cero『Obscure Ride』
ほんの少し前まで「たとえ今後『My Lost City』以上のアルバムがリリースされなくても、僕はceroを愛し続けるのだな」なんて博愛を気取っていたものだ。
- アーティスト: cero
- 出版社/メーカー: カクバリズム
- 発売日: 2012/10/24
- メディア: CD
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<小沢健二→cero、そして新しいシティポップ>
巷でさかんに行われた「シティポップ論争」は、現在使われている”シティポップ”は旧来のライトメロウサウンドを差すシティポップとは別のものである、という事で一旦の区切りをつけている。現行のシティポップのムードは
見せてくれ 街に棲む音 メロディ
という小沢健二の「ある光」のこのラインに集約されていると言っていいだろう。補足をするのであれば、フィールドレコーディングというアイデアを元に、街と暮らしの音を音楽に仕立てあげた口ロロの傑作『everyday is a symphony』 (2010)がそこに加わる。
- アーティスト: □□□
- 出版社/メーカー: commmons
- 発売日: 2009/12/02
- メディア: CD
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シティポップが鳴らすその空虚、フィクションの在り方を変えてもいいだろ?
と宣言し、”シティポップ”の表現の枠を更に押し広げる事となる。煌びやかな街の灯りとそれが作り出す暗闇、その両方を描き出す事で、真の街の音楽と言えるのではないか。その為、より強度を高めて導入されたマジックリアリズムの手法は、都市の闇に潜むゴースト達を炙り出していく。そして、同時により得体の知れない大きな存在を呼び起こす事となる。
あぁ 神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて
あぁ わたしたちは ここに いるのだろう
「Orphans」
この街のうえに おちる 巨大で優しいまなざしに
子どもたちは気づいている
「DRIFTIN'」
美しいことも争いも全て天使たちの戯れだとしたら
「夜去」
そう、ときに直接的に言及される、”神”である。
神様はいると思った
これはやはり「ある光」のラインである。今作を小沢健二のディスコグラフィーになぞらえると、サウンド的には『Eclectic』の継承と書き換え、という風に言われている。
- アーティスト: 小沢健二
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2002/02/27
- メディア: CD
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<若者的音楽最高峰cero>
かつての”くるり”がそうであったように、現在のceroは若いリスナーの耳を教育してくれる存在だ。かつて、くるりの『TEAM ROCK』(2002)
- アーティスト: くるり,岸田繁,佐藤征史
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2001/02/21
- メディア: CD
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<デヴィット・リンチ『マルホランド・ドライブ』との類似性>
『Obscure Ride』を聞き、無性にリンチの『マルホランド・ドライブ』が観たくなり、レンタル屋に走った。
- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2010/02/17
- メディア: DVD
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それも、音楽を通して!『Obscure Ride』もまた、街を彩る光と影を描きながら、違う世界に行ってしまった人との約束を果たす、という構成をもっていたはずだ。どうだろう、この不思議なリンクに興奮を覚えないだろうか。『マルホランド・ドライブ』にも、2つの世界を行き来する邪悪なのか聖なるものなか定かではない”カウボーイ”や”浮浪者”という存在が登場する。これは、『Obscure Ride』がマジックリアリズムで立ち上げたゴーストや神様にとてもよく似ている。他にも”出ずっぱりで化粧の落ちたドラァグクイーン"や"ドライブ"、2つの世界を繋いでしまうの”電話”だとか、共通点を持ったキーワードが頻出する。ceroの面々が製作にあたり『マルホランド・ドライブ』を念頭に置いていたかは定かではないが(おそらくNOだろう)、人称や時間軸、世界の境界の曖昧性を突きつけ、リスナー自身に体験として物語を紡ぎ直させる、という今作におけるceroの態度は非常にリンチ的と言える。
では、ここからは『Obscure Ride』に流れる”物語”のようなものについて掘り下げていきたい。前述の通り、今作におけるceroの創話はリンチ的であり、『WORLD RECORD』
- アーティスト: cero
- 出版社/メーカー: カクバリズム
- 発売日: 2011/01/26
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”影”のない人とは
別の世界からやってきた人々には”影”がないらしい。何故か?それは別の世界の人々は、こちらの世界の影そのものだからではないだろうか。影そのものに影がないのは当然だ。もちろん、別の世界から見れば、こちらの世界が影なのである。つまり、パラレルワールドというのは、かけ離れた2つの世界という事ではなく、鏡面関係のようなものと考えられる。
夜は遠のくにつれ 近づいてくるんだ
シングルとしてもリリースされた「夜去」は、”よ(る)さり”と読む。これは夜明けを意味するのでなく、夜の訪れを表現する言葉らしい。調べてみると、日本語の「去る」という言葉は”遠のいていく”という意味の他にも“来る”“近づいてくる”という意味も持ち合わせているようだ。ceroは既に1stアルバム『WORLD RECORD』に収録されている「ターミナル」の中でこの感覚について歌っている。
夜は遠のくにつれ 近づいてくるんだ
これは“輪廻転生”の考えを根底に持つ仏教の国ならではの感覚だろう。そしてそんな循環のフィーリングは、「死に行く母と生まれ来る子ども」という状況におかれた髙城晶平の心情と共に『Obscure Ride』を決定づけるトーンになる。
ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね
「忘却」と「約束」は今作の重要な2つのキーワードだ。では約束とは一体何を指すのだろう。これには無数の解釈が存在していいのだけど、このエントリーでは「C.E.R.O」において、再び登場したこんなラインに注目したい。
蛇の目を持ったお母さんがわたしを迎えに来てくれるはず
どこかで聞き覚えのあるライン。そう、童謡「あめふり」の歌詞であり、それを引用したceroの初期の代表曲「21世紀の日照りの都に雨が降る」のラストリリックだ。
あめあめふれふれ かあさんが
じゃのめでおむかえ うれしいな
しかし、ご存知の通り、この大雨は『My Lost City』で描かれるように、大洪水を引き起こし、街は海に埋もれる。つまり、母は傘を持って子どもを迎えに行く事を果たせなかったのに違いない。当然、この"母"というのは、楽曲名にもなっている「ROJI」をかつて切り盛りしていた髙城晶平の亡き母のイメージが重ねられているのだろう。ならば、約束は守られなければならないはずだ。
曖昧な乗り物
ceroがマジックリアリズム的手法で立ち上げた2つのパラレルワールド、それを行き来すること。そして現れる神様。これらは何を意味するのか。いくつかの歌詞を手がかりにしてみよう。
いいところだよ その気になりゃ 死人だって騒ぎだす
「C.E.R.O」
いなくなった奴も何いかいるけど
どっか他所で変わらずにいるだろうさ
「Roji」
(別の世界では)
2人は姉弟だったのかもね
「Orphnas」
前述した輪廻転生の概念をceroははっきりと歌っている。つまり、2つの世界を行き来きするというのは、居なくなってしまった人々との交流であり、その到達が描かれる「FALLIN'」はあまりに感動的だ。
遊ぼう 夜を超えて どこかへ
身体なんて捨て去ってさ
もしかしたらそれは夢の中で一瞬の出来事、すぐに忘れてしまうかもしれない。しかし、何度でも思い出そう。我々の身体と魂は、メロウに揺れるビートさえ聞けば、世界を行き来きすることのできる曖昧な乗り物”Obscure Ride”なのだ。ついに日本語による等身大のソウルミュージックが登場したのである。ユリイカ!