青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

近藤聡乃『A子さんの恋人』4巻

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『A子さんの恋人』の待望の新刊が発売。あぁ、おもしろい。巻を重ねるごとに加速度的におもしろいではありませんか。コマの隅の隅まで楽しませ、心の柔らかい場所をこれでもかと刺激する、魔術的1冊だ。この作品の魅力は多岐に渡る。簡潔かつ官能的な線とコマ割り、ウィットとアイロニーに富んだ台詞廻し、底意地が悪く人間臭いキャラクター達、阿佐ヶ谷や谷中周辺をそっくりそのまま舞台に据えた東京ロケマップ的楽しさ・・・そして、何と言っても「わかる、わかるよ!あいこちゃん」といったような”あるある”を通り超したキャラクターへの共鳴だろう。想いを寄せる人の好みに合わせ、無理に荷物を少なくして外に出るあいこ、その華麗なる玉砕に涙した人も少ないないだろう。記号化(=単純化)しがちなえいこに対して、人の気持ちの複雑さを説くあいこの姿は実に感動的であった。

違うでしょ!
そんなひと言で言えるほど
簡単な気持ちの人なんていないでしょ!
身軽なところも好きだけど
もっと好きになってもらいたいっていうのも
どっちも本当のことなのよ!

何故だかテレビドラマと比較したくなってしまうこの『A子さんの恋人』の脚本術。複雑なものを複雑なままに提出するその筆致は、あの『カルテット』(2017)と並べてもひけをとるまい。求むテレビドラマ化(A太郎は坂口健太郎、これだけは死守して欲しい)。さて、男心や女心の”お”の字も理解していない私のような人間が恋愛要素のいろはを語るのは困難を極めるであろうから、物語の枠の話に終始することにしたい。



A子さんというのは主人公の英子(えいこ)のことを指す。スカイツリーの土産屋でネーム入りマグカップを購入する際に、「英語のエイでえいこです」と伝えるも、英語の”英”ではなく、英語の”A”と勘違いされたことを端とする。冗談のような小話であるが、実際のところ、えいこは自らをA子、そして、友人をK子、U子、I子・・・というように、人の実存を記号的に捉えている節がある。

私が「英子」だということなんて他人にとってはたいした問題じゃないのだ
他人にとってえいことか けいことか ゆうこは漠然と
エーコ ケーコ ユーコなのである

記念すべき第1話の冒頭においていきなり下された結論だ。甘味処に女3人が集まりながら、「これはおしるこ?ぜんざい?」「これはみつ豆?あんみつ?」と、やはり”名前”というものへの信頼のなさをさりげなく論じている。10年来の親友の名前(の漢字)も覚えていないえいこはとても身軽であるが、と同時に、自己や他者の絶対性に懐疑的な人間であると言える。

A太郎:僕はえいこちゃんのこと
   「A子ちゃん」だなんて思ってないよ
えいこ:・・・何言ってるの?
    A太郎:えいこちゃんにとっては
   「K子ちゃん」で「U子ちゃん」で「A太郎」なんだな〜と思って
えいこ:はい?
A太郎:僕は寂しいよ
えいこ:何言ってるの?
A太郎:そういうところあるよねって話
えいこ:なんの話?
A太郎:えいこちゃんはどうでもいいんだよ
    けいこちゃんもゆうこちゃんも僕も
えいこ:・・・・なんで?なんでそういうことになるのよ? 
    ただのカップでしょ?私自身だって!(「A子」のカップを指して)
A太郎:自分のこともどうでもいいんだよ
えいこ:何言ってるの?
A太郎:いつからそうなったのかな

元カレであるA太郎がえいこの本質をズバリと指摘するこのスリリングな会話こそ、4巻のハイライトの一つ(A太郎がエプロンを着脱しながら喋るのが色っぽくいいのだ)。えいこはいつからそんな考え方を持つようになったのか。その原因は、それを問うたA太郎本人にある。2人がまだ付き合っていた頃、A太郎は締め切り間近のえいこの漫画原稿をよく手伝っていた。ある日、A太郎は善かれと思い、いとも簡単にえいこのタッチをそっくり模倣し、原稿の下書きからペン入れまでこなしてしまう。しかし、えいこはプロの漫画家、そのことがどんなに彼女を傷つけ、そのアイデンティティを崩壊させたことだろう。このことはA太郎自身

なんであんなことしたんだろう

と今でも後悔している。極め付けは、A太郎の「B子ちゃん家でシャワー浴びたから」という浮気公言だ。これこそ、現在のえいこの考えを構築したものではないだろうか。わたし(A子)の代わりは、B子、C子、D子・・・いくらでもいる。


4巻のスタートを飾る「大人たち」は、まさにその”代役”というモチーフを巡るエピソードだ。面倒なクロッキー大会の現場監督を任されたゆうこは、代役を立てることを画策し、けいこに→A太郎に、と電話をかける。時を同じくして、えいこは原稿の締め切りに追われ、アシスタントを探し求めていた。けいこに→ゆうこに、代わる代わる依頼の電話をかける。一旦はアシスタントを引き受けたゆうこだが、きりたんぽ鍋の誘惑に負け、そのバトンをA太郎にタッチしてしまう。K子、U子、A太郎の役割が実に容易く代替していく。

はえいこちゃんみたいになりたいな
僕は君みたいになりたいんだよ

4巻にして、ついにA太郎の本音が零れ出す。A太郎とえいこが混濁していく。わたしたちはやはり「代替可能な存在」なのだろうか。そんなめくるめくスイッチングの中で、「キューピー3分クッキングのエプロン/野球盤のエプロン」、「きりたんぽ鍋/鍋焼きうどん」、「ダークのビターチョコ/アポロチョコ」、二股疑惑・・・というように、離れた空間にいながらも互いに影響し合ったかのような、妙な共時性が発生している。「原稿が遅れているえいこ/取引先の納品遅延のしわ寄せをくらっているけいこ」もそう。そこには直接的な関係はないはずなのだが。『A子さんの恋人』という作品は、わたしたちの代替可能性を描きながらも、他者と他者とが溶合する際に流れる”親密さ”を、常に掬い上げている。その活き活きとした描写に、何よりも心打たれてしまう。



1~3巻の根底に流れていた運動は”引き延ばし”であったわけだが、4巻ではのびきってしまった糸がややこしく絡み合い、グルグルと円環運動を描いている。

このまま帰ったら
山手線で永遠にグルグル回っちゃうよ〜

これでは繰り返しだ
私たちはまた同じところをグルグル回ってしまう

という台詞が象徴的だろう。それ以外にも、徹夜の眠気でえいことA太郎の思考がグルグル、ヒロくんの突然のプロポーズ(のようなもの)でゆうこの頭の中がグルグル、ゆうこを背負ったA太郎が阿佐ヶ谷のラブホテルの周りをグルグル。更にはあいこが台東区荒川区、文京区の区境をグルグルと奔走する。そんな「あいこの乱」での時系列をシャッフルさせた奔放な語りの異様な豊かさは何事だ。2巻の「バレンタイン顛末記」でもいかんなく発揮されていた近藤聡乃お得意の脚本術だが、これもやはり時間軸のグルグルだ。いくつかの三角関係を描きながらも、底のほうでは円を描くようにグルグルと回る円錐形の物語だ。ゆうこが4巻収録の106幕「夜のチョコレート」でアポロチョコレートを、2巻収録の36幕「ニューヨークの友達」でとんがりコーンを、すなわち円錐形のお菓子を食べていたぞ!という指摘はただの深読みか。しかし、1巻収録の4幕「チーズ」において、えいことA太郎の再会の場で振る舞われた鍋の中のチーズ、そのビヨーンという"のび"が2人の関係性の引き延ばしを予告していたことを思えば、なくはない話かも。



さて、最大の関心はやはり「えいこがA太郎とA君のどちらを選ぶのか」ということだろう。この社会の倫理からすれば、A君を選ぶのがベターに違いない。しかし、そんな当然の選択すらウダウダ悩むのがこの『A子さんの恋人』という作品なのだから、物語の倫理からすれば、A太郎にかなり分がある。えいこの書く漫画が「えいこにとってのA太郎」のメタファーになっていることに気づくだろう。最初に思いついた素晴らしいアイデアが途中で煮詰まってしまっても、なかなか捨てることができないえいこ。A太郎との関係の断ち切れなさそのものだ。A君は、「全部捨てて、新しく書き直すべき(=A太郎なんか捨てて、俺と一緒になれ)」とアドバイスするのだが、こうも言う。

でも本当のことを言うと
捨てないで
なんとか軌道修正して
うまくまとまるところを
見てみたい気もするなぁ

そして、珍しくA太郎に褒められたというえいこの漫画家としてのデビュー作について、こんな会話が為されている。

えいこ:いや大切というか
気になってるの
A君:気になる?
えいこ:うん
    もうちょっとどうにかできたんじゃないかと思って
    今でもたまに別の結末を考えてみるんだけど
    やっぱり良い案は思いつかないんだよね
    もう忘れてしまえばいいのかもしれないけど
    これでデビューしちゃったから…
A君:・・・えいこ
   それを「大切にしている」というんだよ

A君よ・・・むちゃくちゃ敵に塩を送っていやしないか。間違いなく、今、最もその結末を期待される一作。その結びを、震えて待とうではありませんか。余談ですが、山田が日産JUKEに乗ってあいこちゃんを迎えに来るところ、かっこいいと思いました。

A子さんの恋人 4巻 (ハルタコミックス)

A子さんの恋人 4巻 (ハルタコミックス)