


検察側証人であったミコトは弁護側証人に一転し、殺害を自供していた陽一(温水洋一)はとたんに無罪を主張(と思えば、再び罪を認めようとする)、ムーミン好きの温厚な坂本は賠償金目当てで訴訟するし、訴訟されていた中堂が証人として法廷に登場したりもする(白衣から喪服へ)。「白いものをも黒くする」という異名を持つ烏田(吹越満*1)ではないが、そんな風にして人は簡単にひっくり返る、それこそオセロのように。性別や見てくれ、職業や役職といった表面上のものに囚われてはいけない。信頼するに足り得る真実めいたものは肉体のずっと奥のほうにあるのだ。

I have a dream
いつかあらゆる差別のない世界を
諦めないことが肝心です

というキング牧師をトレースした所長(松重豊)の宣言こそが、もはや”隠れテーマ”でもない最大のメッセージだが、実はその直前に中堂もまた同じ意味のことを言ってのけている。

人間なんて切り開いて皮を剥げばただの肉の塊だ
死ねばわかる

皮を剥げば、男も女もLGBTもない、みんな同じ肉の塊。乱暴ではあるが、その視点は真理を突いているように思うのだ。

*1:『問題のあるレストン』に続いてミソジニーの権化がなぜかはまる吹越さん

ルドウィク・J・ケルン『すばらしいフェルディナンド』

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ルドウィク・J・ケルンは日本ではあまり評価されていないのだろうか。ポーランドの児童文学作家なのだが、Wikipediaにも項目は存在しない。日本語に翻訳されている作品は3作品。その内の1冊『ぞうのドミニク』は福音館で文庫化しており現在も入手可能だが、『すばらしいフェルディナンド』『おきなさいフェルディナンド』という2冊のマスターピースは現状手に取りづらい状況にある。岩波書店から刊行されたにもかかわらず、岩波少年文庫入りを果たしておらず絶版中。とは言え、稀に古本屋で見かけることもあるので、1960年代の発売当時にはそれなりの人気を博した作品なのかもしれない。


これがもう底抜けにおもしろい。都会的でスマートなトーンを醸しながらも、とびきりにナンセンス。話の筋を少し紹介してみよう。とある夫婦の飼い犬であったフェルディナンドが、突然あることを思いつく。

もし、このぼくが、ソファからたって、げんかんのドアのところまでいったら!階段に出て、この二本足でたってみたら!このうしろの二本足で!
「フェルナンド!」フェルナンドはさけびました。
「すてきだぞ!」

こうして始まるフェルナンドの冒険。犬が人間のふりをして街に出るわけだから、それはもう波乱に満ちているに違いあるまい。しかし、そこかしこに散りばめられた”嫌な予感”はことごとく裏切られ、事なきをえていく。強引なまでの展開で”めでたし めでたし”へと収束していく。その筆運びの幸福感ときたら!二本足で歩くフェルディナンドを、誰もが当たり前のように人間と認識するのだ。それどころか、「立派だ」「素敵」とこぞって褒め称える。「あいつは犬じゃないか!」と指を差すようなやつは1人として現れない。ルドウィク・J・ケルンが夢想するあらゆる差別のない世界。第二次世界大戦中、ナチスによる悲劇が繰り広げられたポーランドという土地柄を想えば、そこに込められた祈りの切実さを感じとってしまう。またその筆致は、どこか藤子・F・不二雄のそれを彷彿とさせる。

ドラえもん (1) (てんとう虫コミックス)

ドラえもん (1) (てんとう虫コミックス)

もはやあたりまえのことのように受け入れているが、『ドラえもん』の世界において、ドラえもんが何ら異物として捉えられていないのは、尋常ならざることだ。20世紀の世の中にいきなり二足歩行の青色の猫型ロボットが現れる。「ロ、ロボットだー!」と町中の人に騒がれるシーンがあってしかるべきだが、そういった描写は存在しないのである*1。それどころか「野比さん家のドラちゃん」なんて風に認識されてすらいる。当たり前のように、人々の日常の中に受け入れられている。その在り様がたまらなく胸を打ちやしないか。この『すばらしいフェルナンド』には、そんな『ドラえもん』に横たわる温かいフィーリングと同質のものが貫かれているように思う。


一方で、ひとたびフェルディナンドが四つん這いになろうものなら、すぐさま犬として扱われ、ホテルやお店から追い出されてしまうというような描写もある。ちょっとした見た目の変化だけで、態度を変える人間のありようを風刺しているようだ。しかし、そんな人間の愚かさも愛くるしく描かれている。フェルナンドもまた「ご立派!」とチヤホヤされながらも、実のところ、いい加減、嫌みったらしく自分勝手なところが往々にしてある。犬でありながらも、どこまでも人間くさくて愛らしいのだ。そして、資本主義を心から楽しんでいる。フェルナンドが二本足で歩き始めてまずするのが、どこまでも上等な洋服を仕立てることなのです。美しいブルーのジャケットに、あぜおりのワイシャツ、そこにシマのネクタイをしめて、これまた上等な靴を履き、山高帽で完成。フェルナンドはとびきりお洒落な紳士なのだ。


カジミシュ・ミクルスキによる色彩豊かでいてブルージーな挿絵もいい。フェルナンドはどのページにおいても眠たげな眼で描かれている。実際、フェルナンドは雨降りの中、1週間ぶっ通しでホテルで眠り続けたりするのだ*2。都市と眠りと雨。そんな風にして、そこはかとなく暗示されてはいるのだが、物語は夢オチで幕を締める。しかし、夢の中のできごとが、少しだけ現実に作用している。「夢だけど、夢じゃなかった」というスタジオジブリ的なフィナーレ。オススメです。

*1:もちろん、私の記憶の中にあるかぎりですが

*2:この降りしきる雨の描写がまことに素晴らしいので、ぜひとも実際の本を手にとってご覧頂きたい

最近のこと(2018/01/20~)


Lampの4月に発売されるニューアルバム『彼女の時計』よりリード曲「Fantasy」のMVが公開。ワンマンのチケット買いそぶれてしまったが、アナログ盤は絶対にゲットしたいものです。とてつもなく寒い日々が続いておりますが、すでに花粉は飛んでいて、コンビニにはいちごサンドが、洋服屋さんにはパステルカラーが立ち並んでいる。記録的な寒波に襲われながらも、春の息吹きを感じなくてはいけないのは忙しい。だけども、春はなにかとドキドキしてしまうので、少しずつ忍び寄ってくるくらいがちょうどいいのかもしれない。いきなり「はい、明日から春です」だなんて言われたら、まともな神経だったらイカれてしまうでしょう。「セブンイレブンのいちごサンドと言えば、BUMP OF CHICKEN藤原基央」という10年以上前に植え付けられた情報が未だに頭にこびりついていて、コンビニで見かける度に「状況はどうだい?」と思ってしまう。永遠に22歳くらいイメージのBUMP OF CHICKENのメンバーは2018年、何歳になったんだろうとウィキペディアで調べてみたら、38歳だった。思っていたよりずっと若いが、元ジャイアンツの村田修一より年上なのだと思うと、驚いてしまいますね。『ロストマン/ sailing day』がリリースされた頃、高校生だったのですが、大学生のお姉さんに「ロストマンsailing dayどっちが好き?」と聞かれて、ロストマンと答えたら、「ふーん、わかってるって感じだね」と言われてドキマギしたという思い出を捏造して残しておきます。



先々週のことは、もう記憶が朧気なので細部は泣く泣く、省略したい。しかし、小室哲哉の引退宣言は衝撃的だった。ちょうど私の中でglobeのリバイバルブームが巻き起こっていて、2ndアルバム『FACES PLACES

FACES PLACES

FACES PLACES

を買った(ブックオフでですが)翌日に記者会見、数奇な運命を感じました。ちなみにglobeのアルバムは、悪くないのだけども、シングル曲があまりに良すぎるので、クオリティのバラつきを感じてしまうところがある。「Can't Stop Fallin' in Love」はちょっといい曲過ぎるぞ。

今となってはこのMV泣けてしまう。小室哲哉の歌詞に通底する”哀しさ”はどんなに時代が変わろうとも、古びない。そして、とにかく乱暴なまでに引きのあるフレーズで構成されているのだなと改めて気づかされる。「踊る君を見て恋がはじまって/あなたの髪にふれ/私ができること 何だかわかった」とか「鏡に映った あなたと2人/情けないよで たくましくもある」とかもうほとんど何言っているのか意味がわかないにもかかわらず、とにかく耳に、心に残るものがあるのだ。私はちょうど音楽に興味を持ち始めたころに小室ブームが直撃の世代なので、刷り込みが凄い。安室奈美恵の曲を作っているのが小室哲哉で”室”繋がり、そういうどうでもいいことに世界の秘密が隠されている気がしたものだ。



土曜日。ロロの『マジカル肉じゃがファミリーツアー』がもう1回観たくなったので、タイムズで車を借りて横浜まで向かう。電車のほうが早く着くのだけども、車のほうが断然気分が良い。小さめの車が好きなのですが、カーシェアリングやレンタカーなどにラインナップされている国産の小型車は乗り心地があまり良くない。となると、やはり外車なのだろうか。フォルクスワーゲンのポロやビートルに乗ってみたいので(お店に試乗に行く勇気はない)、誰か迎えに来てください。甲州街道の左側車線で待っています。途中、国道沿いのマクドナルドのドライブスルーでホット珈琲を買った。ドライブスルーってちょっと特別な気がして、好きだ。車を1時間半ほど走らせたところで横浜に到着。まもなく開演時間だったので、KAATの裏にある蕎麦屋でお昼を江戸っ子のようにせっかちに食べる。しかし、蕎麦湯までしっかり堪能した。なにやらとても美味しい蕎麦湯を出すお店だった。『マジカル肉じゃがファミリーツアー』は2回目のほうがずっと感動してしまって、「これはもしやロロの最高傑作では・・・」とすら思った。1回目は最前列で、2回目は最後列で観たのだけども、後ろで観るほうがあの素晴らしい舞台美術をより堪能できた。回転していく舞台転換は、ディズニーランドとか豊島園のライドアトラクションの感じがありました。名づけることとかイマジナリーフレンドについて、感想の断片をメモ書きしてあるのだけども、まとめる余裕がありませんでした。とにもかくにも、現在の三浦直之の書くものは見逃し厳禁だ。ロロはどんどん凄くなっていく。こういうこと書かないほうがいいと思いつつ、マームとジプシーをターンと追い抜いてください。帰りにいか文庫の展示を観て、フリーペーパーを頂く。いい本がたくさんオススメされていた。『おべんとうの時間』という本を買うことに決めた。

AIR

AIR

帰りの車内では劇中で歌われたRAG FAIRのアルバム『AIR』を聞いた。『力の限りゴーゴゴー』のハモネプはほとんど観ていなかったのですが、RAG FAIRの楽曲は好きだった。「ラブラブなカップル フリフリでチュー」「あさってはSunday」はもちろんだが、「tea time lover」「帰り道」「空がきれい」あたりも良いのだ。彼らのソングライティングは過小評価されているように思う。この日は上板橋のお寺でThe High Llamasのショーン・オヘイガンのライブがあったらしい。ショーン・オヘイガンが板橋区に来るだなんて。もっと早く知っておけば・・・とハンカチを噛んだ。『Hawaii』を聞いて心を慰める。
Hawaii

Hawaii

横浜からの帰りに、超優良施設「鶴見ユーランド」に寄る。ひさしぶりだったが、やはり最高のサウナと水風呂。水風呂の温度計は9℃を記録していた。熱々の身体があっという間に冷え、気づけば脳内に幸福物質がドバドバ流れてくる。外気浴もできるのだけども、浴場内の窓際に置いてある椅子がお気に入り。水風呂に同じタイミングで入った人が「あぁっ、凄い!凄い、凄い、ぁぁっ!凄い、凄いよ」とずっと1人で小さく叫んでいて、笑ってしまった。その後、施設で見かけなかったので逮捕されてしまったのだと思う。サウナのテレビで大相撲と『歌う!SHOW学校』を観ました。服部良一特集で五木ひろしが「蘇州夜曲」や「銀座カンカン娘」を歌っていて、とてもよかった。服部良一のソングBOX欲しい。サウナと言えば、大町テラスさんの漫画『わたしをサウナに連れてって』がかわいくておもしろいです。

Vol.1は「おふろの王様光が丘店」だった。この施設は私もたまに行く。バカみたいに広いサウナと塩素臭バリバリの水風呂で、決して優れた施設ではないのだけども、ジャンクなものを求める、みたいな気持ちでなぜか足が向いてしまう。わたしが権力に弱いというのもあるかもしれない。寺村輝夫の『ぼくは王さま』も大好きだった。
ぞうのたまごのたまごやき (寺村輝夫の王さまシリーズ)

ぞうのたまごのたまごやき (寺村輝夫の王さまシリーズ)

ぞうのたまごのたまごやき、という語感がたまらくいい。こちらを元にした人形劇も観に行った記憶がある。寺村輝夫は『かいぞくポケット』や『わかったさんのおかしシリーズ』も読んでいて、永井郁子の挿絵が好きでした。
なぞのたから島 (かいぞくポケット 1)

なぞのたから島 (かいぞくポケット 1)



日曜日。注文した本棚が届く前に、部屋の模様替えと年末にできなかった大掃除を敢行する。始めるのは億劫だが、一度やり出すと、凝り出してしまうのが掃除だ。夕方に日暮里まで出て、いわゆる「谷根千散歩」というやつを堪能した。なんで今まで来たことがなかったのだろうというほどに楽しい街だった。古本屋、餡子、珈琲、芋けんぴ・・・私の好きなものしかない。初めて生で観る「ゆうやけだんだん」にも感動。「古書ほうろう」と「古書信天翁」の品揃えが楽しくて震えた。「ひるねこBOOKS」も最高。店内にはうつくしきひかりのアルバムが流れていた。児童書を中心に古本を大量に買い漁って、大満足で帰路に着く。あまり時間がなかったので、またゆっくり遊びに行きたい。『A子さんの恋人』のA太郎が住んでいるのはここらへんなのだ。近藤聡乃と言えば、待望の新刊『ニューヨークで考え中』2巻も素晴らしかった。

ニューヨークで考え中(2)

ニューヨークで考え中(2)

絵はもちろんのこと、思考のノートとして抜群におもしろい。



月曜日。東京の街に雪が降った。想像以上にガシガシ積もって、職場に早めの帰宅命令が出た。いつもとちょっと違う風景に、早引きということで、だいぶウキウキした気持ちで帰路に着いたが、首都圏の交通機関が打撃を受けたことで、翌日からの仕事はてんてこ舞い。やっぱり雪を楽しめる歳ではなくなってしまったようだ。小さい頃は、雪が降って積もってくれるなら寿命が縮んでもいいくらいに思っていた。カマクラを作った経験はないが、雪だるまは必ず作った。どうしても絵本や漫画の雪だるまを作ってみたくて仕方なかった。しかし、ちょうどよく目になるものが見つけらない。あの所謂、雪だるまって感じのやつ、目は磁石などを使っているのだろうか。あと、小さい頃の冬の思い出シリーズなのですが、プラスチックのコップに水を入れて、一晩中外に置いておいて、朝起きた時に凍っているさまを眺めるのがたまらく好きだった。理科を学ぶ前の私は素直に魔法みたいに思えたのだ。



火曜日。1日中電話をしていたような気分。夜は友人たちと池袋は外れの中華屋で食事をした。『勝手にふるえてろ』を全員観ておくように、と伝えたところ、ちゃんと全員観ていたのだけども、話題に挙げるのをすっかり忘れていた。たぶんみんな気にいったに違いない。私は先週もう2回目を観に行った。アフタートーク黒沢清が登壇。とてもかっこよかった。ユルリとしたモーションで鋭いことをバシバシ指摘していた。メンバーの内2人は、ロロの『マジカル肉じゃがファミリー』も観に行ったそうだ。『父母姉僕弟君』を無理矢理観に行かせたところ、気にいってくれたらしい。役者が全然違う印象になっていたことに驚いていた。私は、篠崎大悟演じる湾くんが凄く好きで、下の兄弟たちとしっかり遊んでくれる感じとか、夕食をちょっと残してしまった時にお母さんに「美味しかったよ」と言い添えることを忘れないところとか、泣いちゃう。中華屋を出て、ドーナッツショップで珈琲を飲んで解散した。



水曜日。松屋のチーズダッカルビ定食が食べたいと思うも、お店に入ったら品切れになっていた。とてつも人気らしい。ココナッツディスク池袋でSaToAのミニアルバム『スリーショット』を購入。最近、ついにブックオフで発見したGOMES THE HITMAN『new atlas e.p.』をよく聞いている。Real Estateと同列に聞けてしまう。ギターポップと日本語の融合はゴメスが20年前に完成させていたのだ、思う。あと、家ではBill Evansのエレピとオーケストラが印象的なイージーリスニングアルバム『From Left To Righ』をずっと聞いている。

FROM LEFT TO RIGHT

FROM LEFT TO RIGHT

急にボサノバをやってみたりするところがスキ。本を読む時にもちょうど良いのです。『anone』の3話を正座して観た。西海を演じた川瀬陽太が抜群だった。坂元裕二からのキャスティング提案なのではと思うくらいに、彼じゃなきゃ演じられない役柄だった。広瀬すずがほとんど言葉を発しないのだけど、こういうのを取り上げて、「お飾りの主役」とかいう記事が出るのかと思うとウンザリする。広瀬すずを大根と呼ぶ人が少なからずいるらしいが、信じられない。本当の大根を観たことがあるのだろうか。ちなみに練馬大根は辛味が強くて、沢庵にするのに適しています。
すばらしいフェルディナンド (岩波ものがたりの本)

すばらしいフェルディナンド (岩波ものがたりの本)

夜中にルドウィク・J.ケルンの『すばらしいフェルディナンド』を読んで、ひどく感銘を受けた。



木曜日。トップリード新妻さんが逮捕という報に朝から声が出てしまった。パーケンの時は「そうか・・・」とすぐに受け入れられたが、今回のはあまりに意外すぎる。直に接したところがあるわけではないが、いいコントを作る、とにかく「いい人」という印象だった。しかも、新妻さんは『カルテット』をこよなく愛し、サウナーでもあるのだ。ちょっとまだ信じられなくて、何かの間違いであって欲しいと願っております。タワレコで、平賀さち枝とホームカミングスのEPとポニーのヒサミツ『The Peanut Vendors』を購入。

カントリーロード/ヴィレッジ・ファーマシー

カントリーロード/ヴィレッジ・ファーマシー

THE PEANUT VENDORS

THE PEANUT VENDORS

ポニーのヒサミツの今回のアルバム、めちゃんこ良いです。なんと、ベースをシャムキャッツの大塚智之が!ゲストで2曲ほど参加している中川理沙(ザ・なつやすみバンド)のコーラスもナイス。

ひさしぶりにPパルコに行ったのだけども、むやみやたらに照明が明るくなっていた。私が学生の頃のPパルコは薄暗くて、もっとなにかこう猥雑だった気がする。好みの問題とは思うが、私は以前のPパルコのほうが断然ワクワクした。



金曜日。夜更かしして本を読むぞーと思うも、あまりに眠くて、『アンナチュラル』も観ずに、すぐに寝てしまった。土曜日。朝起きて、ミスタードーナツに出掛ける。オールドファッションと珈琲で、本を読んだ。A・A・ミルンくまのプーさん』『プー横丁にたった家』を読み直した。

クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))

クマのプーさん (岩波少年文庫 (008))

ひさしぶりに読んでその圧倒的なおもしろさに感激。E・H・シェパードの挿絵も涙が出るほど素晴らしい。これ以上に素敵なナンセンス小説ってないのでは。家に戻って掃除と洗濯。昼過ぎに本棚が届いたので、しかるべき場所に設置した。録画で『アンナチュラル』3話を鑑賞。演出が変わっても、おもしろい。ずん飯尾さんの訴訟には声を出して笑ってしまった。法廷の中堂さんのスーツの着こなしが『美味しんぼ』の山岡さんで、最高でした。自転車に乗って、古本屋を巡りつつ、少しだけ実家に寄る。豚肉と白菜をもらったので、家に帰ってしゃぶしゃぶをしました。amazonプライムで『電影少女』を3話まで一気に観る。桂正和の原作ではなく、オリジナルでこのクオリティだったら最高だと感じるに違いない。西野七瀬さん、演技はいまいちだが(これまでに比べたら凄く頑張っている)、かわいいのでOKだと思います。LAWSONで売っている「ウチカフェ アイスバー チョコミント」が美味しい。ミントの風味がとてもフレッシュ。買い貯めしたいレベルです。


日曜日。神田・神保町の古本屋巡りをした。日曜は神保町の8割近くの店が定休日なのだけども、残りの2割でも充分に楽しい買い物ができました。探していた『ケストナー少年文学集』も全巻セットで買うことができた。あとは哲学と映画と歴史の本を中心に手の平が擦り切れるほど買う。お昼に「欧風カレー ガヴィアル」のチキンカレーを食べた。ルーは濃厚、チキンの皮が炙ってあって、香ばしくて美味しい。古本屋巡り、ドーパミンが出るほど楽しいので、次は土曜日に行きたいと思います。『欅って、書けない?』で、平成ノブシコブシの徳井さんへの楽屋挨拶で、震えが止まらないほど緊張している渡辺梨加さんの姿に胸がいっぱいになった。グループとして激動の1年間を経ても、あの小さな感覚を維持してくれているなんて、どこまでも尊いではありませんか。



ヤクルトスワローズ青木宣親がメジャーから帰還とのこと。そのニュースに、ハアハアと息が漏れるほど興奮してしまった。ずっと夢には見ていたけれども、まさか実現するとは。

1番 山田(哲)
2番 川端
3番 青木
4番 バレンティン

が実現するわけです。はー。外野から坂口を外すのはしのびないと思っていたら、バレンティンが一塁への転換を志願とのこと。「ハタケヤマオワリネ」という発言に笑った。シーズンが始まれば、バレンティンも畠山も一塁にいない気がしてなりませんが、期待はしたい。しかし、宮本・石井琢コーチがいて、青木宣親がいる。去年とは打って変わって、ものすごく緊張感のあるチームになったものですね。