ルドウィク・J・ケルン『すばらしいフェルディナンド』
ルドウィク・J・ケルンは日本ではあまり評価されていないのだろうか。ポーランドの児童文学作家なのだが、Wikipediaにも項目は存在しない。日本語に翻訳されている作品は3作品。その内の1冊『ぞうのドミニク』は福音館で文庫化しており現在も入手可能だが、『すばらしいフェルディナンド』『おきなさいフェルディナンド』という2冊のマスターピースは現状手に取りづらい状況にある。岩波書店から刊行されたにもかかわらず、岩波少年文庫入りを果たしておらず絶版中。とは言え、稀に古本屋で見かけることもあるので、1960年代の発売当時にはそれなりの人気を博した作品なのかもしれない。
これがもう底抜けにおもしろい。都会的でスマートなトーンを醸しながらも、とびきりにナンセンス。話の筋を少し紹介してみよう。とある夫婦の飼い犬であったフェルディナンドが、突然あることを思いつく。
もし、このぼくが、ソファからたって、げんかんのドアのところまでいったら!階段に出て、この二本足でたってみたら!このうしろの二本足で!
「フェルナンド!」フェルナンドはさけびました。
「すてきだぞ!」
こうして始まるフェルナンドの冒険。犬が人間のふりをして街に出るわけだから、それはもう波乱に満ちているに違いあるまい。しかし、そこかしこに散りばめられた”嫌な予感”はことごとく裏切られ、事なきをえていく。強引なまでの展開で”めでたし めでたし”へと収束していく。その筆運びの幸福感ときたら!二本足で歩くフェルディナンドを、誰もが当たり前のように人間と認識するのだ。それどころか、「立派だ」「素敵」とこぞって褒め称える。「あいつは犬じゃないか!」と指を差すようなやつは1人として現れない。ルドウィク・J・ケルンが夢想するあらゆる差別のない世界。第二次世界大戦中、ナチスによる悲劇が繰り広げられたポーランドという土地柄を想えば、そこに込められた祈りの切実さを感じとってしまう。またその筆致は、どこか藤子・F・不二雄のそれを彷彿とさせる。
- 作者: 藤子・F・不二雄
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1974/07/31
- メディア: コミック
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一方で、ひとたびフェルディナンドが四つん這いになろうものなら、すぐさま犬として扱われ、ホテルやお店から追い出されてしまうというような描写もある。ちょっとした見た目の変化だけで、態度を変える人間のありようを風刺しているようだ。しかし、そんな人間の愚かさも愛くるしく描かれている。フェルナンドもまた「ご立派!」とチヤホヤされながらも、実のところ、いい加減、嫌みったらしく自分勝手なところが往々にしてある。犬でありながらも、どこまでも人間くさくて愛らしいのだ。そして、資本主義を心から楽しんでいる。フェルナンドが二本足で歩き始めてまずするのが、どこまでも上等な洋服を仕立てることなのです。美しいブルーのジャケットに、あぜおりのワイシャツ、そこにシマのネクタイをしめて、これまた上等な靴を履き、山高帽で完成。フェルナンドはとびきりお洒落な紳士なのだ。
カジミシュ・ミクルスキによる色彩豊かでいてブルージーな挿絵もいい。フェルナンドはどのページにおいても眠たげな眼で描かれている。実際、フェルナンドは雨降りの中、1週間ぶっ通しでホテルで眠り続けたりするのだ*2。都市と眠りと雨。そんな風にして、そこはかとなく暗示されてはいるのだが、物語は夢オチで幕を締める。しかし、夢の中のできごとが、少しだけ現実に作用している。「夢だけど、夢じゃなかった」というスタジオジブリ的なフィナーレ。オススメです。